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2019年9月23日月曜日

21世紀版武者小路実篤「想田和弘チャン」

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)

………

やあ、現在の日本には二大宗教があるんだよ。いままだ旅行中だからいままでのデータを貼り付けつつ「テキトウ」に記すけどさ、ちょっとした鄙びた温泉の一室でね。



ボクはどっちかというと「消費税は必要」宗教なんだ。だから「消費税は悪」宗教の人から何を言われても馬耳東風なんだよ。ま、ジョウダンととってほしいがね。


専門家(エコノミスト)のなかにも「消費税は悪宗教」の方がいらっしゃるようで、「「日本経済と経済政策に係る国民一般及び専門家の 認識と背景に関する調査」について― 調査の概要と簡易集計結果の紹介 」(田政徳・川本琢磨・堀 雅博、〈内閣府経済社会総合研究所『経済分析』第 197 号 2018 年〉,PDF)ってのがある。





これについて経済学者の小峰隆夫氏が次のように記している。

■「財政再建・社会保障改革、思えば遠くに来たものだ」(日本経済研究センター理事・研究顧問、大正大学教授 小峰隆夫、2019/02/06

増税するなら消費税、法人税? 専門家と一般国民の埋めがたい認識ギャップ

 財政再建・社会保障改革の大きな特徴は、専門家の考えと一般国民の考えが大きく異なることである。この点について、これまで断片的な情報しか得られていなかったのだが、最近、行われた内閣府経済社会総合研究所の調査が、この点を体系的に明らかにした。「日本経済と経済政策に係る国民一般及び専門家の認識と背景に関する調査」がそれである。

【1】  詳しくは調査本文を見ていただくことにして、概要を示そう。

 まず、高齢化が進行する中で将来予想される国民負担については、専門家は「国民負担の今後の増大は避けがたい」と考えるが、一般国民は「財源が必要なら、まずは無駄の削減で対応せよ」という考えが強い。

 負担増の財源としては、専門家は消費税を考えるが、一般国民は「増税するなら法人税を上げるべきだ」と考える。法人税であれば自分の懐には響かないと考えているようだ。

 消費税については、専門家は「公平で安定した財源だ」と考えるが、一般国民は「逆進的」と考える傾向があり、その税率についても、専門家は「15~20%が必要」とするが、一般国民は「10%以上はほとんど考えていない」という結果だ。専門家と一般国民の認識ギャップは埋めようがないほど大きいことが分かる。

 なお、蛇足だが、経済学や経済学者の日本経済に対する貢献度という点では、専門家も一般国民も「あまり貢献していない」という回答が最も多かった。この点では珍しく両者の考えが一致したわけだが、苦笑するしかない。

ーーこの後、「一般国民が支持する政策」から「専門家が推奨する政策」へ転換する4つの方策についての記述があるが、それについては割愛。

そして最後にこうある。

これらの提案は一見すると実現性に乏しく、現実離れしているように見えるかもしれない。しかし、そうした現実離れした対応を考えざるを得ないほど、我々は遠くまで来てしまったのである。「財政再建・社会保障改革、思えば遠くに来たものだ」(小峰隆夫、2019/02/06

この小峰隆夫という人ははこう言ってるが、経済学者にもいろんな人がおり、みなが小峰隆夫氏のような見解ではないのはさきほどの図が示している。

ようは「専門家と一般国民の認識ギャップは埋めようがないほど大きい」んじゃないんだな。一般国民ってのは、財政の知識はおそらくほとんどないのだから、「消費税は悪」宗教のエコノミストやその宣伝者の言葉に頼っているんだよ。

たとえば「消費税は悪」宗教への帰依者、想田和弘なんかはテキメンにそうだな。彼の信奉する新興宗教ーー山本太郎教ーーを裏付けてくれる経済学者の言葉を必死に拾って鳥語装置で拡散している。




で、そこまで勉強しない一般大衆は「想田さんがいってるから、絶対そうだわ!」って具合になるんだな。

だから「消費税は必要」派の経済学者は本来、「消費税は悪」と言っている経済学者を理論的にたたかなくちゃいけない。「我々は遠くまで来てしまった」などと言う前にやるべきことがある。それができていないのは、おバカな経済学者を相手にしたら品格が落ちるとか思ってんだろうかな。

ま、ここで話を元にもどせば、「消費税は必要」宗教の信者のボクとしては、「消費税は悪」宗教信者の想田和弘チャンってのは、シツレイながら21世紀版武者小路実篤にしかみえないね。

第2次大戦が終わって、日本は降伏しました。武者小路実篤という有名な作家がいましたが、戦時中、彼は戦争をほぼ支持していたのです。ところが、戦争が終わったら、騙されていた、戦争の真実をちっとも知らなかったと言いました。南京虐殺もあれば、第一、中国で日本軍は勝利していると言っていたけれども、あんまり成功していなかった。その事実を知らなかったということで、彼は騙されていた、戦争に負けて呆然としていると言ったのです。

戦時中の彼はどうして騙されたかというと、騙されたかったから騙されたのだと私は思うのです。だから私は彼に戦争責任があると考えます。それは彼が騙されたからではありません。騙されたことで責任があるとは私は思わないけれども、騙されたいと思ったことに責任があると思うのです。彼が騙されたのは、騙されたかったからなのです。騙されたいと思っていてはだめです。武者小路実篤は代表的な文学者ですから、文学者ならば真実を見ようとしなければいけません。

八百屋のおじさんであれば、それは無理だと思います。NHK が放送して、朝日新聞がそう書けば信じるのは当たり前です。八百屋のおじさんに、ほかの新聞をもっと読めとか、日本語の新聞じゃだめだからインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読んだらいかがですかとは言えません。BBCは英語ですから、八百屋のおじさんに騙されてはいけないから、 BBC の短波放送を聞けと言っても、それは不可能です。

武者小路実篤の場合は立場が違います。非常に有名な作家で、だいいち、新聞社にも知人がいたでしょう、外信部に聞けば誰でも知っていることですから、いくらでも騙されない方法はあったと思います。武者小路実篤という大作家は、例えば毎日新聞社、朝日新聞社、読売新聞社、そういう大新聞の知り合いに実際はどうなっているんだということを聞けばいいのに、彼は聞かなかったから騙されたのです。なぜ聞かなかったかというと、聞きたくなかったからです。それは戦前の社会心理的状況ですが、今も変わっていないと思います。

知ろうとして、あらゆる手だてを尽くしても知ることができなければ仕方がない。しかし手だてを尽くさない。むしろ反対でした。すぐそこに情報があっても、望まないところには行かないのです。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)

つまりすぐそこに情報があっても、望まないところには行かない「八百屋のオッサン想田和弘」ってわけだ。

ま、彼も東大でてるのだから(宗教学科らしいが)、ヨーロッパ共同体では、 1992年のEC指令の改正により、1993年以降付加価値税の標準税率を15%以上とすることが決められているという程度は知っているはずなんだけどな。





付加価値税を最初に導入したフランスでは、最初から20%の付加価値税だったとかな。





日本行政サイドは「消費税は悪」宗教の左翼大衆迎合主義者たちの抵抗のなか、長年かかってようやく10%にこぎつけたんだよな。


消費税の「導入」と「増税」の歴史
首相
年月

大平正芳
1979年1月
財政再建のため「一般消費税」導入を閣議決定。同年10月、総選挙中に導入断念を表明したが、大幅に議席を減らす。
中曽根康弘
1987年2月
「売上税」法案を国会に提出。国民的な反対に遭い、同年5月に廃案となる。
竹下 登
1988年12月
消費税法成立。
1989年4月
消費税法を施行。税率は3%。その直後、リクルート事件などの影響もあり、竹下首相は退陣表明、同年6月に辞任。
細川護煕
1994年2月
消費税を廃止し、税率7%の国民福祉税の構想を発表。しかし、連立政権内の足並みの乱れなどから、発表翌日に撤回。
村山富市
1994年11月
消費税率を3%から4%に引き上げ、さらに地方消費税1%を加える税制改革関連法が成立。
橋本龍太郎
1997年4月
消費税率を5%に引き上げ。
鳩山由紀夫
2009年9月
「消費税率は4年間上げない」とするマニフェストで民主党が総選挙で勝利、政権交代を実現。
菅直人
2010年6月
参院選直前に「消費税10%」を打ち出し、選挙に惨敗。
野田佳彦
2012年6月
消費税率を2014年に8%、15年に10%に引き上げる法案を提出。8月10日、参院本会議で可決成立。
安倍晋三
2014年4月
消費税率を8%に引き上げ。
2014年11月
2015年10月の税率10%への引き上げを2017年4月に1年半延期。
2016年6月
2017年4月の税率引き上げを2019年10月に2年半延期。
2018年10月
2019年10月に税率10%に引き上げる方針を表明。軽減税率を導入し、食品(外食・酒類を除く)は現行の8%の税率を維持する。




たとえば厳然たる事実として次のような数字がある。



これをみればどうしたって負担を上げて、福祉は削らなくちゃいかないという考えに至るはずだがね。

日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日)

国民負担増の必然性という認識がが生まれるはずの最も基本的な簡易図をしめせば、次のものだ。




たとえば年金ってのは高齢者1人あたり月額いくらぐらいかよく知らないが、ここでは計算が簡単になるように15万としよう。すると1990年は現役世代3万円ですんだわけだ。だが現在は7.5万円の負担になる(これはあくまでおおよそでGDPやらインフレやら実質負担額やらを考慮しなくてはいかないのだけれど、それは割愛)。



………

※追記


………

あるいは国民負担率の各国比較(財務省「負担率に関する資料」より)。




で、消費課税分をゼロにしてどうしようってんだろう、国民負担率を。せめて60%ぐらいにはしなくちゃいけないという宗教観をボクはもっているんだけどさ。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)

ま、ここでは「想田和弘」というシニフィアンを上げて批判したが、批判の対象はもちろん彼だけではない。問題はむしろ経済学者たちだ。彼らの相互酷評しかないよ、いまの宗教戦争をおえるには。