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2025年12月7日日曜日

にほふをんなのあそこ

 

須磨の女ともだちからおくられた

さくら漬をさゆに浮かべると

季節はづれのはなびらはうすぎぬの

ネグリジェのやうにさくらいろ

にひらいてにほふをんなのあそこ

のやうにしょっぱい舌さきの感触に

目に染みるあをいあをい空それは

いくさのさなかの死のしづけさのなか


――那河太郎「小品」




無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年初出『時のしずく』所収)


「化学的コミュニケーション」は、女性ルームメイトの月経周期が同期する傾向や、免疫システムが遺伝的に適合しているとされる男性の着たTシャツの香りに女性が惹かれる現象を説明できるとされる。ヒトのフェロモンには、男性の汗に含まれる化学成分であるアンドロステノール(女性の性的興奮を高める可能性がある)や、コピュリンと呼ばれる女性のヴァギナホルモン(一部の研究者は男性のテストステロンレベルを上昇させ性欲を高めると考えている)が含まれる(Tierney, 2011参照)。 私の患者の何人かも同様に、性行為後に自分自身やパートナーに対する嫌悪感を訴える。

“Chemical communication” can supposedly explain the tendency of the menstrual cycles of female roommates to synchronize or the attraction of women to the scents of T-­shirts worn by men whose immune systems are supposedly genetically compatible with theirs. Human pheromones are thought by some to include androstenol, a chemical component of male sweat that may heighten sexual arousal in women, and female vaginal hormones called copulins that some researchers believe raise testosterone levels and increase sexual appetite in men (see Tierney, 2011).  Certain of my patients similarly describe a sense of disgust with themselves and their partners after sex. 

ブルース・フィンクBruce Fink, Lacan on Love: An Exploration of Lacan's Seminar VIII, 2017)





世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし 

世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあひたい


ーー蜀山人太田南畝



「女はその本質からして蛇であり、イヴである」――これはどの僧侶も知っている、したがって「世界におけるあらゆる禍いは女から生ずる」…

»Das Weib ist seinem Wesen nach Schlange, Heva« ― das weiß jeder Priester; »vom Weib kommt jedes Unheil in der Welt« ... (ニーチェ『アンチクリスト』第48節、1888年)

女の一種の原罪、われわれに女たちを愛させるという罪 [une espèce de péché originel de la femme, un péché qui nous les fait aimer] (プルースト「囚われの女」)




男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。

ーー芥川龍之介『侏儒の言葉』1927年



胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。母が堕胎を考えると胎児の心音が弱くなるというビデオが真実ならば、母子関係の物質的コミュニケーションがあるだろう。味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。


触覚や圧覚は、確実性の起源である。指を口にくわえることは、単に自己身体の認識だけではない。その時、指が口に差し入るのか、指が口をくわえるのかは、どちらともいえ、どちらともいえない状態である。口-身体-指が作る一つの円環が安心感を生むもとではないだろうか。それはウロボロスという、自らの尾を噛む蛇という元型のもう一つ先の元型ではないだろうか。


聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。

視覚は遅れて発達するというけれども、やわらかな明るさが身体を包んでいることを赤児は感じていないだろうか。私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(私は死の受容などと軽々しくいえない。死は受容しがたいものである。ただ、若い時とは何かが違って、ひそかに許しているところがあるとはいうことができる)。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年 『時のしずく』所収)




人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか

ーー室生犀星『随筆 女ひと』1955年



出産行為をはっきりした切れ目と考えるよりも、子宮内生活と原幼児期のあいだには連続性があると考えるべきである[Intrauterinleben und erste Kindheit sind weit mehr ein Kontinuum, als uns die auffällige Caesur des Geburtsaktes glauben läßt]。心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な母胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.  ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)


人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)

母胎回帰としての死[Tod als Rückkehr in den Mutterleib ](フロイト『新精神分析入門』第29, 1933年)



かわいそう     谷川俊太郎


わたしはともだちにうそをつくけど

おとなってじぶんにうそをつくのね

わたしはからだがちいさいけど

おとなってこころがちいさいのね

わたしはのはらであそびたいのに

おとなってほんとはおかあさんの

おなかのなかにもどりたいのね

それなのにおかあさんはもういない

おとなってこどもよりずっとずっと

かわいくてかわいそう