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2026年4月16日木曜日

頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれるDr.Fager

 

ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。これがぼくの信念だ。

Ich glaube, man sollte überhaupt nur solche Bücher lesen, die einen beißen und stechen. Wenn das Buch, das wir lesen, uns nicht mit einem Faustschlag auf den Schädel weckt, wozu lesen wir dann das Buch? Damit es uns glücklich macht, wie Du schreibst? Mein Gott, glücklich wären wir eben auch, wenn wir keine Bücher hätten, und solche Bücher, die uns glücklich machen, könnten wir zur Not selber schreiben. Wir brauchen aber die Bücher, die auf uns wirken wie ein Unglück, das uns sehr schmerzt, wie der Tod eines, den wir lieber hatten als uns, wie wenn wir in Wälder verstoßen würden, von allen Menschen weg, wie ein Selbstmord, ein Buch muß die Axt sein für das gefrorene Meer in uns. Das glaube ich.

(カフカ書簡、オスカー・ポラックへ、1904年1月27日 An Oskar Pollak, Dein Franz, Prag, 27. Januar 1904)



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プロフィール画像に若きカフカの肖像を使っている Dr.Fager氏を本日初めて知った。



彼の直近の三投稿は「頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれる」「ぼくらの内の氷結した海を砕く斧効果絶大である。


曖昧模糊たる生ぬるい風に背をなでられた羊のみなさんにも是非とも読むべき文章だ、と私は思う。


羊たちの背をなでる生ぬるい風の上に、かすかに灰色の雲がひろがっていく。(高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978年)

脈絡のないように選んだ断片からさらに抜き書き:「何もない、ことばを横切ってくる光の名残。」「だんなさま、どちらへお出かけで?」「知らない、ただ行く、出ていく。どこまでも行く、そうすれば目的地に着く。」「目的がおありで?」「ある、「言ったはずだ、”出ていく”、のが目的。」「食糧ももたないで」「いらない、長い旅だ、途中で何もなければ飢え死にだ。もっていても助からない。幸いこれこそ果てしない旅だ。」「長い、長い未完成のものの列。」「ひとことだけ。願いだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きて、待っているしるしだけ。願いはいらない、呼吸だけ、呼吸はいらない身振りだけ、身振りはいらない思うだけ、思いもなく静かに眠るだけ。」こうしてまた書いている。(高橋悠治「掠れ書き 10(『カフカノート』の作曲)、2011年2月)

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。


きみは秋の最後の名残とともに去った。生まれかわりのように生まれた子に秋の美しさを讃える秋実の名を残して。

(中井久夫「安克昌先生を悼む」2000年『時のしずく』所収)


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Dr.Fager@johnnys_dream 2026/04/16


重油枯渇が日本を中世に逆戻りさせる日


1. 日本人が信じている石油の致命的な誤解


 多くの日本人が石油危機と聞いて真っ先に懸念するのはガソリン価格の高騰だ。しかし、国民経済の視点から言えば、それは氷山の一角に過ぎない。現代文明を根底で支えているのは、ガソリンのような軽い油ではなく、精製の過程で最後に残るドロドロとした重い油、そして化学製品の母体となるナフサだ。

 

 高市政権が進める米国産石油への過度な傾倒は、一見するとエネルギー安全保障の強化に見える。しかし、米国産のシェールオイルは軽質油であり、日本社会の維持に不可欠な重油やアスファルトがほとんど取れない。この質のミスマッチを無視した対米忠誠は、国家の骨格を自ら抜き去るに等しい行為だ。日本人は今、目先の価格に目を奪われながら、文明崩壊という断崖絶壁への行進を続けている。


2. 日本の物流は重い油がなければ1ミリも動かない


 日本は四方を海に囲まれた島国だ。貿易の99%を支える大型船舶、そして国内の長距離輸送を担うフェリーを動かしているのは、ガソリンではなくC重油だ。米国産石油に依存し油の国内生産バランスが崩れれば、タンカーやコンテナ船は海上で立ち往生する。それは単なる物価高ではなく島国の孤立を意味する。食料も資源も届かず、国内の物流網も切断される。


 この現実を前に、個人の節約術などは無力だ。ガソリン(軽質油)さえあれば車は走るというのは個人の視点だが、重油がなければ国家は維持できないというのが国家の視点だ。重油が尽きた瞬間、日本という国家の心臓は停止する。


3. 都市が巨大な肥溜めに? 


 重油不足が招く最も凄惨な光景は、都市の公衆衛生の完全な崩壊だ。


 下水処理で発生する膨大な汚泥(ヘドロ)は、重油を燃料として焼却処分される。燃料が途絶えれば、処理場は汚泥で溢れ、トイレを流すことすら不可能になる。


 水分を含む生ゴミの焼却には助燃剤としての重油や灯油が不可欠だ。さらに、ナフサ由来のポリ袋という衛生の防壁が失われれば、街は悪臭と害虫に支配される。コレラや赤痢といった、克服したはずの中世の病が現代のタワーマンションを襲うだろう。


 LNGや石炭が主力となった今も、夏冬の需要ピークを支えるピーク電源としての重油火力は不可欠だ。重油の枯渇は、計画停電の常態化を招くだろう。


4. アスファルト供給という盲点


 強靭な国土を掲げる政治の裏側で、足元の地面が物理的に朽ち果てる。道路舗装に不可欠なアスファルトは、重油よりもさらに重い蒸留残渣から作られる。石油精製は、原油というインプットに対してアウトプットが一定の比率で決まる精製バランスの世界だ。米国産の軽質油からは、この蒸留残渣がほとんど取れない。


 重油を軽視することは、道路の修繕資材を捨てることと同義だ。穴だらけの道路、ひび割れた橋。これらが放置されれば、物流コストは増大し、車両の故障が相次ぐ。


 また、巨大な熱を必要とする製鉄、製紙、セメント産業も重油なしには成立しない。インフラ素材を自給できない国に、強靭さなどあり得ない。


5. 冬の食卓から消える魚と野菜


 日本の食卓は、重油という高エネルギー源を注ぎ込む装置産業によって維持されている。重油の枯渇は、日本人の栄養源を物理的に遮断する。


 ビニールハウスの加温停止で冬場の野菜が消失し、価格は暴騰する。


 飼料物流の停止・畜舎加温の停止で肉・卵・牛乳の供給激減し、家畜は大量に死ぬ。


 大型遠洋漁船の燃料枯渇で魚介類の食卓からの消失するだけでなく、漁業そのものが終焉する。


 農業資材が不足し、近代農業システムが維持できず、農産物の収穫量は激減する。


 燃料が途絶えれば、ビニールハウスの作物は一晩で全滅し、農家は自己破産に追い込まれる。日本の食料自給率は、数字上の議論を通り越してゼロの深淵へと向かうことになる。


6. 軍事優先で切り捨てられる民間の翼


 航空業界も質の合わない石油の犠牲者だ。ジェット燃料は精製過程で極めて繊細なバランスを要求されるが、米国産への全振りは収率を不安定にする。さらに、安全な飛行に不可欠な酸化防止剤や静電気防止剤といった化学添加剤には、ベンゼン、トルエン、キシレンなどが原料として必要だ。これらは中東産などの重質なナフサから得られるもので、米国産では代替できない。


 備蓄が底を突けば、政府は燃料を自衛隊・米軍に優先配分し、民間機は後回しになって、日本の翼は物理的にへし折られることになりる。地方路線や離島便から順に消滅し、空は軍事専用のものへと退行していくだろう。


7. 動けない標的と化す自衛隊


 国防を叫ぶ政治家たちの議論には、物理的な土台が欠落している。現代兵器は石油化学製品の塊だ。ミサイルの機体や防衛用航空機に不可欠な炭素繊維の原料は、ナフサから取れる プロピレンである。また、爆薬の安定剤や弾道制御に必要な添加剤も、ベンゼン、トルエン、キシレンがベースだ。


 米国産石油への忠誠と引き換えに国内の石油化学産業を破壊することは、兵器を作る素材を失うことを意味する。燃料もスペアパーツも米国のさじ加減一つ。これでは独立した主権国家の防衛ではなく、単なる米軍の外部委託先(パシリ)だ。


 右翼や親米保守派が語る愛国の陰で、日本の継戦能力が根底から腐食している事実に、なぜ誰も声を上げないのか。物理的な裏付けのない国防論は、国民を戦場という断崖へ追い込むための甘い毒でしかない。


8. 日本人はゆでガエルのまま断崖を落ちるのか?


 これまで挙げた重油・ナフサの消失は、個々の不便ではない。それは、物流、衛生、インフラ、食料、そして主権という、日本の文明そのものを支える骨格が崩壊することを意味する。


 4ヶ月の在庫という言葉は欺瞞に満ちている。その在庫に、下水処理を維持するための重油や、ミサイルを作るためのプロピレンがどれだけ含まれているのか。米国産の軽い石油に切り替えた瞬間、日本の産業生態系は機能不全に陥る。


 目に見えるガソリン価格安定の影で、国家の骨格を成す重い油が抜き去られようとしている。足元から腐っていくこの現実に気づいた時、我々はまだ立ち止まることができるだろうか? それとも、すべてが中世に逆戻りした後の廃墟で、失ったものの大きさを知ることになるのか。





Dr.Fager@johnnys_dream 2026/04/16


重油やナフサの供給は、ある日突然ゼロになるのではなく、まずは質の劣化とコストの不条理という形で、社会の末端から腐食が始まる。


1. 産業資材のスペックダウンと規格外品の増大


供給が絞られ、米国産の軽質ナフサなど質の合わない原料を無理やり精製し始めると、最初に現れるのは工業製品の歩留まりの悪化だ。


樹脂の透明度が落ちる、強度が足りず成形中に割れる、熱に弱くなるといったスペックの微細な劣化が始まる。


溶剤(シンナー等)の純度が保てなくなり、自動車や建築現場で塗装が剥げる、接着が剥がれるといった事態が相次ぐ。これは、崩壊の初期症状だ。


2. 物流・製造現場での機械の悲鳴


重油や軽油の質が不安定になると、燃焼効率が悪化し、機械に物理的なダメージが蓄積する。


船舶や工場のボイラー、農機のエンジンでは不完全燃焼による煤の堆積やノッキングが頻発する。


同時に素材不足でベアリングやシール材(樹脂・ゴム)の納期が遅れ始めるため、些細な故障で機械が数ヶ月止まるという事態が各地で頻発する。


3. BtoB市場のパニック


消費者向けの棚が空く前に、企業間取引(BtoB)で特定の中間素材が消滅する。


ポリエチレンはあるが、この医療用グレードだけは作れないといった、汎用品の陰に隠れた特殊素材の欠品が始まる。これが、病院資材不足の引き金だ。


質の良い重油や特定の化学製品を確保するために、企業間で不透明な優先取引や、法外な価格での買い叩きが横行し、資本力のない中小企業から順にサイレント廃業に追い込まれる。


4. 行政・公共サービスの選択と集中(切り捨て)


政府が在庫4カ月を強調する裏で、自治体レベルでは優先順位の選別が始まる。


燃料節約を名目に、週3回の収集が週1回になる等の制限が始まる。


重油火力発電の温存や燃料確保のため、生活の利便性が戦時下のようにじわじわと削られていく。


5. 正常性バイアスによる社会の二極化


正常性バイアスから多くの国民はこれらを一時的なトラブル」と誤認する。


危機を感じた一部の層が日用品を買い占める一方で、7割の支持層は高市首相が4カ月分あると言ったから大丈夫だと、断崖の直前まで消費を止めない。


資源不足の不満を逸らすため、政府と右翼メディアはさらに敵(イランや中国)への憎悪を煽り、より一層の対米従属(さらなる武器購入)を正当化するプロパガンダを強める。


限界領域のシグナル


一気に表面化する前の兆候は、日本の精密なシステムが、ガサツで質の低い代替品に置き換わっていく過程として現れる。


日本人は、100円ショップの製品が150円になることには敏感だが、道路を直すアスファルトの粘度が変わったことや手術用手袋の強度が落ちたことには無頓着だ。


この質の劣化こそが、断崖に向かう行進の足音だ。





Dr.Fager@johnnys_dream 2026/04/16


国家存亡の緊急時に、現実から目を逸らし、言葉遊びの地政学ごっこに耽る末期症状。


高市イニシアティブなるものは、燃え盛る家の中で火を消す代わりに将来の近所付き合いの計画を語っているようなものだ。


地政学的戦略という抽象的な言葉で、医療現場の注射器不足や、止まったゴミ収集車を動かせると思っているのか。国民が求めているのは正論欄の理想ではなく、明日動くインフラだ。

米国の質の合わない石油を押し付けられ、アジア諸国にそのおこぼれを配る調整役を演じることが、いつから指導力になったのか。それは国家の自立ではなく、隷属の組織化ではないか。パシリのイニシアティブを恥じないのか?


支持率7割の熱狂は、物理的な欠乏(空腹と不衛生)の前では一瞬で怒りに変わる。4カ月後に素材が消えた日本で、その悠長な自画自賛を繰り返せる度胸が本当にあるのか。ゆでガエルにされた国民が目覚めた時、どこに隠れるつもりか?


鏡に映る虚像


産経新聞的な威勢の良い保守の世界観は、石油の化学組成(ナフサの質)という物理法則の前で無力だ。


彼らが高い評価と呼んでいるのは、単に米国やその周辺国にとって都合の良い財布として機能していることへの愛想笑いに過ぎない。


国家存亡の時に、自画自賛の情緒的な成功物語を垂れ流すエリートたち。これこそが、断崖絶壁への行進における、最も残酷なBGMだろう。








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さらに二つのツイート。







《どんな政権でも同じではないのは、お隣の国の動きを見れば一目瞭然だ。大統領が夜も寝られないほど心配で対策に駆け回っている姿と対比して、この国のリーダーの姿に異常を感じないなら、それこそが感覚神経が麻痺したゆでガエルの行動原理だ》とあるように、カウルの国との相違が鮮明化されている、《この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”》。




しかしキミたちを見ていると、ホントに呑気だと感じるんだが、気のせいかい?





それとも最近は一億総「芸術家」なんだろうか?


文士だの芸能人というものは、サラリーマンのように着実でマトモな一生の設計を立てているものではない。収入がサラリーマンのようにキチンキチンとしていないし、明日があまりにも不安定で設計の立てようがないものだ。だから、いつどうなっても構わねえや、というような心構えも芸術家の人生設計に於ては背骨の一ツとなるべきものだ。(坂口安吾「親が捨てられる世相」1952年)



まァ、SNSなどに短い言葉で他者非難等を書き込むのは不安を発散させるには手頃かもしれないがね、バタイユの言っている事態の穏健ヴァージョンかもしれないよ、ーー《何ものかが私を書く行為に駆り立てている、思うに、狂ってしまうことの恐怖が。[Ce qui m'oblige d'écrire, j'imagine, est la crainte de devenir fou]》(バタイユ『ニーチェについて』1945年)