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2023年1月7日土曜日

ヒペルムネジー hypermnésie(過剰記憶)あるいは「女狂い」

 

調子を取り戻すためにはやっぱり「女狂い」の話がいいかもな

以下、ヒペルムネジー hypermnésie(過剰記憶)をめぐる。


「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう苛酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出し、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。


私には、『失われた時を求めて』の話者の記憶は、抑圧を解除されたフロイト的記憶よりも外傷的なジャネの記憶の色を帯びているように思える。プルーストの心の傷の中には、母親に暴言を吐き、ひょっとすると暴力を振るってしまったことによる傷があっても不思議ではないと私は思う(『ジャン・サントゥイユ』あるいはペインターの『プルースト伝』参照)。私は初めて『失われた時を求めて』を読んだ時、作家は家庭内暴力を経ている人ではないかと思った)。もっとも、『失われた時を求めて』は贖罪の書では決してない。むしろ、世界を論理的に言葉で解析しつくそうとするドノヴァンとマッキンタイアのいう子どもの努力のほうに近いだろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)




ヒペルムネジー hypermnésie(過剰記憶)は、ヴァレリーやプルーストだけではなく、中井久夫自身、その資質をもっているそうだ。


三十五、六歳であったと思うが、米国のある財団からの奨学金でレポートを書いていた時、それは非常に難しいテーマであったが、私の本棚の本の表紙を眼にすると、それだけでその本の内容が思い出されて、邪魔になってしかたがなく、ついに(当時の家は狭かったので)本を裏向きにして表紙を見えないようにしなければならないことがあった。このヒペルムネジー(想起力昂進)はいささか危ない状態であったと思うが、本の表紙が読んだ内容の想起を促すサブリミナルな刺激を与え続けていることに早くから私は気づいていた。本を売るとてきめんに内容を忘れるからである。大学の私の部屋から、私が読み込んで書き込みをしていた、入手困難な本が何冊かなくなったことがあって、犯人はついにわからなかったが、私に残った感覚は「ロボトミーをされたらこうもあろうか」という感覚であって、そのもどかしい欠落感は十年後の今も生々しい。(中井久夫「記憶について」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)



あるいはーー、


昨日、私は京都から帰って来た。カゼをこじらせ、咽喉を腫らせ、肩をひどく凝らせて。いつも楽に上がれる最寄りの地下鉄の駅の階段がピラミッドのようにそそり立って見えた。


京都は、いつも私を過剰な影響で圧倒しようとする。この三年、身体が急に弱くなったのも京都に往診を繰り返した一カ月の翌月からだった。その病からは二年掛かって回復したが、依然、京都に接近するたびに私には何かの故障が起こる。おそらく初老になって形に現われるようになっただけで、この街との不適合性は私の若い時から存在しつづけていたはずだ。〔・・・〕


私には、この街で行うことはすべて挫折を約束されていた。私は初め内的に反抗し、ついで二度脱出を試みた。一度は大阪に、二度目は東京に。そして二度目に脱出は成功した。


もっとも私が、依然、京都との「接触の病い」から本復していないことは冒頭に述べた通りである。京都に数時間留まることは、ほとんどプルースト的な、しかしはるかに悪魔的な記憶のパンドラの箱を開けることである。それは、精神病理学で「ヒペルムネジー」(過剰記憶)といわれるものであり、たまたま私には、年齢に従って衰えるはずのこの能力が依然あるために、数カ月分の健康が一日で破壊されるのであろう。〔・・・〕


精神科医が都市を論じる資格があるとすれば、それは単に、その職業によって、他の人々の立ち入れない地下水脈を知るからだけではないと私は思う。それは隠し味にはなるだろうが、ほとんどすべて書くことができないか書きたくない。その他に、職業ゆえか、その職業を選ばせた個人的特性かは知らず、“過剰な影響”に身を曝す習性があると思う。精神科医の第一の仕事はまず感受することである。


過剰な影響といったが、それは特別なものではない。おそらく、普通の人にとっては、意識のシキイ以下で作用しているものであろう。


精神科医は「穿鑿する人」ではないと思う。「まず感受すること」といったが、「観察」と「感受」との差が非常に近いということだ。望遠鏡でも顕微鏡でもなく、さりとて音叉でもなく、アンテナのように、あるいはその原義(昆虫の触覚)のようにーー。(中井久夫「神戸の光と影」初出1984年『記憶の肖像』所収)




過剰記憶は、《特別なものではない。おそらく、普通の人にとっては、意識のシキイ以下で作用しているものであろう》とあるように、意識されていないだけで、普通の人たちにも作用しているという診断のようだ。


そしてこの作用は結局、フロイトの「異物」に関わるということになる。



一般記憶すなわち命題記憶などは文脈組織体という深い海に浮かぶ船、その中を泳ぐ魚にすぎないかもしれない。ところが、外傷性記憶とは、文脈組織体の中に組み込まれない異物であるから外傷性記憶なのである。幼児型記憶もまたーー。(中井久夫「外傷性記憶とその治療―― 一つの方針」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収)



《主として鮮明な静止的視覚映像》とあるが、別にこうもある。


ここで、視覚だけでなく、聴覚、味覚、運動感覚、振動感覚も外傷性フラッシュバックを起こすことを強調しておきたい。(中井久夫「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)




さて一般には「異物」と訳されてきたFremdkörperは「異者としての身体」とも訳されうる語である。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)



このレミニサンスする異物なるトラウマが、ラカンの現実界である。

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)


現実界=モノ=異者(異者としての身体)である。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)


フロイトは異物=異者としての身体を「エスの欲動蠢動」とも言った。

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen] (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)



なお、フロイトにおけるトラウマは自己身体の出来事[Erlebnisse am eigenen Körper]、固着[Fixierung]=不変の個性刻印[unwandelbare Charakterzüge]を意味し[参照]、これ自体、中井久夫のトラウマの定義と同様である。


中井久夫は「記憶について」(1996年)で、「外傷性記憶」=「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」としつつ、喜ばしい外傷性フラッシュバックもありうるとしている。


なおフロイトはロマン・ロラン70歳誕生祝いの手紙で次のように書いている。


疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, […] Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)



この異者は事実上、或る一定の強度を超えた身体の出来事への固着(リビドーの固着=欲動の固着)によって発生する。さらに言えば、フロイトラカンにおいて愛の条件自体、この固着に関わる。


愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年)

忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを[N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour]  (Lacan, S9, 21  Mars 1962)

愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである[L'amour est donc toujours répétition, (…) Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. ](David Halfon,「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)



………………


ここでもう一度、中井久夫に戻ろう。ヴァレリーの「女狂い」をめぐる記述である。


「身体の傷は何カ月かで癒えるのに心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す」と老いた詩人ポール・ヴァレリー(1871-1945)はその『カイエ』(生涯書き綴ったノート)に記している。心の傷の特性は何よりもまず、生涯癒えないことがあるということであろう。八カ月で瘢痕治療する身体の外傷とは画然とした相違がある。〔・・・〕


外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。


しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。〔・・・〕


外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。


二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩として結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。


しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。


他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)






私はあなたを思って気が狂いそうになる。私は「気が狂う」と言った。このオブセッションは常軌を逸しているから。

Je deviens fou de penser à toi. Je dis « fou » car cette obsession se fait anormale.(Lettre de Paul Valéry à Jean Voilier, 7 juin 1939)


「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である[»Man brennt etwas ein, damit es im Gedächtnis bleibt: nur was nicht aufhört, wehzutun, bleibt im Gedächtnis« - das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden.](ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)

現実界は書かれることを止めない[ le Réel ne cesse pas de s'écrire] (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)


現実界=トラウマ=傷であり、上のニーチェとフロイトは事実上、同じことを言っている。


最後にプルーストも引用しておこう。


ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ](プルースト「逃げ去る女」)