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2025年11月2日日曜日

湖西のメタセコイアの並木道、あるいはけやき遊歩道

 



そうそう、ここは実に美しい。

30歳前後のバブル最盛期、当時惚れ込んでいた祇園花見小路のチーママに「湖西にドライブに行きましょ」と言われて、この滋賀県琵琶湖湖畔近くの2キロ強続くメタセコイアの並木道に導かれたのだが、実に爽快だった。しかもこの滋賀県高島市の並木道の先にはなぜか連れ込み宿が林立しているのである・・・


私はもともと並木道愛好家で、とくに女と連れ立って歩くのをひどく好む。当時は京都北山にある府立植物園のけやき並木をひどく愛したものである。





これは中学時代の学校からの帰り道ーーいやボクの家に向う帰り道ではなく、「恋人」を送っていく帰り道にあった1キロほどの牛川遊歩道の、京都版である。





私は幸運にも女の美しさーー《日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影》ーーを知るのにトルストイよりも先に故郷の町のけやき並木から知ったのである。


実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかつた。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知らうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だつたのかも知れなかつた。…


この「本から現実」へは常に信輔には真理だつた。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教へなかつた。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教へなかつた。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオテイエやバルザツクやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝へてゐる。若しそれ等に学ばなかつたとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見してゐたかも知れない。(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」1925(大正14)年)




並木と言えば、ベルトルッチ  Novecentoのの糸杉並木も限りなく美しい。






ここに現れるドミニク・サンダにはベタ惚れするよりほかないのである。