2019年6月21日金曜日

「庶民のため、大衆に根ざして」のアポリア

ごく月並みなことを記すがね、「庶民のため、大衆に根ざして」のアポリアってのは当たり前だろ?

ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)

柄谷のように「未来の他者」などと言わないまでも、せめて「2040年の庶民としての自分」を考えるぐらいはしなくちゃな。





いまここにいる大衆への視点だけではにっちもさっちもいかない。それで上手くいった時代もあったのかもしれないけど、今はまったくそうではない。

庶民的正義派とは、将来世代へ負担を先送りすることに汲々としている、「未来の庶民」に対して最も残酷な連中だよ。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(池尾和人「経済再生 の鍵は不確実性の解消」2011)

「消費税反対、年金減らすな!」ってのをマガオで言ってる政治家がいるなら、たんなるバカかとんでもない経済音痴にほかならない。別名、寝言派とかつてから呼ばれている、《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。》(二宮尊徳)

ひそかなデフォルト狙い派ーー「一からやりなそう」派ーーもいるかも知れないけど。

これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。

私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。

日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」2017)

戦略的消費税反対派とは、ま、このたぐいだな。福井義高氏がそうであるか否かは知らないけれど。

ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。

 予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか、福井義高 2019.02.03)

これは、2012年3月30日、国会内で小泉進次郎が言ったらしい、「若い人にもデフォルト待望論がある。財政破綻を迎え、ゼロからはじめたほうが、自分たちの世代にとってはプラスだという議論が出ている」どほとんど同一の考え方だ(参照)。小泉進次郎は「戦略的消費税どうでもいい派」の臭いがふんだんにするな。最近の発言をチラミしただけでも。

ーーもっとも、ネット上には今リンクした以外の情報が見当たらないので、信憑性のほどは確かでない、としておこう。

この立場はさておいて、そもそも消費税20パーセントなんてのはとうのむかしからやっておかなくちゃいけなかったことで、たとえばフランスなんてのは付加価値税導入当時から20パーセントだ。





だいたいフランスやドイツよりも老人口比率がずっと高いのに、日本の現在の国民負担率はありえない。





庶民とはなぜ日本はこんな低い国民負担率でやっていけるのかと一度も問うたことのない種族だよ。日本にはなにか特別な玉手箱があると思ってんだろうな。それでわるいと言ってるわけじゃないけどな。でも政治が、その「庶民のため、大衆に根ざして」たらトンデモナイことになる。いやもうなっている。

ノーベル経済学賞をとったブキャナンはこう言っている。

現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)

ーーまさにこの典型的症状が続いてきたのがエリートなき日本政治、共感の共同体の政治だね。

以下はごくコモンセンス派の社会学者の見解だけどこれぐらいは処理しとかないとな。

消費税も20%以上にした方が公平でしょう。所得税と法人税は、現在の現役世代が主な負担者になります。それに対して、社会保障の世代間格差には、現在の高齢者が、現役世代のときに負担しなかったことが大きく関わっています。だから、現在の高齢者もふくめて平等に負担する消費税の方が公平なのです。

世代間格差から考えると、人口が減少している現在、現役で働く世代に主な負担がかかる所得税や法人税はむしろ逆進的です。消費税の方が非逆進的で、公平な課税なのです。お年寄りの負担がよく話題にされますが、公平な社会福祉をめざすなら、お年寄りもふくめて全員で負担を分かちあって、それで生活保護などを充実させて、お年寄りも含めて、本当に貧しい人の生活を支援するべきです。

「増税」か「年金の抑制」か、ではないのです。「増税」して「年金も抑える」しかない。それが「ポスト戦後」社会の現実です。だからこそ、そのなかで、各世代が公平に負担を負うようにしなければならない。それが世代間格差を解消することなのです。(「世代間格差の解決策は、預金を持って死ぬこと」佐藤俊樹・東大教授に聞く、2015年)

これは「中福祉中負担は幻想、日本には中福祉高負担しかない」とかつてから連発していた、10年に1度の財務事務次官と言われた武藤敏郎を受けてたぶん言っていると思うけど。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)



こういったのは、「今の庶民としての私」なら脊髄反応的に拒絶するんだろうが、そうではなく「2040年の庶民としての私」としてじっくり考えてみなくちゃな。