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2022年9月9日金曜日

「しがみつく人」と「つま先立ちで歩く人」

 バリントの「フィロバティズム/オクノフィリア」の区分は、長いあいだ失念していたが、とてもいいね。身近な人や作家などをこの区分で観察してみることもできるよ。


◼️バリントの「フィロバティズム/オクノフィリア」

バリントという、フェレンツィの弟子の、なかなかユニークで実践的でもある精神分析家がいた。彼は『スリルと退行』という本を書いて、発達論的対象関係論からすれば、最初の母子一体の「調和的渾然体」が破れた時に二つの状態が実現すると指摘したことがある。第一は、安全保障感を距離に依存する「フィロバティズム」であり、第二は、安全保障感を膚接に依存する「オクノフィリア」である。ことばが変なのはバリントだから仕方がない。


土居健郎の「甘え」に即していうなら、「調和的渾然体」が原初的な純粋な「甘え」の状態であり、「フィロバティズム」は「甘えの拒否」、「オクノフィリア」は「甘えの病理的形態」ということになるだろう。


これが成人において実現すれば、フィロバティズムの場合、対象なき空間とおのが「スキル」に全幅の信頼を置いて飛躍する「スリルの人」となる。対象はスキルを発揮するための道具にしかすぎず、いくらでも取り替えの利くものである。バリントは、例としてパイロットや曲芸師を挙げているが、数学者、理論物理学者、哲学者も多数派はフィロバットだと私は思う。実際、彼らの書いた数学や宇宙物理学(の啓蒙書)を読む時味わう「スリル」は、日常からの超脱のスリルで、飛行のスリルと同じ質のものである。


これに対してオクノフィリアとは、対象なき空間を恐怖し対象にしがみつき膚で接していることを好む臆病な人、独りでおれない人である。


バリントの独創は「フィロバティズム」の概念創出にあり、精神分析は従来もっぱら「オクノフィリア」にだけ目を向けていたといっている。また、バリントの筆致は明らかに「フィロバティズム」に好意的である。しかし、その文章から、バリント自身はどちらかといえば「オクノフィル」、つまり甘えの人でなかったかと思わせるものがある。〔・・・〕


一般論として「フィロバット」のほうがよいと私は思わない。「フィロバット」も出発し帰還する大地を必要とする。無限に長いロープの綱渡りというものは不可能である。(中井久夫「精神科医がものを書くとき」1991年『精神科医がものを書くときⅠ』所収)


オクノフィリア ocnophilia の語源は「しがみつく人」、フィロバティズム philobatism の語源は「つま先立ちで歩く人」だ。


もちろん中井久夫もバリント同様、オクノフィルである。


さて、精神病理の世界にも両方があるように思われる。 数学や宇宙物理学 (の啓蒙書)を読む時に確かに感じるスリルと同じものを感じさせる精神病理学の論文がある。 「自己」や「他者」「世界」という言葉が縦横に使われている論文である。「フィロバット」の成果であろう。 私は、これらに畏敬の念を持つが、私自身はたぶんかなりの「オクノフィル」であって――その証拠の一つにバリントが挙げるように私はスポーツが下手であるーー、才能の乏しさとは別に、非常に一般的、抽象的な言明をしようとする時には必ずそっと袖を引いてやめるようにさせる一種の感覚を感じる。


したがって、私は、自分の精神医学の枠組みの全体を明らかにできない。それは、自分にも見通せていない。そういうものが明確にできれば、非常に楽になるのかもしれないし、逆に腑抜けのようになるかもしれない。そこが分からないから、私には、明確にしようとする努力ができない。 私にとって、私の精神医学は、私の前にあるのではなくて、私の背後にあるような感覚である。そのような精神科医は、 (一) 何も書かないか、(二) 症例報告を書くか、 (三) エッセイかアフォリズムを書くか、であろう。(中井久夫「精神科医がものを書くとき」1991年)



ここで中井久夫が言ってるのは、名を挙げてないにしろ、何よりもまず名市大精神科の黄金時代のコンビ、「フィロバット」としての木村敏と「オクノフィル」としての自らの対比だね。


中井久夫のすべてのエッセイは、次の二文を中心にして読むとまた違った味わいが出てくるよ。



「治療文化論」は時々引用された。なぜか必ず奈良盆地についての三ページであった。〔・・・〕あの一節には私をなかだちとして何かが働いているのであろうか。たとえば、私の祖父――丘浅次郎の生物学によって自らをつくり、老子から魯迅までを愛読し、顕微鏡のぞきと書、彫刻、絵画、写真、釣りに日を送り迎えた好事家、自らと村のためにと財を蕩尽した旧村長の、一族にはエゴイストと不評の祖父。あるいその娘の母――いくらか傷害を持ち、末期の一カ月を除いて幸せとはいえぬ生涯を送り、百科事典を愛読してよく六十四歳の生涯を閉じた母の力が……。(中井久夫『治療文化論』「あとがき」1990年)

父母の結婚は見合いであるが、お互いに失望を生んだ。父親と母親は文化が違いすぎた。そこに私が生まれてきたのだが、祖父母は、父の付け焼き刃の大正デモクラシーが大嫌いで、早熟の気味があった私に家の将来を托すると父の前で公言して、父親と私の間までが微妙になった。 〔・・・〕


私が東大から名市大に移る時、一カ月赴任を遅らせて末期の胃癌だった母をみとった。うっかり、四月から出る予定といっただめであろう、その一〇日前、「一〇日後、食べる」と言って、食も水も断った。一〇日目、棺の前に箸一本をさしたご飯が供えられた。私にこれ以上の迷惑をかけたくないという母の意志を秘めた最後のユーモアであった。(中井久夫「私が私になる以前のこと」2000年『時のしずく』所収)



………………


ところで、この「しがみつく人としてのオクノフィリア」と「つま先立ちで歩く人としてのフィロバティズム」の起源は、フロイトラカン的な「分離不安/融合不安」と近似性があるのではないだろうか。


最初の母子関係において、子供は身体的な未発達のため、必然的に、最初の大他者の享楽の受動的対象として扱われる。このときの基本動因は、不安である。この不安は母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話役としてもよい。寄る辺ない幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに「分離不安」separation anxietyがある。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。…フロイトはこれを母に呑み込まれる不安、あるいは母に毒される不安とした。この不安を「融合不安」fusion anxietyと呼びうる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villainsーーA Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009年、摘要)

神経症とは、内的な欲動を大他者に帰することによって取り扱う方法である。ヒステリーとは、口唇ファルスと融合欲動を取り扱うすべてである。強迫神経症とは、肛門ファルスと分離欲動に執拗に専念することである。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、OBSESSIONAL NEUROSIS, 2001)




母の不在に伴う分離不安は、母を見失うことを恐れる不安である。

初期幼児期における母を見失うというトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この見失われた対象(喪われた対象)[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

発達段階の流れに置いて、あらゆる危険状況と不安条件 Gefahrsituation und Angstbedingung は後のすべてと結びついており共通点をもっている。〔・・・〕


すなわち母からの分離である。最初は生物学的な母からの分離、次に直接的な対象喪失、後には間接的な形での分離である。eine Trennung von der Mutter bedeuten, zuerst nur in biologischer Hinsicht, dann im Sinn eines direkten Objektverlustes und später eines durch indirekte Wege vermittelten. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)




母の過剰現前に伴う融合不安は、貪り喰われる不安である。

母への依存性[Mutterabhängigkeit]のなかに、 のちにパラノイアにかかる萌芽が見出される。というのは、驚くべきことのようにみえるが、母に殺されてしまうという(貪り喰われてしまう?)という規則的に遭遇する不安[ regelmäßig angetroffene Angst, von der Mutter umgebracht (aufgefressen?)]があるからである。このような不安は、小児の心に躾や身体の始末のことでいろいろと制約をうけることから、母に対して生じる憎悪[Feindseligkeit]に対応する。(フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)

メドゥーサの首の裂開的穴は、幼児が、母の満足の探求のなかで可能なる帰結として遭遇しうる、貪り喰う形象である。[Le trou béant de la tête de MÉDUSE est une figure dévorante que l'enfant rencontre comme issue possible dans cette recherche de la satisfaction de la mère.](ラカン、S4, 27 Février 1957)


ラカンはこの貪り喰う形象を母なる鰐の口とも言った。

母の溺愛 [« béguin » de la mère]…これは絶対的な重要性をもっている。というのは「母の溺愛」は、寛大に取り扱いうるものではないから。そう、黙ってやり過ごしうるものではない。それは常にダメージを引き起こす[dégâts]。そうではなかろうか?


母は巨大な鰐 [Un grand crocodile ]のようなものだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。これが母だ、ちがうだろうか? あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざす[le refermer son clapet ]かもしれないことを。これが母の欲望 [le désir de la mère ]である。(ラカン, S17, 11 Mars 1970)




人は原初にはみな原分離不安がある。だがその後に性格類型が出来上がることが多い。母が不在過多なら分離不安、母が過剰現前なら融合不安である。




ーーなおラカンの享楽は一般的には斜線を引かれた享楽(「喪われた享楽=トラウマ化された享楽」を意味する)だが、最上段のフロイトの原ナルシシズムはラカンの享楽の原像である(参照)。


さてどうだろう、「しがみつく人」としてのオクノフィリア ocnophilia は分離不安側に、「つま先立ちで歩く人」としてのフィロバティズム philobatism は融合不安側に置けるのではないか。


今思い起こすように言うなら、いわゆる仏現代思想の作家たちのなかであれば、エッセイだけを書き続けたロラン・バルトは明らかにオクノフィルだ。同じホモセクシャルでもフーコーはフィロバット側だろうね。幼年期のことにほとんどまったく触れなかったフーコーが上の図式に当てはまるか否は保留しておくが。


上のものはあくまで基本図式であり、左サイドの過剰な分離不安がある人物は逆にその不安に過剰に防衛して反転が起こり、外面上は極端な右サイドの性格類型に仮装することだってありうる。例えば三島由紀夫はどうか。



あるひは私の心は、子羊のごとく、小鳩のごとく、傷つきやすく、涙もろく、抒情的で、感傷的なのかもしれない。それで心の弱い人を見ると、自分もさうなるかもしれないといふ恐怖を感じ、自戒の心が嫌悪に変はるのかもしれない。しかし厄介なことは、私のかうした自戒が、いつしか私自身の一種の道徳的傾向にまでなつてしまつたことである。(三島由紀夫「芥川龍之介について」1954年)