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2023年10月30日月曜日

キリスト教福音派(Christian Evangelicals)のヤバさ

 少し前次のツイートを拾った。


ははあ、そういうものなのか、という具合で、「民主党のシオニストのネオコン」の多さは十分に認知していたが、「共和党の岩盤支持層の福音派」ってなんだい? といくらか調べてみたんだが、本日も福音派の話が一部で出ているね。



➡︎動画


私も一夜漬け程度の知識しかないが、ヤバいんだよ、とっても。

プロテスタントのキリスト教福音派(Christian Evangelicals)について、数日前メモったいくつかをここに列挙しておこう。


◼️聖地エルサレムの地位と神殿の丘/聖域 船津靖 2020

1967年の中東戦争はアメリカの宗教保守派にも大きな影響を与え,プロテスタントのキリスト教福音派(Christian Evangelicals)がアメリカの中東外交への影響力を強めるきっかけになった。福音派は,ユダヤ国家が聖地エルサレムの「神殿の丘」と,旧約聖書の「ユダヤ,サマリア」の地と重なるヨルダン川西岸地区を支配したことに歓喜した。旧約聖書の『創世記』で現代のイスラエル/パレスチナ地方がユダヤ人への神からの「約束の地」とされていることに加え,ユダヤ教徒の聖地帰還を旧約聖書『ダニエル書』や新約聖書『ヨハネの黙示録』など黙示的終末預言が成就される予兆と受け止めたからだ。 


英米福音派のディスペンセーション主義(dispensationalism)と呼ばれる「天啓史観」では,ユダヤ教徒の聖地エルサレム帰還は,世界の終わりにおける救世主キリストの再臨(the Second Coming)の条件とされる。その後,イスラエル北部での善と悪の最終戦争ハルマゲドン(Armageddon) を経て,エルサレムを中心とする神の「千年王国」 (Millennium)が樹立される,と考えられている。福音派にとってイスラエルの1967年の大勝利は, 1948年のユダヤ国家建国に続き,聖書の終末預言の正しさを証しする出来事と受け止められた。 


福音派はアメリカの有権者の 4人に 1人前後と推定され,大統領選挙や連邦議会選挙に大きな影響力を持っている。福音派の中で,親イスラエル右派の政策を強く支持する宗教指導者や教会員らはキリスト教シオニスト (Christian Zionist)と呼ばれる。共和党のレーガン政権(1981-89年)を 支えた福音派の圧力団体「モラル・マジョリティ」のジェリー・ファルエル師らが著名だ。巨大な教会を運営し,テレビで大衆伝道するテレヴァンジェリストも少なくない。ブッシュ(子)政権(2001-09年),トランプ政権(2016~)などその後の米共和党政権でも重要な支持基盤を構成し,アメリカの親イスラエル中東外交を動かしている。



◼️米大使館エルサレム移転と福音派の黙示的終末論 船津靖 2021

ドナルド・トランプ米大統領は2017年12月,在イスラエル・アメリカ大 使館を地中海岸のテルアビブから山間の聖地エルサレムへ移転すると発表 した。米大使館の聖地移転には数年を要するとの見方もある中,トランプ 政権は翌2018年 5月にエルサレムで新大使館の開館式典を行った。アメリカの中東外交史上,異例の親イスラエル政策である。 


トランプ政権の親イスラエル政策は,アメリカの有権者の約 4人に 1人 と推定されるキリスト教福音派の存在を強く意識したものだ。福音派の多くは宗教上の理由からイスラエルの右派政権を支持する。トランプ政権に限らず超大国アメリカの外交・安全保障政策には,国際社会の合意や規範よりも聖書の逐字的,預言的解釈を重視する福音派が大きな影響を与えてきた。 


福音派は「神による人類の救済計画」におけるユダヤ教徒の役割を重視 する。20世紀半ばのユダヤ国家イスラエル建国を聖書の「ユダヤ教徒の聖 地再定住」に重ねる。イスラエル国家を支持することが「(古い)世界の終わり」や「救世主(メシア)イエスの再臨」, 「神が支配する(千年)王国」の到来に貢献すると考える。福音派の中で,イスラエル占領下に生きるパレスチナ人の窮状に視線が届く人は少数だ。



◼️福音派ロビーの台頭 ―エルサレム問題にみるイスラエル・ロビーの変化

立山良司 2018

ジョン・ミアシャイマーとスティーブン・ウォルトは、米国のイスラエル・ロビーを「米国の対外政策を親イスラエルの方向に動かそうと積極的に働きかけている個人や組織の緩やかな連合体」と定義している。John J. Mearsheimer and Stephen M. Walt, The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy, Farrar, Straus and Giroux, 2007


これこそ米国の闇だねえ、、、


信念ってのは怖いよ、

信念は牢獄である[Überzeugungen sind Gefängnisse]。それは十分遠くを見ることがない、それはおのれの足下を見おろすことがない。しかし価値と無価値に関して見解をのべうるためには、五百の信念をおのれの足下に見おろされなければならない、 ーーおのれの背後にだ・・・〔・・・〕


信念の人は信念のうちにおのれの脊椎をもっている。多くの事物を見ないということ、公平である点は一点もないということ、徹底的に党派的であるということ[Partei sein durch und durch]、すべての価値において融通がきかない光学[eine strenge und notwendige Optik in allen Werten] をしかもっていないということ。このことのみが、そうした種類の人間が総じて生きながらえていることの条件である。〔・・・〕


狂信家は絵のごとく美しい、人間どもは、根拠に耳をかたむけるより身振りを眺めることを喜ぶものである[die Menschheit sieht Gebärden lieber, als daß sie Gründe hört...](ニーチェ『反キリスト者』第54節、1888年)



特に宗教的信念はとってもコワイよ

信者の共同体[Glaubensgemeinschaft]…そこにときに見られるのは他人に対する容赦ない敵意の衝動[rücksichtslose und feindselige Impulse gegen andere Personen]である。〔・・・〕

宗教は、たとえそれが愛の宗教[Religion der Liebe ]と呼ばれようと、所属外の人たちには過酷で無情[hart und lieblos]なものである。もともとどんな宗教でも、根本においては、それに所属するすべての人びとにとっては愛の宗教であるが、それに所属していない人たちには残酷で不寛容 [Grausamkeit und Intoleranz ]になりがちである。

(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)

人間の宗教は集団妄想[Massenwahn]の一種と見做すべきである。言うまでもなく、妄想に囚われている人間はそれが妄想であることを認めない。Als solchen Massenwahn müssen wir auch die Religionen der Menschheit kennzeichnen. Den Wahn erkennt natürlich niemals, wer ihn selbst noch teilt. (フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第2章, 1930年)