正確には、→「2050年までの経済社会の 構造変化と政策課題について、平成30年9月 経済産業省」pdfからだ。
より説明的な図だったら、上の図の前頁にこの図がある。
上の図からみれば「わかものマニュフェスト」だったかの図の100万円から300万円になるというのはいささか誇張だが、すくなくとも現役世代は最低限200万円ほどの仕送りをしないと年金水準は保てない。
このままほうっておいたら事実上「姥捨て山社会」になってしまう。これが、財政赤字も考えず、移民も考えず、その場かぎりで生きている貴君のような一般大衆の思考がもたらす必然的帰結である。そうではなく、新しいモデルとしての「姥生き山社会」を思考しなければならない、ということを示そうとしたんだがね。
そこではあえて掲げなかったが、ジジェクやデュピュイの思考の向こうにはたとえば次の文がある。
なにはともあれ、現在の日本における世界的に前代未聞の超高齢化社会の対応策は(既存システムを維持しようとする立場においては)そんなに多くない。
大きくは次の二つだ。
①移民
②経済成長(生産性の向上)
ま、関心があるならひととおり眺めてみたらどうだろう?
仮に現状のままの年金給付年齢だったら、おおよそ次のような具合にならざるをえない(この図は、2010年前後の「若者マニュフェスト」だったはずだが、いまネット上をざっとみると出所が見当たらない)。
2010年には年金に関して、現役世代3人で高齢者1人を支えていたのだが、2050年にはマンツーマンになってしまうという「概略図」である。つまり2010年には現役世代1人当たり100万円「仕送り」しておけばよかったが、2050年には現役世代1人あたり300万円仕送りしないと、高齢者の年金水準は保てないということを示している。現役世代1人あたり300万円とはありえない数字であることは誰もがわかるだろう。
社会保障制度の持続可能性が著しく低下していると考えざるを得ない理由は、働き方の多様化や家族形態の変化など多数あるが、最大の要因は、超少子化に起因する超高齢化である。年金、医療、介護の社会保障財政は、基本的に賦課方式といわれる仕組みで運営されているからである。賦課方式とは、その時点の国民の負担(社会保険料と税金)を財源にして、その時点の国民に給付を行う方式である。負担は主に現役世代が負い、給付は主に引退世代になされている。いわば、引退世代の生活を現役世代の負担で支えているわけである。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)
厳密にいえば次のような数字が現在ある。
ようするに高齢者1人を支える現役世代の人数は、2010年の2.8人から、仮にゼロ成長で労働参加が増えなければ(つまり主に女性の就業比率が高まらなければ)2050年に1人に限りなく近似してしまうということを示している(もっとも現在の日本の女性就業率は7割で米国よりもすでに高いという話もある)。
現役世代は現在の100万円でもしんどいから、赤字国債を発行してそのしんどい部分を補填している。ようするに税負担増や社会保障の仕組みを変えなければ、2050年の高齢者(現在65歳以上という高齢者基準)への仕送りはどんなにがんばっても100万円が限界(したがって70歳からの年金、いやさらに75歳からの年金という案が行政側から出ている)。
このままほうっておいたら事実上「姥捨て山社会」になってしまう。これが、財政赤字も考えず、移民も考えず、その場かぎりで生きている貴君のような一般大衆の思考がもたらす必然的帰結である。そうではなく、新しいモデルとしての「姥生き山社会」を思考しなければならない、ということを示そうとしたんだがね。
そこではあえて掲げなかったが、ジジェクやデュピュイの思考の向こうにはたとえば次の文がある。
もし協同組合的生産 genossenschaftliche Produktion が欺瞞や罠にとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度 kapitalistische System にとってかわるべきものとすれば、もし連合した協同組合組織諸団体 Gesamtheit der Genossenschaften が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断のアナーキー beständigen Anarchieと周期的変動 periodisch wiederkehrenden Konvulsionenを終えさせるとすれば、諸君、それはコミュニズム、「可能なるmögliche」コミュニズム Kommunismus 以外の何であろう。(マルクス『フランスにおける内乱(Der Bürgerkrieg in Frankreich)』1891年)
なにはともあれ、現在の日本における世界的に前代未聞の超高齢化社会の対応策は(既存システムを維持しようとする立場においては)そんなに多くない。
大きくは次の二つだ。
①移民
②経済成長(生産性の向上)
①については、まともな知識人だったら既にむかしから考えている。
ーーもはや移民政策はいまからやっても遅すぎるのかもしれないがね。
経済成長はふたつの見解を掲げておこう。
心配の種の第一は高齢化社会である。しかし、これは必ず一時である。一時であり、また予見できるものは耐えられる。行政は最悪の場合を考えて対策を立てるものである。当然そうあるべきであり、行政特有の習性でもある。最悪の場合が実現の確率がもっとも高いとは限らない。高齢者が働けるように医学も行政も考えて突破するのが正道であるが、平均寿命自体が減少に向かうかもしれない。嬉しいことではないが、2030年といわれるピークまでに流行病が絶無である確率のほうが少ない。(中井久夫「日本の心配」神戸新聞、1997.3.05)
少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」2000年『時のしずく』所収)
ーーもはや移民政策はいまからやっても遅すぎるのかもしれないがね。
経済成長はふたつの見解を掲げておこう。
アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。
丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。
潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(「財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト」深尾光洋、2015年)
ここで改めて経済成長と人口の関係を長期的な視点から考えてみることにしたい。急速な人口減少に直面するわが国では、「人口ペシミズム」が優勢である。「右肩下がりの経済」は、経営者や政治家が好んで口にする表現だ。たしかに、少子高齢化が日本の財政・社会保障に大きな負荷をもたらしていることは事実である。少子化、人口減少は、わが国にとって最大の問題であるといってもよいだろう。
しかし、先進国の経済成長と人口は決して 1 対 1 に機械的に対応するものではない。図-4 は、明治初年以降の実質 GDP と人口の種類を比較したものだが、GDP は人口とほとんど関係ないといってよい成長をしてきたことが分かる。戦後の高度成長期(1955~ 70)に、日本が実質ベースで年平均 10% の経済成長をしてきたことは誰もが知ることだが、当時の労働人口の増加率は 1% 強であったということを知る人は少ない。両者のギャップ 10% - 1% = 9% は、「労働生産性」の上昇率だが、それをもたらしたものが「資本装備率」の上昇と、イノベーション(TFP の上昇)にほかならない。(人口減少、イノベーションと経済成長、吉川洋(東京大学大学院経済学研究科教授、経済産業研究所ファカルティフェロー、2015)
人間の必要性とは、究極的には衣食住に収斂するのだから、農業ロボットなどのさらなるイノベーションで生産性が飛躍的に向上したら、世界は変わるかもな、いまだって田植えロボットなんてのがあるんだから。
こういったことに期待する人は期待したらよい。他方、行政とは本来、中井久夫のいうように、《最悪の場合を考えて対策を立てるものである。当然そうあるべきであり、行政特有の習性でもある》。
ところが現在、行政自体が過剰な経済成長を見積もって将来をなんとかやりくりしようとする案ばかり出している。そうせざるをえないほど、数字を眺めているかぎり少子高齢化社会における未来いうのはトンデモ状況なのである。
そもそもデフレデフレというが、そのデフレ期においても、日本の労働人口1人当たりの成長率は、他国にくらべてそれほど劣っているわけではない、この観点からすれば労働人口減少がデフレの主因なのである。
そもそもデフレデフレというが、そのデフレ期においても、日本の労働人口1人当たりの成長率は、他国にくらべてそれほど劣っているわけではない、この観点からすれば労働人口減少がデフレの主因なのである。