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2020年6月5日金曜日

私はあなたを侮辱するつもりはありません


Aufhebung, Verneinung, Negation der Negation
止揚Aufhebenは真に二重の意味を示す。それは「否定する」と同時に「保存する」の意味である。Das Aufheben stellt seine wahrhafte gedoppelte Bedeutung dar, […]; es ist ein Negieren und ein Aufbewahren zugleich; (ヘーゲル『精神現象学 Phänomenologie des Geistes』1807年)
否定は抑圧されているものを認知する一つの方法であり、本来は抑圧の解除=止揚Aufhebungを意味しているが、それは勿論、抑圧されているものの承認ではない。Die Verneinung ist eine Art, das Verdrängte zur Kenntnis zu nehmen, eigentlich schon eine Aufhebung der Verdrängung, aber freilich keine Annahme des Verdrängten.(フロイト『否定Verneinung』1925年)
ラカン)Verneinung は、 セミネールの前に、イポリット氏が私に耳打ちしたように、dénégation(二重の否定・前言を翻す行為)であって、翻訳のように négation(否定)ではない。(…)

イポリット)(否定行為にも打ち勝ち、 抑圧されたものの知的承認に成功しながら)―抑圧過程そのものはこれによって解除されない。  

これは私にはきわめて深いものと思われます。被分析者は受け入れ、取り消し dénégationても、抑圧はまだある! 

私の結論は、ここで生み出されるものに、ある哲学的名称を与えなければならないことです。この名をフロイトは述べてはいません。それは「否定の否定 la négation de la négation」(Negation der Negation)です。文字通り、ここで現れるもの、それは知的肯定です。しかし知的であるだけです。というのは否定の否定ですから。こうした用語はフロイトにはありません。しかしこう述べても私はフロイトの思考の延長線にあると思います。これが私が言いたいことです。(ラカン、S1、10 Février 1954)
私はあなたを侮辱するつもりはありません
われわれの患者が分析作業の過程で種々の思いつきを話し出す様子は、いくつかの興味深い観察の手がかりになる。「あなたは私がこれからなにか侮辱するようなことをいい出すだろうとお考えでしょうが、私にはそんなつもりは毛頭ないのです Sie werden jetzt denken, ich will etwas Beleidigendes sagen, aber ich habe wirklich nicht diese Absicht.」。 これは、投射 Projektion によってたったいま思い浮かんだ想念の拒否 auftauchendenと解される。

あるいはまた、「夢の中のこの人物は誰かとおっしゃいますが、母ではありません Sie fragen, wer diese Person im Traum sein kann. Die Mutter ist es nicht.」。 これをわれわれは「それはほかならぬ母なのです Also ist es die Mutter」と訂正するのである。われわれは分析にさいしては、遠慮なしにこの否定 Verneinung を度外視し、思いつきの内容そのものだけを取り出すのである。そうすると患者はこの場合、「なるほど、私にはこの人が母に思えました。だがこの思いつきを認める気にはなれないのです」といっているようなものである。(フロイト『否定Verneinung』1925年)
問いの罠
無意識に抑圧されているものを捜し求め、なんとなく解明することができることも時たまある。「あの場合、あなたがそんなことは絶対にありえないとお考えになるのは何でしょうか。あの当時、あなたが一番心にかけていなかったのは何だと思いますか Was halten Sie wohl für das Allerunwahrscheinlichste in jener Situation? Was, meinen Sie, ist Ihnen damals am fernsten gelegen?」(あなたにとってこの状況で一番ありそうもないことを話してください。あなたにとってまったくかけ離れたことです)とたずねてみる。もし患者がこの罠にかかって、一番ありえないと思うものをあげるなら、それはたいてい本音 Richtige zugestanden なのである。…

思考内容を肯定したり、否定したりするのが知的判断機能の使命なのであるから、われわれは上記の考察によって、この機能の心理学的起源にまで論を進めたことになる。判断によって何事かを否定するとは、結局、「これが自分の一番抑圧したいものなのである Das ist etwas, was ich am liebsten verdrängen möchte」ということなのである。否定的判断は、抑圧の知的代償 intellektuelle Ersatz der Verdrängung であり、その「否」は抑圧の刻印Merkzeichen、たとえば「ドイツ製 made in Germany」と書いた原産地証明書と同じようなものなのである。否定象徴 Einschränkungen der Verdrängung・「否」によって、思考は抑圧のいろいろな制限から解放され、その作業に欠かすことのできない内容を豊かにしていく。(フロイト『否定Verneinung』1925年)