2020年1月14日火曜日

汝愛撫するなかれ

いやあすごい速度の削除癖だな・・・そうかそうか谷崎タイプは嫌いなのか、キラワレチマッタナ。というかまったくキミは勘違いしてたんだな、2年以上。

で逆に、神の愛ってのは、ボクにとっては「汝愛撫するなかれ」なんだけどな。なんでキミはそんなに愛撫にこだわってんだろ、理解しがたいね。

アウグスティヌスという、五世紀の偉大な学者が、性欲によって、人間の罪は伝わると言ったが、僕はこの言葉に非常な興味をもっている。

性欲は人間の愛の根源であるとともに、またそれに影を投げかける。それがなけれぱ、すなわち肉交がなければ、愛はどうしても最後の一物を欠くという意識をまぬがれがたいと同時に、それは同時に愛に対して致命的になる要素をもっている。肉体のことなぞ何でもないという人のことを僕は信じない。それはなぜか、肉交は二人の間の愛がどういう性質のものであったかを究極的な形で暴露してしまうからだ。つまりその意味は、肉交には、人間の精神に様々な態度があるだけそれだけ多様な形態があり、しかもそれが精神におけるように様々な解釈の余地がなく、端的にあらわれてしまうからだ。

肉交は一つの端的な表現だ。それは愛の証しにもなるし、その裏切りにもなる。二つの性の和合にもなるし、一つの性による他の性の征服にもなる。もちろん僕は簡単な言葉を用いているが、和合の形をとる征服もあるし、征服の形をとる和合もある。要はその本質の如何にある。そうするとやはり根本は態度の問題になる。肉の保証を求めないほど完全な信頼があるとすれば、アンジェリコの画はそれを表わしているだろう。「精神」というものがそこに表われている。精神というものがあるとすれば、そういうものでしかありえない。(森有正『バビロンの流れのほとりにて』)

フラ・アンジェリコ「Noli me tangere われに触れるなかれ」


いやあ、スッキリしたね、まったく異なった性的嗜好がようやく判然として。


ま、実はボクはちょと前まではキミの大キライらしい谷崎タイプだったけど、
さいきん泣菫境地になりつつあるんだ。


いろんなものを愛撫し尽した果が、石に来るといふことをよく聞いた。(薄田泣菫「石を愛するもの」)

ーー究極はこの石だよ。


で、愛撫されるんだったら谷川が言ってるヤツだな。


ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ


ーー谷川俊太郎「なんでもおまんこ」


これしかないね、ほんとに「女なんかめじゃねえよお」。

もちろん音楽の愛撫もあるさ。

スワンは音楽の種々のモチーフを、べつの世界、べつの秩序に属する、真の思想〔イデ〕と呼ばれるべきものと見なしていた、それは闇で被われた、未知の思想であり、理知がはいりこめない思想であったが、それでいてやはりその思想の一つ一つがまったく明瞭に区別され、価値も意味もそれぞれひとしくない思想なのであった。はじめてヴェルデュラン家を訪れた晩、あの小楽節を演奏してもらった彼が、その夜会のあとで、なぜ小楽節が匂のように愛撫のように自分をとりまき自分をつつんだかを見きわめようとつとめたとき、あの身が縮まるような、冷気がしみこむような、快い印象がわきおこったのは、小楽節を構成する五つの音のあいだのわずかなひらきと、それらのなかの二つの音の不断の反復によることをスワンは理解したのであった。 (プルースト「スワン家のほうへ」)

一瞬よりいくらか長く続く間の匂の愛撫もね。

晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放つた室々を腹這ふやうに流れて行つた。 

晦堂は静かに口を開いた。「木犀の匂をお聴きかの。」 山谷は答へた。山谷はそれを聞いて、老師が即答のあざやかさに心から感歎したといふことだ。 

ふと目に触れるか、鼻に感じるかした当座の事物を捉へて、難句の解釈に暗示を与へ、行詰つてゐる詩人の心境を打開して見せた老師の搏力には、さすがに感心させられるが、しかし、この場合一層つよく私の心を惹くのは、寺院の奥まつた一室に対座してゐる老僧と詩人との間を、煙のやうに脈々と流れて行つた木犀のかぐはしい呼吸で、その呼吸こそは、単に花樹の匂といふばかりでなく、また実に秋の高逸閑寂な心そのものより発散する香気として、この主客二人の思を浄め、興を深めたに相違ないといふことを忘れてはならぬ。……(薄田泣菫「木犀の香」)

愛撫の趣味で合致する点もゼロだな。 オワカリデセウカ?

ほんとにもう時間のムダヅカイをしないでください。


ではサヨウナラ、よい2020年代を。
奇跡をお祈りしています。