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2022年9月4日日曜日

傷は、それを負わせた槍によってのみ癒されうる

 


傷は、それを負わせた槍によってのみ癒されうる [die Wunde schliesst der Speer nur, der sie schlug]( ワーグナー, Parsifal)


ーーだろ?


われわれは傷ついている。だから傷つけずには愛することはできない[C'est parce que nous sommes blessés que nous ne pouvons aimer qu'en blessant] (ジョー・ブスケ Joë Bousquet, Mystique)


ーーじゃないかい?


傷が私の肉にうえつけたのは、私が傷を負った五月の夜に咲くバラである。私は、そのときと変わらない心で感覚し、生きている[Ma blessure a enfoncé dans ma chair les roses du soir de mai où j'ai été blessé. Je sens, je vis avec le coeur que j'avais alors]. (ジョー・ブスケ Joë Bousquet, Mystique)


ーー深い傷は死ぬまで癒えないよ、



ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」)


ーーガキにはわかんねえのかな、これ。



「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。[»Man brennt etwas ein, damit es im Gedächtnis bleibt: nur was nicht aufhört, wehzutun, bleibt im Gedächtnis« - das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden.](ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)


ーーアッタリマエだろ、これ?



美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (Jean Genet, L’atelier d’Alberto Giacometti) (ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』)


ーーこれワカンネエやつは、キレイしかしらないヤツだよ



で、この傷[blessure]ってのはトラウマのことだよ。こんなことは仏ウィキにさえ書いてある。

トラウマ(ギリシャ語のτραμα(トラウマ)=「傷」に由来)とは、損傷、または衝撃のことである[Un traumatisme (du grec τραμα (trauma) = « blessure ») est un dommage, ou choc](Wikipedia)


文学的に夢想耽ってるんじゃないよ、傷って何かしら、なんて。


で、この傷なるトラウマが享楽だよ。


傷つけられた享楽 [jouissance blessée](コレット・ソレールColette Soler, Les affects lacaniens, 2011)

われわれはトラウマ化された享楽を扱っている[Nous avons affaire à une jouissance traumatisée. ](J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009)



トラウマってのは身体の出来事のことだ。


享楽は身体の出来事である。身体の出来事の価値は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。この身体の出来事は固着の対象である。la jouissance est un événement de corps. La valeur d'événement de corps est […]  de l'ordre du traumatisme , du choc, de la contingence, du pur hasard,[…] elle est l'objet d'une fixation.  (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)


ある臨界を超えた強度の身体の出来事は傷として固着して反復強迫する。


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。


また疑いもなく、初期の自我への傷である。gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs 〔・・・〕このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる。Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



起源は幼児期の傷にある。


フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)

初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)


だから傷=トラウマ=固着=リアルな愛(享楽)はセットだよ


愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである[L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. ](David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)


このリアルな愛の固着の上に、見せかけ(嘘)としてのシンボリックな対象愛とイマジネールな自己愛があるだけだ。



人間はこういう風に出来上がってんだよ


ま、リアルは知らないほうがいいのかもしれないけどさ


破壊は唯一、愛の享楽の顔である[le ravage, c'est seulement la face de jouissance de l'amour](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme   18/3/98 )

私のように天分に恵まれた人間は世界にはいないわ、冥界の力よ、愛しているものを破壊するの[Aucun être au monde n'est doué comme moi de ce pouvoir infernal : détruire ce qu'il aime. ](バタイユの愛人コレット・ペニョColette Peignotの書簡1935ーーバタイユ宛だが未送付)