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2019年6月23日日曜日

私の輪郭がいま、半分ほどは空気にほどけましたね


ビリジアンを刷きつけた山肌が
暮れかかり
より一層、迫ってくると
月明かりでざわつく樹冠のからす
いよいよ大きな
熟れた虹雲があたり全部を呼吸する
紙っぺらになったひとびとは
急行列車のあかるい窓を
しかくくストロボのように動きまわり
ぎこちない仕草で座ったり立ったり
車内では蛍光灯のじりじりした
輪郭が滴って溶けている
けれどもひとびとは
乗客のなかに引きこもっているから
けして
私の輪郭がいま、半分ほどは空気にほどけましたね
などと思いもよらない

(そして山々は一層よるのなか
電車と窓とお月様だけが
切り取られたあやうい
まっきいろな
狭小時間の高密度な額縁だなんてこと
まさか月も乗客も
わかっているまい)

ーー暁方ミセイ「月と乗客」より(『紫雲天気、嗅ぎ回る』所収)


ミセイちゃんってとってもいいなあ、ほれぼれするよ。この21世紀にこんな詩人がいるなんてな。







トン、トン、と音がする
    さみしくないか、
    さみしいよ
  さみしいならなぜ行く
わたしはさみしさを使いきらねばならないからです  

ーー「七月三十日」より


■こたに わりやの ごとばかりで「空獣遊山」(2018.05.04

わたしは自分のことにしか興味がないのかもしれない。

それは本当に、大変、嫌気がさすけど、まあそうなんだろうなあ…。

でもだからって自分のことばかりを考えるのは少しも気分がよくないんだよなあ。

この与えられた五感を取り巻く季節や風や光や霧のこと、空の雲のことを考え、自分は目や耳や鼻だけになってしまって、浸るのがたぶん小さい頃から一番好きなことだったんだけど、

それはなんで好きだったんだろう。