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2022年12月10日土曜日

ドゥルーズ研究者へのオススメ

 

あのね、ボクは何回も繰り返してんだが、ドゥルーズ派が「この今になっても」フロイトのトラウマ、ラカンの現実界を批判するフリをするとき、何よりもまず『差異と反復』の序章と2章の次の文をどう読んでるのかい、って疑問があるね


①原抑圧=反復の内的原理

フロイトが、表象にかかわる「正式の」抑圧の彼岸に、「原抑圧」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前、あるいは欲動が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じる。

lorsque Freud, au-delà du refoulement « proprement dit » qui  porte sur des représentations, montre la nécessité de poser un  refoulement originaire, concernant d'abord des présentations  pures, ou la manière dont les pulsions sont nécessairement  vécues, nous croyons qu'il s'approche au maximum d'une raison  positive interne de la répétition(ドゥルーズ『差異と反復』「序」1968年)


②固着=トラウマ=自動反復

固着と退行概念、それはトラウマと原光景を伴ったものだが、最初の要素である。自動反復=自動機械 [automatisme] という考え方は、固着された欲動の様相、いやむしろ固着と退行によって条件付けれた反復の様相を表現している。

Les concepts de fixation et de régression, et aussi de trauma, de scène originelle, expriment ce premier élément. (…)  : l'idée d'un « automatisme » exprime ici le mode de la pulsion fixée, ou plutôt de la répétition conditionnée par la fixation ou la régression.(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年)



連中はフロイトラカンどころかドゥルーズのこの主著のこの文だってまともに読めていないよ。ま、学者ってのはーードゥルーズ学者に限らず、ーーおおむねそういうもんだろうけどさ。


上の二文ってのはフロイトの次の二文の厳密な言い換えだよ。



❶原抑圧=固着

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen]〔・・・〕

(原抑圧された欲動の回帰としての)侵入は固着点から始まる[Wiederkehr des Verdrängten…Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー)1911年、摘要)


❷自動反復=固着を通した無意識のエスの反復強迫

欲動蠢動は「自動反復 Automatismus」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧においての固着の契機は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。

Triebregung  […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)



トラウマという語が出てきていないから、次の文もつけ加えておこう(この文自体は、ドゥルーズはおそらく読み込んでいない)。


❸トラウマへの固着と反復強迫

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


ーー重要なのは「トラウマ=身体の出来事」であり、或る一定以上の強度の身体の出来事は固着が起こり反復強迫することだ。




で、ラカンの現実界はこのトラウマであり、原抑圧=固着だ。


◼️現実界=トラウマ=穴=原抑圧

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


◼️現実界=モノ=同化不能=固着=トラウマ=反復

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

[言語に]同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)

現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma, ](Lacan, S11, 12 Février 1964)

フロイトの反復は、同化されえない現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する[La répétition freudienne, c'est la répétition du réel trauma comme inassimilable et c'est précisément le fait qu'elle soit inassimilable qui fait de lui, de ce réel, le ressort de la répétition.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )




現実界の享楽ももちろんトラウマだ。

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)



したがって反復は享楽の回帰とは「トラウマの回帰」のこと。

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


このトラウマの回帰は例えばフロイトの次の文に相当する。

結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)



トラウマの回帰といっても身体の出来事の回帰なんだから、喜ばしいトラウマの回帰もあるよ。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)


ーーこの喜ばしいトラウマの回帰はプルーストにふんだんにある。



トラウマの回帰の別の言い方は固着点への回帰だ(先に掲げた「症例シュレーバー」参照)。

現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »]  (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)



「享楽の一者」とあるのは身体の出来事の表象(シニフィアン)のこと。

享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある、衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である。la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021)



…………………………



日本のドゥルーズ研究者には、フロイトラカンよりもーーどうせ連中にはムリだからーー『差異と反復』の先の文とその前後をしっかり読み込むことをオススメするよ。例えば潜在的対象Xって何?とかさ、ーー《反復は、ひとつの現在からもうひとつへ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成される。La répétition ne se constitue pas d'un présent  à un autre, mais entre les deux séries coexistantes que ces  présents forment en fonction de l'objet virtuel (objet = x). 》(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年)。


こんなの固着点に決まってんだけどさーー《対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ]》(Lacan, S10, 26 Juin 1963)



ま、同時期の『プルーストとシーニュ』とともに、なんてムリなことは決して言わないさ、どうせプルーストなんか読めはしないのはわかってるから。



昔スワンが、自分の愛されていた日々のことを、比較的無関心に語りえたのは、その語り口のかげに、愛されていた日々とはべつのものを見ていたからであること、そしてヴァントゥイユの小楽節が突然彼に痛みをひきおこした[la douleur subite que lui avait causée la petite phrase de Vinteuil] のは、愛されていた日々そのものをかつて彼が感じたままによみがえらせたからであることを、私ははっきりと思いだしながら、不揃いなタイルの感覚、ナプキンのかたさ、マドレーヌの味が私に呼びおこしたものは、私がしばしば型にはまった一様な記憶のたすけで、ヴェネチアから、バルベックから、コンブレーから思いだそうと求めていたものとは、なんの関係もないことを、はっきりと理解するのであった。(プルースト「見出された時」)


ーー《疑いもなく享楽があるのは、痛みが現れ始める水準である[Il y a incontestablement jouissance au niveau où commence d'apparaître la douleur]》(Lacan, Psychanalyse et medecine, 1966)、《私の享楽あるいは私の痛みma jouissance ou ma douleur]》(ロラン・バルト『明るい部屋』第11章、1980年)


トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)


おい、チョロいドゥルーズ学者の寝言を引用しておバカなこと言って来んなよ、もう。とくに西の方の国立大学の「ドゥルーズ研究第一人者」なる人物は最悪だよ、木瓜の花博士を大量生産してるようだがね。