Larvatus prodeo
おのが情熱に思慮の(平静さの)仮面をつける。まさしく英雄的な美徳である。「心の動揺を周囲の人にさらけ出すなど、偉大な魂にはふさわしからざること」(クロチルド・ド・ヴォー)。バルザックの主人公、パズ大尉は、親友の妻に死ぬほど恋したことを、にせの情人をでっちあげてまで秘しておこうとする。
しかし、ひとつの情熱を(あるいは単にそのゆきすぎにしろ)完全に隠しておくなど、到底考えられぬことである。人間の意志があまりにも弱いものだからというのではなく、そもそも情熱というのが、その本質からして、見られるためにできているものだからだ。隠していること自体が見られるのでなければならない。わたしが今なにかを隠していることをわかってください。これこそが、わたしの解かねばならぬ積極的バラドックスなのだ。知られ、かつ知られぬことが、同時に必要なのである。見せたくないと思っていることを知ってほしい。それこそが、あの人に向けてわたしの発しているメッセージなのだ。Larvatus prodeo おのが仮面をさし示しつつ進む。わたしは自分の情熱に仮面をつける。しかし、控え目な(そして狭滑な)指で、当の仮面をさし示してもいるのだ。いかなる情熱にも結局は目撃者がある。死に瀕したパズ大尉は、自分の秘かな恋について、親友の妻に書き送らずにはおれない。恋愛の隷属には必ず最後の山場というものがあって、そこでは常に記号が勝利を収めるのである。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「黒眼鏡」)