2020年1月13日月曜日

わたしには手がない

わたしには手がない
やさしく顔を愛撫してくれるような・・・

--ダヴィデ・マリア・トゥロルド、処女詩集


あ あなたでしたか 昨夜ぼくを撫でていたひと
すみません 忘れてしまって
だれもかれも手足がすんなり長くなって
舞うように歩いていますね

--大岡信「うたのように 2」

…………


中井久夫はカヴァフィスのエロス詩をいくつか引用したあと、

現実の詩人のエロスはどうだったかはあまりわかっていない。しかし、ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男はそもそも詩を書かないのではないか。彼のエロス詩には対象との距離意識、ほとんどニーチェが「距離のパトス」と呼んだものがあって、それが彼のエロス詩の硬質な魅力を作っているのではないだろうか。(「精神科医がものを書くとき」)

としているけどね

融合度が足りないんじゃなかね、いや愛撫され度ってのかな

若い男の愛撫はだいたい不充分だからな、
そうそうに挿れたいばっかりで。
近場に谷崎いないのかね、

僕ハ何トカシテアノ素晴ラシイ美シイ足ヲ、思ウ存分ワガ舌ヲモッテ愛撫シ尽シタイトイウ長イ間心ニ秘メテイタ念願ヲ、始メテ果タスヿガデキタ。(谷崎潤一郎『鍵 』)


奇跡を願わなくちゃな


ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。


ーーダヴィデ(須賀敦子訳)