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2022年4月6日水曜日

中身と証拠

 

ははあ。。噂のスコットリッター、こんなこと言うようになったんだなあ

Scott Ritter

@RealScottRitter

As things stand in Ukraine, I believe there is a far greater likelihood that Zelensky will be arrested and charged as a war criminal than Putin. The direct evidence of Ukrainian war crimes, complete with proof of intent, is overwhelming. And yet the western media ignores it.

6:41 PM · Apr 5, 2022·Twitter for iPhone

ウクライナの現状では、プーチンよりもゼレンスキーが戦犯として逮捕・起訴される可能性の方がはるかに高いと思う。ウクライナの戦争犯罪の直接的な証拠は、意図的な証拠も含めて、圧倒的だ。それなのに、西側メディアはそれを無視する。


つい数日前はまだ穏健だったのになあ



私は、ブチャ事件の真相が不明なので、これがロシア軍によるものであるのか、それともウクライナ側のでっち上げなのか、いずれとも判断できません。しかし、ロシア軍のウクライナ侵攻以後、日本を含む西側メディアは、ウクライナ側が発表することは「すべて事実である」という大前提で報道してきており、今回の事件に関してもそれがくり返されていることには、客観的に公正な報道を旨とするべきジャーナリズムのあるべき姿をはなはだ逸脱している、という批判を提起せざるを得ません。

 この点で、タス通信の紹介報道で知ったのですが、元国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)主任査察官(イラクの大量破壊兵器捜索を担当)のスコット・リッターがツイッターで次のように述べていることは傾聴に値するし、日本を含む西側報道に対する私の根本的疑問を裏付けるものだと思います(なおタス通信は、アメリカ国家安全保障局の情報をリークしたスノーデンに協力した経歴の持ち主であるグレン・グリーンウォルドのツイッター記事(ウクライナ側が発表した写真・ビデオは「中身も証拠もない(context-and-evidence-free)」と批判)も紹介しています)。

「プロパガンダ目的の主張をすることで広く知られているソースからの未確認ビデオだけに基づき、確認することもせずに、瞬間的に判断するような者は自らをジャーナリストと呼ぶことは止めるべきだろう。」

 「法医学の基本では、死の時刻、死のメカニズム、死体が動かされたかどうか、以上3つのカギとなる問に答えることが求められる。ところで、ウクライナ側は彼らの非難を裏付けるに足る証明可能な法医学的データを示しているだろうか。…死亡時間、死亡メカニズムそして死の場所。一人一人の死体についてこの3つの問に答える。その後で(犯人を)特定する。そういう手続を踏まなければ、偽情報をばらまいているということになる。」

 「ロシアを悪者に描き出すことのみを狙った情報戦争作戦によって西側の世論が形成されているときに、客観的なオブザーバーは「有罪」と叫ぶ前に法医学(による答え)を待つだろう。」

(「ブチャ」事件:ロシア・ウクライナ危機 浅井基文 4/5/2022




なんでだろうなあ、「中身と証拠」がいくらか出てきたのに



J Sato@j_sato

ブチャ虐殺の証拠としてニューヨーク・タイムズ紙が出した衛星写真を検証した専門家チーム、撮影日が3/19ではなく4/1と判定
・写真には3/31~4/1日未明の豪雨後の砂地の沖積層が写っている→豪雨の後
・影の位置・角度等から撮影日時は4月1日11:57GMT(現地時間14:57)
https://t.me/rybar/30599 https://pic.twitter.com/PAKptTSiKZ







いや、みなさんシツレイしました、「沈黙の陰謀」並べちゃって。

ヨイコのみなさんは恵チャン組の「めがね」を信用しなくてはナリマセン




ーー《しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花》(上田秋成、胆大小心録)


ということでヨイコは天秤の皿の左右を並べる必要は毛ほどもありません。右の皿だけに専心して人生を幸せに送ってください。上田秋成的マインドやサド的マインドに誘惑されてはけっしてなりません。


作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」)