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2024年7月12日金曜日

反ジヴァロニアン


折に触れて言っているつもりだが、このブログの基本は《共同体が容認する物語に翻訳》しない、つまり要約しないことだ。

蓮實)僕がやっている批評のほとんどは無駄に近い列挙なんです。〔・・・〕ところがいまの若い人たちは列挙しないんですね。非常に優雅に自分の言葉に置き換えちゃっている。〔・・・〕僕の無駄というのは、その無謀な列挙にある。なぜ列挙するかというと、列挙することそのものがかろうじて根拠たりうるようなものしか論じないからです。〔・・・〕


流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦-柄谷行人対談集『闘争のエチカ』1988年)


いまはこの《凡庸化》が跳梁跋扈している。特にツイッターがその短文形式の特性もあってひどい。私はこの10年ほどフロイトラカンにいくらか首を突っ込んだが、学者たちの共同体が容認する物語に翻訳にウンザリしてきた。あの要約から多くの誤読誤謬が生まれる。


そして収拾がつかなくなる。

浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」)



この共同体が容認する物語への翻訳としての要約=凡庸化は、蓮實重彦がおおいに影響を受けているロラン・バルトの言い方ならジヴァロ化である。


本質規定からいって、教師の言述は要約することができる(あるいは、できなければならない)という性格を帯びる(これは国会議員の演説と共通する特権である)。周知のように、わが国の学校では、テクストの要約と呼ばれる訓練が行わている。この呼び方が、まさに、要約のイデオロギーをいい当てている。すなわち、一方に、《思想》という、メッセージの対象であり、行動の要素、科学の要素である。他動的な、あるいは、批判的な力があり、もう一方に、《文体》という、贅沢、閑暇、したがって、無用なものに属する装飾がある。文体から思想を切り離すことは、いわば、言述から聖職的な衣をはぎ取ることであり、メッセージを世俗化することである(そこから、教師と代議士とのブルジョワ的結合が生ずる)。《形式》は圧縮し得るものであると考えられているのえあり、この圧縮は本質的に害を与えるものとは考えられていない。実際、遠い所、つまり、わが西欧の境界を越えた所では、生きているジヴァロの頭と縮小したジヴァロの頭との差異はそれほど重大だろうか。

訳者註)ジヴァロ:アマゾン河上流のインディアン。戦いの後、敵の首を切り、その皮をはぎ、食物の煎じ汁につけたり、熟した石で加工し、拳大の大きさに縮小するという。

教師にとって、自分の講義中、生徒の取る《ノート》を見るのはむずかしい。彼はほとんど見ようとしない。慎みからからか(なぜなら、この作業の儀礼的な性格にもかかわらず、《ノート》ほど個人的なものはないからである)、あるいは、こちらの方が当たっていそうだが、同族の者に加工されたジヴァロのように、死んで、物質的で、しかも縮小された状態にある自分を見るのが怖いからであろう。パロールの流れの中から取られた(差し引かれた)ものがどこにも当てはまる言表(公式、文)であるのか、推論の要点なのか、わかりはしない。どちらの場合にも、失われたものは付加物であるが、そこにこそ言語活動の賭け金が投ぜられているのである。要約はエクリチュールの拒否である。

逆の結論として、要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわち、ある種のシニフィアンの実践)が明確にしなければならない条件である。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」1971、沢崎浩平訳)



前回の、主に世界大戦とマルクスに関わる記事もアンチジヴァロニアンとしての振舞いの一環だよ。とはいえあの程度の引用で「何かを理解したかのような気分」にけっしてならないことだね。



何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そうすることで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解したかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥りがちなのです。


だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態たといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」になるためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、むなしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にすぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のうちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彦『齟齬の誘惑』1999年)



ま、簡単に言えば、《人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる》(デカルト『方法序説』)だよ。