2025年8月4日月曜日

しかし何故なんだろうか

 



しかし何故なんだろうか、殆どの日本人が無関心なのは。

私は性善説に括られる孟子、特にその惻隠の情を疑っているがーーある条件があっての初めての惻隠であることをニーチェ、ルソー、フロイトの捉え方を列挙して示したことがある➤「同情する人間と同情しない人間」ーー、仮に孟子の説をそのまま受け止めれば、現在の大半の日本人は人非人であるだろう。


人皆人に忍びざるの心有り。

先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政(まつりごと)有り。

人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運らすべし。


人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、今人乍(たちま)ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隠の心有り。

交はりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。

誉れを郷党朋友に要むる所以に非ざるなり。

其の声を悪みて然するに非ざるなり。

是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。

羞悪の心無きは、人に非ざるなり。

辞譲の心無きは、人に非ざるなり。

是非の心無きは、人に非ざるなり。

惻隠の心は、仁の端なり。

羞悪の心は、義の端なり。

辞譲の心は、礼の端なり。

是非の心は、智の端なり。

人の是の四端有る、猶ほ其の四体有るがごときなり。

(孟子「公孫丑編」)






「春秋二義戦ナシ」とは孟子の言葉である。日本国の十五年戦争、南京虐殺から従軍慰安婦、捕虜虐待から人体実験まで―を冒したことは、いうまでもない。そういうことのすべてが、いまからおよそ半世紀まえにおこった。 いくさや犯罪を生みだしたところの制度・社会構造・価値観―もしそれを文化とよぶとすれば、そういう面を認識し、分析し、批判し、それに反対するかしないかは、遠い過去の問題ではなく、当人がいつ生まれたかには係りのない、今日の問題である。直接の責任は、若い日本人にはない。しかし間接の責任は、どんな若い日本人も免れることはできない。かつていくさと犯罪を生み出した日本文化の一面と対決しない限り、またそうすることによって 再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうと努力しない限り。たとえば閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別...。(加藤周一『夕陽妄語2』)


※一般に孔子が編集したとされる『春秋』への批判の言葉としての「春秋に義戦なし」だが、実際はそんな簡単な話ではないらしい参照『墨子』の非攻と『孟子』の義戦



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