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2024年5月11日土曜日

自分が持っている特権はなんだろう?


 好い言葉だな、


これもーー、


ーー特権を持っている人は、ガザに、パレスチナに、触れ続けないとな。そして小さな事でいいから行動しないと。

私は「沈黙は共犯」と言い続けてきたが、これは特権のない人たちにはいささか酷な言い方かもしれないよ。


例えば、ーー何度か掲げてきたがーーフロイト曰くの病人のエゴイズム[Egoismus der Kranken]に閉じ籠らざるを得ない環境に置かれている人もいることだろうし。


器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心[libidinöse Interesse] を自分の愛の対象[Liebesobjekten] から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。


このような事実が月並みだからといって、これをリビドー理論[ Libidotheorie] の用語に翻訳することをはばかる必要はない。したがってわれわれは言うことができる、病人は彼のリビドー備給を彼の自我の上に引き戻し、全快後にふたたび送り出すのだと[Der Kranke zieht seine Libidobesetzungen auf sein Ich zurück, um sie nach der Genesung wieder auszusenden.]

W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している[Einzig in der engen Höhle]」と述べている。リビドーと自我の関心[Libido und Ichinteresse]とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズム[Der bekannte Egoismus der Kranken]はこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心[intensiver Liebesbereitschaft]が、肉体上の障害のために追いはらわれ、突然、完全な無関心[völlige Gleichgültigkeit]にとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』第2章、1914年)



さらに言えば、世間には発言したらクビを恐れなければいけない人もいるだろうからな。


大多数の「ジャーナリスト」は、自分のキャリアや生活が突然行き詰まらないように、国家が流す嘘や誤報を文句も言わずにただただ垂れ流しているだけだ

The vast majority of “journalists” simply churn out lies and misinformation handed down by the state without complaint, lest their careers and livelihood arrive at a sudden dead end.   (Fake News, Fake Putin Nuclear Threat, Kurt Nimmo Oct 24 2022)



「ジャーナリスト」だけでなく、かなりの割合の人は《自分のキャリアや生活が突然行き詰まらないように》ムッツリしてしてるんだろうがね。これも特権のない人と呼ぶべきなんだろうかね、

ところでーー、次のたぐいのエゴイズムの人々はどうだろう?

一般にエゴイズムといわれるものは自己愛ではなく、遠近法の効果である。人は、自分がいるところから見える物の配置が変わることを悪と呼び、その地点から少し離れたものは見えなくなってしまう。中国で十万人の大虐殺が起こっても、自分が知覚している世界の秩序は何の変化もこうむらない。だが一方、隣で仕事をしている人の給料がほんの少し上がり、自分の給料が変わらなかったら、 世界の秩序は一変してしまうであろう。それを自己愛とは言わない。人間は有限である。だから、正しい秩序の観念を、自分の心情に近いところにしか用いられないのである。

Ce qu'on nomme généralement égoïsme n'est pas amour de soi, c'est un effet de perspective. Les gens nomment un mal l'altération d'un certain arrangement des choses qu'ils voient du point où ils sont ; de ce point, les choses un peu lointaines sont invisibles. Le massacre de cent mille Chinois altère à peine l'ordre du monde tel qu'ils le per-çoivent, au lieu que si un voisin de travail a eu une légère augmenta-tion de salaire et non pas eux, cet ordre est bouleversé. Ce n'est pas amour de soi, c'est que les hommes étant des êtres finis n'appliquent la notion d'ordre légitime qu'aux environs immédiats de leur coeur.

(シモーヌ・ヴェイユ 「前キリスト教的直観」Intuitions pré-chrétiennes )


こういった人々を「特権のない人」と呼び出したら、ガザジェノサイドに沈黙しているほとんどの人をーー困ったことにーー許さなくちゃいけなくなるんだ。

だから「特権のない」ではなく、ガザに住む人々と比較して「自分が持っている特権はなんだろう?」について思いを馳せることだよ。そしてその特権を基盤にして、些細なことでもいいから行動することだ。


……………

※附記

◾️ミュージシャンMACKLEMORE(マックルモア)のスピーチ(Atsuko S@atsyjp)による邦訳


最高に純粋なアートの形、それは抵抗だ


人前で歌えることは特権だ
コンサートで人前に立って恐れずに済むことも
コンサートに行けるってことがね


俺んとこには色々なコメントがくる


黙れラップだけやってろお前の話なんか聞きたくねえ
”アーティスト”らしくして歌でも歌ってろ


全然ノーでしょ


最高に純粋なアートって
抵抗なんだよ


最高にピュアなアートは
心の底から溢れてくる


それは人々をつなげ
一つにする


俺が自分の心に従うのをやめて
重要なことを世界の前で語らなくなる日が来たら
俺はもうステージに立つ意味がない


そしてその日は今日じゃない


俺は連帯のためにここに立ってる
俺はパレスチナ解放のためにここに立ってる


俺が今日ここに立ってるのは
解放と自由と平等のメッセージを伝えるためだ
すべての人間のためのな


自分らの違いじゃなくて
似たところを見ようぜ


今世界で起きていることを見ると
胸が潰れそうになる


そして自分の子や家族を見て思うんだ

俺が今パレスチナにいたら
ガザにいたら、ラファにいたら

世界に何をして欲しいと望むだろうって


俺なら世界に言ってほしい
フリーパレスチナ!


すべての人間に解放を
すべての人に平等を!


ずっとそれを伝えてきた


誤解すんな
ずっとそれを伝えたかったんだ


これからもずっと
それは愛のメッセージなんだ