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2019年9月2日月曜日

あの絶叫漢、文筆の青蝿、小商人の悪臭、野心の悪あがき、くさい息

いやあ、きみ、「中福祉・高負担しかありえない」で掲げた図表ってのはな。

(「社会保障について」 平成31年4月23日(火) 財務省、pdf


この図表ってのは、ネットにいくらでも落ちている次のたぐいの図のことだよ。




いくら日本が僥倖的経済成長したって、近未来にかならず訪れる労働人口で1人で高齢者1人を既存システムのままで支えられるわけかないってのはいくらなんでもわかるだろ?

・現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

・日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)

ま、きみのようなタイプは国民負担率ってのはなんのことかサッパリだろうがね。





で、さらに高齢者が増えるってことは、増える以上に負担が増えるってことだよ。




こうなんだから、負担を増やして福祉を減らすしかない。年金支給は当面70歳以上にするしかない(それだって社会保障給付額はたいして減らない)。


ここまでは巨大な国家債務については無視して記してきたががね、この国家債務消滅法は唯一ハイパーインフレがあるが、これを期待するならそれはそれで正当化されるよ。貴君の実際はこれだって言えよ、そうしたら許容するよ、「タロウとともにハイパーインフレを!」って宣言したらいいのさ。

ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。

 予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか/福井義高 2019.02.03)

小泉進次郎のホンネはここかもな。2012年3月30日、国会内で「若い人にもデフォルト待望論がある。財政破綻を迎え、ゼロからはじめたほうが、自分たちの世代にとってはプラスだという議論が出ている」と言ったらしいからな(参照:デフォルト待望論)。

でも債務が帳消しになったって、冒頭図にある少子高齢化社会の事態に対応するために負担増、福祉減はまちがいなくしなくちゃならない。

負担増は、所得税や法人税の負担をふやすと労働人口だけに皺寄せがくる。全人口に負担を均等にふやす方法はほとんど消費税しかないってことだよ。

あったりまえだろ、これ?


(これからの日本のために 財政を考える、財務省、令和元年6月、PDF



財務省のまわしものって言われてもな、こういった事態をみてみないふりをするよりずっとましだな。どこかの左翼ポピュリスト政治家みたいにな。

権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民Pöbelの値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー。

Und wenn sie gar die letzten sind und mehr Vieh als Mensch: da steigt und steigt der Pöbel im Preise, und endlich spricht gar die Pöbel-Tugend: `siehe, ich allein bin Tugend!` -(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」手塚富雄訳)

あの賤民の記号として機能しているらしいタロウとかいうボウヤ、そしてそれを応援する輩ってのはな。「ああ、嘔気、嘔気、嘔気!」でしかないな。

あの絶叫漢、文筆の青蝿、小商人の悪臭、野心の悪あがき、くさい息、[allen diesen Schreihälsen und Schreib-Schmeissfliegen, dem Krämer-Gestank, dem Ehrgeiz-Gezappel, dem üblen Athem」…ああ、たまらない厭わしさだ、賤民 Gesindel のあいだに生きることは。…ああ、嘔気、嘔気、嘔気![Ach, Ekel! Ekel! Ekel! ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」)


佐々木中が東北大地震のとき、こう言っていたがね、

ドゥルーズが語ったなかでも、実に印象的な台詞があります。詳しくは申しませんが、彼はある時に、ある一群の哲学者たちを指して、「強制収容所と歴史の犠牲者を利用して」いる、「屍体を食い物にしている」と激しく非難したのですね。……(佐々木中「《砕かれた大地に、ひとつの場処を》のなかで」『思想としての3・11』所収

なによりもまず重度障害者を食い物にするあのポリコレ利用ボク珍、逆差別ボク珍ってのが、どうして許せるんだい? 信じがたいよ、タロウ信者ってのは。

ま、集団神経症なんだから何をいってもムダだろうがね。

原初的な集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章)

ニーチェ風の言い方をすれば、きみたちの症状は賤民の集団神経症であり、ーー「賤民 Pöbel」だから、穏やかに言えば、「左翼ポピュリストたちの集団神経症」ってことだよ。






こうなってしまったら思考の制止が起こる。

集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 Triebhemmungen が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。

この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原初的集団 primitiven Masse における情動興奮 Affektsteigerungと思考の制止 Denkhemmung という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)


ま、「畜群の集団神経症」に対抗するための「賤民の集団神経症」ってわけだ。






構造的にいえば、畜群の症状も賤民の症状も変わらないよ。それがわかっていればいいさ、これ以上文句をいうつもりはないね。デハ左様ナラ!