サントーム=S(Ⱥ)=対象a=固着
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サントームの Σ[le sigma du sinthome] 、Σ としてのS(Ⱥ) [grand S de grand A barré comme sigma](ミレール「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , 6 juin 2001)
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S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうる。substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barré.(J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)
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S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目(欲動の固着)である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(Miller, L'Être et l'Un, 06/04/2011)
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対象aは象徴化に抵抗する現実界の部分である。
固着は、フロイトが原症状と考えたものだが、ラカンの観点からは、一般的な特性をもつ。症状は人間を定義するものである。それ自体、取り除くことも治療することも出来ない。これがラカンの最終的な結論である。すなわち症状のない主体はない。ラカンの最後の概念化において、症状の概念は新しい意味を与えられる。それは「純化された症状」の問題である(サントーム)。……
ラカンは対象aよりも症状概念(原症状=サントーム概念)のほうを好んだ。「性関係はない」という彼のテーゼに則るために。(ポール・バーハウ他 Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)
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骨象(身体の上に突き刺さった骨)=対象a=固着=原症状(サントーム)
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私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
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後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』2001年)
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精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)
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で、享楽の固着ってのはリビドーの固着(欲動の固着)のことであり、別名、トラウマへの固着。
身体の出来事という享楽の固着
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サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps(MILLER, L'Être et l'Un, 30 mars 2011)
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享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps。…享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
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ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)
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享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
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反復を引き起こす享楽の固着 fixation de jouissance qui cause la répétition、(Ana Viganó, Le continu et le discontinu Tensions et approches d'une clinique multiple, 2018)
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享楽の固着=リビドーの固着
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ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものか quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido を把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽 jouissance である。(ミレール, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 、1916年)
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分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る。Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation. (J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE, 2011)
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享楽の残滓=リビドー固着の残滓
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不安セミネール10にて、ラカンは「享楽の残滓 reste de jouissance」と一度だけ言った。だがそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって啓示を受け、リビドーの固着点 points de fixation de la libidoを語った。これが、孤立化された、発達段階の弁証法に抵抗するものである。固着は徴示的止揚に反抗するものを示す La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante,。固着とは、享楽の経済 économie de la jouissanceにおいて、ファルス化 phallicisation されないものである。(ジャック=アラン・ミレール、INTRODUCTION À LA LECTURE DU SÉMINAIRE DE L'ANGOISSE DE JACQUES LACAN、2004)
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発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…
いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)
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享楽=現実界=トラウマ=反復
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享楽は現実界にある la jouissance c'est du Réel.(ラカン、S23, 10 Février 1976)
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問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (Lacan, S23, 13 Avril 1976)
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現実界は(心的装置に)同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
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フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011)
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(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)
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反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance (ラカン、S17、14 Janvier 1970)
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現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
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トラウマへの固着と反復強迫
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「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」…これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1938年)
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外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1916年)
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フロイト・ラカン理論の核心はこの固着(身体の上への刻印)にしかない。すくなくともわたくしはそう考えている。
よろしいでしょうか?
固着の残滓=原無意識=エスの核
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すべての神経症的障害の原因は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動 widerspenstige Triebe が自我による飼い馴らし Bändigung に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期の外傷体験 frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumenを、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。
概してそれは二つの契機、素因的なもの konstitutionellen と偶然的なもの akzidentellenとの結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかに外傷は固着を生じやすくTrauma zur Fixierung führen、精神発達の障害を後に残すものであるし、外傷的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態normalen Triebverhältnissenにおいてもその障害が現われる可能性は増大する。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章、1937年)
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自我はエスから発達している。エスの内容の或る部分は、自我に取り入れられ、前意識状態vorbewußten Zustandに格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、原無意識(リアルな無意識 eigentliche Unbewußte)としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』1938年)
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人の発達史と人の心的装置 psychischen Apparatesにおいて、…原初はすべてがエスであった Ursprünglich war ja alles Esのであり、自我Ichは、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態 vorbewussten Zustand に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものは エスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核 dessen schwer zugänglicher Kern として置き残された 。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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よろしいでしょうか?