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2020年10月14日水曜日

機銃掃射で ひとり残らずぶっ殺してやりたい

 

「社会的な存在形態としては、映画監督は映画を撮る職業だから映画を撮っているにすぎない。そしてそのことによって、すべての職業が屈辱である」と、大島渚氏は著書に書いていますが、作曲家である私もその苦い意識から遁れようはないのです。〔・・・〕

作曲家という表現行為が否応なく職業化して制度に組み込まれていく。〔・・・〕

作曲家は、すくなくとも私という作曲家の現状は、お便りにあったような<他者の拘束から自由に、自分の内なる理法と感興にだけ従って飛翔し、音という質量も外延もない世界を築いてゆく>ようなものではありません。寧ろその後で指摘されているように、<作られたものを、演奏家や聴衆という「他者」に強制する次の瞬間に、作曲家を待ち構えているかもしれない戦慄の深さ>に怯える存在です。

私はけっして音と触れることの、また、音楽することの喜びを失ったわけではありません。それを知っているから、却って音楽を作る専門家であることを疑わないではいられないのです。


音楽を創る者と、聴かされる大衆という図式は考えなおされなければならないでしょう。しかもそれはきわめて積極的にされなければならない。これまで、疑うことなく在りつづけたこの図式は、別の新たな関係の前に破壊されるでしょう。そうでなければ文化はすべて制度に組み込まれて因習化し、頽廃へ向かうしかない。(武満徹-川田順造往復書簡『音・ことば・人間』1980年)


武満徹に 

飲んでるんだろうね今夜もどこかで

氷がグラスにあたる音が聞える

きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ

ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに

それをまぎらわす方法は別々だな

きみは女房をなぐるかい?


ーー谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』所収、1975年



「おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で

ひとり残らずぶっ殺してやりたい」と酔っぱらって作曲家は言うのだ


ーー谷川俊太郎「北軽井沢日録」(『世間シラズ』所収、1995年)