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2026年6月16日火曜日

日本国民への驚きが渦巻く世界

 


外から見るとこうなんだよ、「
「ずるずる」と「なしくずし」に地獄に向かう「今=ここ」ムラ人文化」で最後にポロっと書いたがね、ーー「実際、ほとんど抵抗が見えないからな、せいぜい「今=ここ」の高市早苗を嘲罵する勢力がいくらかいるだけで、ではその代替になるだろう人物は再軍備化をいっそう加速させるのではないかという疑念さえ僅かしか抱かない「大勢順応主義=現在中心主義」のなしくずしムラ人文化だよ。」と。



ところで韓国人は実に美しいね、


なんだろうな、この違いは? ボクが住む国では30年前からシクロのウンちゃんが日本女性と韓国女性の違いを見分けていたがね、日本の女たちは互いに頷き合って歩いている、他方、韓国の女たちは風を切って歩いている、と。

やっぱりこうなんだろうよ。

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(中井久夫「安克昌先生を悼む」2000年『時のしずく』所収)

羊たちの背をなでる生ぬるい風の上に、かすかに灰色の雲がひろがっていく。(高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978年)



ボクが今こうやって書いてること自体、生ぬるいよ、彼らの「行為」の力に比べればずっと。

ま、いずれにせよグローバル資本主義者たちは日本国民に対してニヤニヤ笑いしてんのさ、《猛禽は幾らか憐憫の眼を向けながら、おそらく独り言を言うだろう、「俺たちは奴らを、あの善良な仔羊どもを毛ほども憎んでなんかいない。俺たちは奴らを愛してさえいる、柔らかい仔羊より旨いものはないからな」と[daß die Raubvogel dazu ein wenig spöttisch blicken werden und vielleicht sich sagen: »wir sind ihnen gar nicht gram, diesen guten Lämmern, wir lieben sie sogar: nichts ist schmackhafter als ein zartes Lamm.« ]》(ニーチェ『道徳の系譜』第1論文13節、1887)




しかし日本国民もいいところはあるんだがな、



これ自体、世界の目から見たら驚きだよ、なんとかこの力を活かせないもんかね。