2019年6月7日金曜日

他の性 Autre sexe




ピロポ Piropo はスペイン語で、街頭で男性が女性に投げかけるほめ言葉、誘い文句、あるいは冷やかしなどです。…

男、ピロペアドールは相手の女を引き止めることは求めないし、奇妙なことに、同時にそれは根本的に無欲なものです。…

ピロペアドールとは、未知の女が自分の前を通り過ぎていくのを常に眺めている、そして自分の存在を認めてくれる一瞬の間、女を引き止めておこうとする不幸な男、それは女 la femmeの裡に体現されている他者Aに聞き入られることを放棄しない男です。…

どんな女性であっても、女性によって体現されているものは(……)言語のコードの場である大文字の他Aなのです。ピロポが典型的な状況だと思われたのは、大文字の他Aの構造的な機能が常に「他の性 Autre sexe 」を表わしてきた女性によって支えられているからです。他の性といっても、けっして、それが男性に対して他の性である、といえるような意味ではありません。両性は互いに他のもので、それぞれがもうひとつの相手としますが、もっとも深い意味で女性といわれる性が根源的に他者(Autre)なのです。そしてその神秘はずっと男達、分析家も含む、を惹きつけてきました。そして最初の男性の分析家であったフロイトは、《女は何を本当に欲するのか Was will eine Frau eigentlich?》という神秘は彼自身も明らかにすることができなかった、と述べていました。そこには精神分析の壁ともいえるものがあるのです。(ミレール Jacques-Alain Miller「エル・ピロポ El Piropo」、ベネズエラ講演、1979)





「他の性 Autre sexe」は、両性にとって女性の性である。「女性の性 sexe féminin」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexe」である。 (ミレール、The Axiom of the Fantasm)
「女というもの La Femme」 は、その本質において dans son essence、女 la femme にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように aussi refoulée pour la femme que pour l'homme。

なによりもまず、女の表象代理は喪われている le représentant de sa représentation est perdu。人はそれが何かわからない。それが「女というものLa Femme」である。(ラカン、S16, 12 Mars 1969)
本源的に抑圧されている要素は、常に女性的なものではないかと想定される。Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist(フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)




父の名の排除から来る排除以外の他の排除がある。il y avait d'autres forclusions que celle qui résulte de la forclusion du Nom-du-Père. (Lacan, S23、16 Mars 1976)
すべての話す存在 être parlant にとっての、「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除。精神病にとっての「父の名」のシニフィアンの限定された排除(に対して)。forclusion du signifiant de La/ femme pour tout être parlant, forclusion restreinte du signifiant du Nom-du-Père pour la psychose(Anna Aromí & Xavier Esqué, PSYCHOSES ORDINAIRES ET LES AUTRES sous transfert、2018)



女というものは存在しない。女たちはいる。だが女というものは、人間にとっての夢である。La femme n'existe pas. Il y des femmes, mais La femme, c'est un rêve de l'homme.(Lacan, Conférence à Genève sur le symptôme 、1975)