2020年1月9日木曜日

綿串ボク蚊居肢子

わたくしが「私」ではなく「わたくし」と記したり、ボク、蚊居肢子(蚊居肢散人)とするのは、何よりもまずロラン・バルト主義者のせいである。これは以前に何度か示してきたことである。


蚊居肢子
ここにあるいっさいは、小説の登場人物によって語られているものと見なされるべきである。Tout ceci doit être considéré comme dit par un personnage de roman (『彼自身によるロラン・バルト』1975年)
ボク
私」は自我ではあり得ない。« je » peut n'être pas moi

「私」は想像界を発動する。« je » mobilise l'imaginaire, (『彼自身によるロラン・バルト』1975年)
私が自我について語っていけない理由はないではないか、自我はもはや自身でないのだから。pourquoi ne parlerais-je pas de «moi». puisque «moi» n'est plus «soi»? (『彼自身によるロラン・バルト』1975年)
綿串
作家はいつもシステムの盲点(システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes )にあって、漂流 dérive している。それはジョーカー joker であり、マナ manaであり、ゼロ度 degré zéroであり、ブリッジのダミー le mort du bridge である。 (ロラン・バルト『テクストの快楽』1973年)



蚊居肢子は不幸にも作家ではないので、ボクと綿串の境界がいくらか重なり合っているが、これはやむえないことである。

ラカン的にみたって重なり合っている。






綿串というのは、ラカンの$、より厳密には「享楽の藪 la brousse de la jouissanceのなかの場は、シニフィアンの主体le sujet du signifiant が刻印されうる」(J.-A. MILLER, - Tout le monde est fou – 04/06/2008)という内実でありつつ、エリオットの「うつろな人間」のことでもある。


俺たちのなかみはからっぽ
俺たちのなかみはつめもの
俺たちはよりそうが
頭のなかは藁のくず、ああ!

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!
(エリオット「うつろな人間 the hollow men」)



この一人へ称単数代名詞への問いは、蚊居肢子の場合、バルトの影響から直接はじまるとはいえ、古来からの問いでもある。

なお蚊居肢子を主語として記す場合、円地文子風の機能をももたせているのでご注意を。

日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。(円地文子ーー江藤淳による『女坂』解説からの孫引き)

ツイッターというのは2年ほどまえやめたが、以前に囀っていたときは「アタシ」であった。あれはバルトのいう「小説の登場人物」、あるいは円地文子風の一人称代名詞である。いやよりダイレクトには、クンデラ=ディドロに影響を受けた鳥語であった。

【瞞着Mystification】

もっぱらこっけい味のある欺瞞を指すものとして、リベルタン精神の横溢する十八世紀のフランスにあらわれた、それ自体おもしろおかしい(神秘〔ミステール〕という言葉に由来する)新語。ディドロはとてつもない悪ふざけをたくらんで、クロワマール侯爵に、ある不幸な若い修道女が彼の保護を求めていると、まんまと信じこませてしまうが、このときディドロは四十七歳。数ヶ月のあいだ、彼はすっかり感動した侯爵に宛てて、実在しないこの女のサイン入りの手紙を書き送る。『修道女』――瞞着の果実。ディドロと彼の世紀とを愛するための、さらなる理由。瞞着とは、世間を真に受けぬための積極的な方法である。(クンデラ「七十三語」(『小説の精神』)所収)

以上、誤解なきように!


以下、古典的な「私」への問いのいくつかを列挙しておく。


私という語によるゴマカシ
私が、私は私だというとき、主体(自己)と客体(自己)とは、切り離されるべきものの本質が損なわれることなしには切り離しが行われえないように統一されているのではない。逆に、自己は、自己からのこの切り離しを通してのみ可能なのである。私はいかにして自己意識なしに、「私!」と言いうるのか?(ヘルダーリン「存在・判断・可能性」)
一方で、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、という条件の下にある。われわれは服従する者としては、強迫、強制、圧迫、抵抗Zwingens, Draengens, Drueckens, Widerstehens などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。

しかし他方でまた、われわれは〈私〉という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「意志するということ Willens」に関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』第19番)
教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立ち止まらないからにすぎない。

「私は思う Je pense」に「私は嘘をついている Je mens」と同じだけの要求をするのなら次の二つに一つが考えられる。まず、それは「私は考えていると思っている Je pense que je pense」という意味。

これは想像的な、もしくは見解上の「私は思う」 、 「彼女は私を愛していると私は思う Je pense qu'elle m'aime」と言う場合に-つまり厄介なことが起こるというわけだが-言う「私は思う」以外の何でもない。…

もう一つの意味は「私は考える存在である Je suis un être pensant」である。この場合はもちろん、 「我思う」から自分の存在に対して思い上がりも偏見もない立場をまさに引き出そうとすることをそもそも台無しにすることになる。

私が「私はひとつの存在です Je suis un être」と言うと、それは「疑いもなく、私は存在にとって本質的な存在である Je suis un être essentiel à l'être, sans doute」ということで、ただのおもいあがりである。(ラカン、S9, 15 Novembre 1961)
主体としての「私」はどこにあるのか
自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。(古井由吉『「私」という白道』)
「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス』)




主語・主観・主体
たとえば、一人称が聞き手との関係によって違っているような日本語では、一人称と「主体」が混同されることはけっしてなかった。しかし、日本語に「主語がない」ことは、日本語で語る人間に「主体」が無いことをすこしも意味しない。逆にいって、そうした文法的条件は、近代的な主観を乗り越えることをも意味しない。今日、日本語では、文法上の subject と、理論理性としての subject、実践理性としての subject は、それぞれ主語、主観、主体と区別されている。そうしたのは、西田幾多郎であった。この区別は、日本語の性質から直ちに来るものではない。そこに、こうした語が混同されている西洋哲学への「批判」がある。(柄谷行人「非デカルト的コギト」1992『ヒューモアとしての唯物論』所収 )
subjectivitat という語は、日本では主観性や主体性と訳しわけられている。それはsubjectivitat という語の“用法”に大きな変化があったからだ。日本語での訳しわけは、それを反映している。主観性は、最初新カント派の認識論のタームとして訳されたものであり、現在でもそれは認識論に関連している。一方、主体性は、西田哲学の系統で用いられるようになった訳語で、現在でもそれは存在論的ないしは倫理的・実践的な意味で用いられている。日常的に使われるとき、これらの語が同一の起源に発することを知っている人さえ少ないほどに、はっきり区別されている。実際、”主観的”は否定的な意味で、”主体的”は肯定的な意味で使われるからだ。

このようなsubjectの両義性は、デカルトの「われ思う故にわれ在り」から生じたのである。ここで、「われ思う」に重点をおけば、”主観性”となり、「われ在り」に重点をおけば”主体性”となるだろう。たとえば、フッサールの超越論的現象学からハイデガーの存在論への移行は、いわば”主観性”から” 主体性”への移行である。ハイデガーは、フッサールにあった認識論的姿勢を批判して、”主体性”を存在論的にいいなおしたのである。

しかし、デカルトのコギトはそのいずれをも両義的にはらんでいる。いわゆる近代的認識論も、実存主義もデカルトのコギトとは無縁だ。逆にいえば、認識論の問題も実存主義の問題も、デカルトのなかであらためて考察されなければならない。たとえば、コギトを外部的実存と呼ぶとき、私はいわゆる実存主義を意味しているのではない。いわゆる実存主義は、ハイデガーの場合のように共同存在(共同体)に帰着するほかはない。なぜなら、実存主義における実存は、共同体(システム)的なものに対する外部性が欠けているからだ。いいかえれば、そこには認識論的な側面が抜けている。逆に、認識論的な側面において語る者たちには、システムに対する外部性が実存的問題であることが抜けおちている。(柄谷行人 「探求Ⅱ」 1989)




主体は穴である
自我は自分の家の主人ではない das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus(フロイト『精神分析入門』1916)
主体sujetとは……欲動の藪のなかで燃え穿たれた穴 rond brûlé dans la brousse des pulsionsにすぎない。(ラカン、E666, 1960)
享楽のなかの場は空虚化vidéeされている。享楽の藪la brousse de la jouissanceのなかの場は、シニフィアンの主体le sujet du signifiant が刻印されうる。(J.-A. MILLER, - Tout le monde est fou – 04/06/2008)
私は私の身体で話してる。自分では知らないままそうしてる。だからいつも私が知っていること以上のことを私は言う。Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (ラカン、S20. 15 Mai 1973)




$ ≡ S1 (主体=主語)の同一化はオタンチンである
主人の言説は主体の支配とともに始まる。主人の言説が、超限定された神話・それ自身のシニフィアンに同一化すること [ $ ≡ S1 ] によってのみ支えられる傾向がある限りで。(Lacan, S17、18 Février 1970)
真理のなかで、主体と主人の出現の地平 l'horizon de la montée du sujet-Maître dans une véritéにおいて、 …それ自体、等価 égalité à soi-mêmeとなることは、「アタシ支配 je-cratie」だ。(Lacan, S17, 11 Février 1970)
私は主人(支配者 m'etre)だ、私は支配 m'êtrise の道を進む、私は自己の主人 m'être de moiだ、あたかも世界の支配者のように comme de l'Univers。これが…(主人のシニフィアンS1に)征服されたオタンチン con-vaincu のことである。(ラカン、S20、13 Février 1973)


アタシは「アタシ支配 je-cratie」がとってもキライナの。わかるかしら、私クラシーje-cratieさんたち? デモクラシー(大衆クラシー)だってキライナの。

ではサヨウナラ、オタンチンさん!