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2023年10月16日月曜日

地獄からの途切れがちの声

 

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家(谷川俊太郎「おやすみ神たち」)


この谷川俊太郎の「コトバとコトバの隙間」はエリオットの言っているのと似ている、ーー

エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)


コトバで油断させて神が読者の心に滑り込んでくるーー、西脇順三郎の詩にもこの感覚を抱くことがしばしばあるな。



柿の木の杖をつき

坂を上つて行く 

女の旅人突然後を向き 

なめらかな舌を出した正午


ーー西脇順三郎「鹿門」




ところで何度か掲げている中井久夫の「冥府下り」と「冥府からの途切れがちの声」というのがある。



「若きパルク」は「誰が泣くのか、過ぎ行く一筋の風ならで/いやはての星々とともにひとりあるこのひとときに」で始まる。『ドゥイノの悲歌』は「誰が、たとえ私が叫ぼうとも、天使たちの序列の中から私の声を聞いてくれようか」で始まる。いずれも鋭い、答えのない「誰が?」で始まる。

そうして「若きパルク」では個人の意識の中に、『ドゥイノの悲歌』では人間の現存在世界とでもいうべきものの中に、ずんずん下って行く。『荒地』だけは問いかけではなく、「四月は残酷な月だ」で始まるが、中途に「誰が?」「誰だ?」という問いかけをいく度も放ちながら、現代社会の荒廃と索莫の地獄めぐりを行う。いずれの詩も最後近くににわかに上昇に転じ、肯定で終わるが、肯定は唐突であり、どこかに弱さがある。読み終えた者の耳に残るものは不安で鋭い問いかけの方である。

これらの詩を二十世紀後半の詩と隔てるものは何であろうか。

私たちは三歳から五歳以後今まで連続した記憶を持っている。むろん忘却や脱落はあるが、にもかかわらず、自我は一つで三歳以後連続している確実感がある。それ以前の記憶は断片的である。また成人型の記憶は映画やビデオのように、いやもっとダイナミックに動いているが、ある時期の記憶は前後関係を欠き、孤立したスティール写真のような静止画像である。成人型の記憶と違って、言葉に表しにくい。


「若きパルク」も『ドゥイノの悲歌』も、『荒地』でさえも、映像も言語も成人型の記憶のように動き流れていく。断絶や飛躍を越えて連続性がある。前後関係があり遠近がある。

これに対して、二十世紀後半の詩は孤立した鋭い断片であって、成人以前の記憶が禁止を破って突き上げてきた印象がある。このタイプの映像は幼い時の記憶だけでなく、たとえ成人であっても耐えがたい心の傷を負った時には、その記憶がとる形である。


たとえばパウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)


でも西脇順三郎や谷川俊太郎の詩はどちらでもない。地上に留まったままの詩句の裂目になにものかがふと現れる効果を持つものが多い。



些細な詩  谷川俊太郎


もしかするとそれも些細な詩

クンデラの言うしぼられたレモンの数滴

一瞬舌に残る酸っぱさと香りに過ぎないのか

夜空で月は満月に近づき

庭に実った小さなリンゴはアップルパイに焼かれて

今ぼくの腹の中

この情景を書きとめて白い紙の上の残そうとするのが

ぼくのささやかな楽しみ

なんのため?

自分のためさ



さて、次の『白暗淵』の文は、もちろん地上にとどまったままでもなく、前期古井由吉の冥府下りでもまったくない。


空は黄身を含んだ暗色に閉ざされて、明けたともつかず、地表から白み出す。それにつれて道の両側の煙の中から残骸がつぎつぎに集まってくるように現われる。黒く焦げた柱が大小さまざまな得体の知れぬ杭のように立ちあがる。頭を焼かれた樹が手先の欠けた腕を天へ伸べて、焼け跡をさまよう人影に見える。まれに難を逃れた家屋の、無事のたたずまいがなまじ、まがまがしい。さらに明けてくる中を歩くうちに、つい未明に焼け落ちたばかりの瓦礫の原が、もう十年も二十年も昔からそのままにひろがっていたかのように、昨日までのことが遠くへ断たれる。家へ向かうこの歩みだけが昨日を繋ぐ。急いではならない。急ぐほどに道は遠くなる。急いで踰えられるような距離ではない。時間も空間も永遠の相を剥いている。歩調を乱してもならない。立ち止まるのはまして危ない。足を止めて辺りを見まわしたら最後、魂が振れて、昨日と今日とのあいだにぽっかりとあいた宙に迷い出し、妻子の安否も忘れることになりかねない。


血の赤さの太陽がいきなり行く手の中空に掛かった時には、ただ今の今を踏む足取りになっている。焦げた柱も樹木も、崩れた壁も赤い光を受けて、やわらかな影を流している。変わり果てた姿ながら、静かにあけた早朝の雰囲気に変わりない。長閑だ、狂ったように長閑だ、とつぶやいては、その声の長閑さをまた狂ったように感じる。先のことは見えず、過ぎたことは過ぎたところから消える。それでも何歩めかごとに、運命がそこで定まる境目へ踏み込むような、この一歩に妻子の安否が掛かっているような、空恐ろしさがひざ頭から走り股間に迫る。(古井由吉『白暗淵』2007年)



これはまさに地獄からの途切れがちの声だよ、


焼跡とひと口に言われるが、たとえば昭和二十年三月十日の江東深川大空襲の跡は、すくなくともその直後においては、焼跡と呼ぶべきでない。あれは地獄であった。同様にして広島長崎の原爆の跡も、すぐには焼跡とは呼ばない。

初期の空襲に家や地域を焼きはらわれた人たちもやはり、その跡に立って、いわゆる焼跡の 感情はいだけなかったかと思われる。もっとまがまがしい、悪夢の光景だったはずだ。(古井由吉「太陽」1989 年 7 月号)



前回、「私にとって古井由吉は何よりもまず外傷性戦争神経症の人」としたのは、先の白暗淵に典型的に現れている、ある時期以降の古井由吉の文の印象からだよ。