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2020年6月26日金曜日

若い男いじめ

セクハラやら痴漢、レイプやらがあるので男性側からあまり強くは言えないのだろうが、一般論として言えば、現在の日本の女たちは行き過ぎだな、その男いじめが。

以前にも何度か引用したが、ま、こういうことだな、とくに若い非モテ男たちは。

男たちはセックス戦争において新しい静かな犠牲者だ。彼らは、抗議の泣き言を洩らすこともできず、継続的に、女たちに貶められ、侮辱されている。(Doris Lessing 、Lay off men, Lessing tells feminists、Guardian, 2001)

ーードリス・レッシング Doris Lessing(2007年ノーベル文学賞作家)は、かつてのフェミニズムの闘士、アイコンだった。彼女はある時期からフェミニズム運動に距離をとっている。
『母性という神話(L'Amour en Plus)』で名高いエリザベート・バダンテール Elisabeth Badinter も引用しておこう。

現在の真の社会的危機は、男のアイデンティティである、――すなわち男であるというのはどんな意味かという問い。女性たちは多少の差はあるにしろ、男性の領域に侵入している、女性のアイディンティティを失うことなしに社会生活における「男性的」役割を果たしている。他方、男性の女性の「親密さ」への領域への侵出は、はるかにトラウマ的な様相を呈している。( Élisabeth Badinter  ーージジェク、LESS THAN NOTHING, 2012より孫引き)

これらはより一般的な形で言えば次のようなことだ。

女であること féminité と男であること virilité の社会文化的ステレオタイプが、劇的な変容の渦中です。男たちは促されています、感情 émotions を開き、愛することを。そして女性化する féminiser ことさえをも求められています。逆に、女たちは、ある種の《男性への推進力 pousse-à-l'homme》に導かれています。法的平等の名の下に、女たちは「わたしたちもmoi aussi」と言い続けるように駆り立てられています。…したがって両性の役割の大きな不安定性、愛の劇場における広範囲な「流動性 liquide」があり、それは過去の固定性と対照的です。現在、誰もが自分自身の「ライフスタイル」を発明し、自己自身で「享楽と愛の様式 mode de jouir et d'aimer」を身につけるように求められているのです。(ジャック=アラン・ミレール、On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? "、2010)