2020年1月15日水曜日

女の身体


性的な身体を女性は見られることによって獲得していきます。女性にとって自己身体意識、あるいは自己身体イメージの獲得は、思春期以降、男性からかくあるべき身体として自分に付与される視線によって、その視線を内面化することによって獲得されます。(上野千鶴子 『性愛論』1991)

上野千鶴子さんでさえーー敢えて「さえ」というけどーーこう言っているんだから、古典的なジョン・リヴィエールJoan Rivièreの「仮装としての女性性Womanliness as a Masquerade」(1929年)を外して「女の身体」なんて語っても核心を外すだけだと思うよ。別にリヴィエールにそのまま依拠してなくても多くの人は似たようなことを言ってきた。

女の最大の技巧は仮装 Luege であり、女の最大の関心事は見せかけ Schein と美しさ Schoenheit である。(ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年)

何度もくりかえし引用したけれど、再掲しとくよ。

女性が自分を見せびらかし s'exhibe、自分を欲望の対象 objet du désir として示すという事実は、女性を潜在的かつ密かな仕方でファルス ϕαλλός [ phallos ] と同一のものにし、その主体としての存在を、欲望されるファルス ϕαλλός désiré、他者の欲望のシニフィアン signifiant du désir de l'autre として位置づける。こうした存在のあり方は女性を、女性の仮装 la mascarade féminineと呼ぶことのできるものの彼方に位置づけるが、それは、結局のところ、女性が示すその女性性 féminité のすべてが、ファルスのシニフィアンに対する深い同一化に結びついているからである。この同一化は、女性性 féminité ともっとも密接に結びついている。(ラカン、S5、23 Avril 1958)
男の愛の「フェティッシュ形式 la forme fétichiste」 /女の愛の「被愛妄想形式 la forme érotomaniaque」(ラカン「女性のセクシャリティについての会議のためのガイドラインPropos directifs pour un Congrès sur la sexualité féminine」E733、1960年)
女性の愛の形式は、フェティシストというよりももっと被愛妄想的です[ la forme féminine de l'amour est plus volontiers érotomaniaque que fétichiste]。女性は愛されたいのです[elles veulent être aimées]。愛と関心、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定するものですが、女性の愛の引き金をひく[déclencher leur amour]ために、それらはしばしば不可欠なものです。(ジャック=アラン・ミレール Jacques-Alain Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010年)
男がカフェに坐っている。そしてカップルが通り過ぎてゆくのを見る。彼はその女が魅力的であるのを見出し、女を見つめる。これは男性の欲望への関わりの典型的な例だろう。彼の関心は女の上にあり、彼女を「持ちたい」。同じ状況の女は、異なった態度をとる(Darian Leader(1996)。彼女は男に魅惑されているかもしれない。だがそれにもかかわらずその男とともにいる女を見るのにより多くの時間を費やす。なぜそうなのか? 女の欲望への関係は男とは異なる。単純に欲望の対象を所有したいという願望ではないのだ。そうではなく、通り過ぎていった女があの男に欲望にされたのはなぜなのかを知りたいのである。彼女の欲望への関係は、男の欲望のシニフィアンになることについてなのである。(ポール・バーハウ  Paul Verhaeghe, Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE 、1998年)




何年かまえ読んで感心したポルトガル在住のスガトモコさんの文ーー彼女は占術家として28年のキャリアがあるそうだーーの一部も貼り付けておくよ。


娼婦性について  菅知子
「おしろいをぬるやうになってから 女は からだを売って生きるやうになった」

金子光晴の、「どぶ」という詩の冒頭である。

体を商品にして生きているのは、何も娼婦に限ったことではない。女は、女の肉体をもって生まれたことそれ自体が、すでにひとつの業なのである。それを宝として守り、ときに力づくで奪われ、しばしば自ら武器として利用し、はたまた重い足かせとして引きずりながら、生涯肉体とともに生きていかなければならない。
周りの大人の男の自分に対する視線が、子供を見る目から女を見る目に変わったときのことを、私は今でも覚えている。どこか色めき、にやつき、それでいてこわばるような、本能と自意識の混在したような目つき。その視線に応じて女は、自分にとってより有利な反応を引き出せる振る舞いや媚態を、無意識に体得してゆくのである。

男性という客体を前に、自らの肉体に価値があることを自覚せざるをえない環境にあって、それをまったく利用せずに生きていく女は、ごくまれであろう。愛されるために容姿を美しく飾り立て、欲望を刺激して男の気持ちを操ろうとすることは、無意識裡にであれ、あらゆる女がやっていることだ。

そのような意味で、娼婦性というのは、ひとつのアーキタイプとしてすべての女のなかに潜んでいる。しかしながらその一面を否定し、愛だのプライドだのカケヒキだのをごちゃごちゃに混ぜ合わせてしまうことで、女として生きる苦悩は往々にしていっそう複雑なものとなってしまう。





「科学者」中井久夫の徹底的な分類も再掲しておこう。



◼️中井久夫「身体の多重性」(『徴候・記憶・外傷』所収)
A 心身一体的身体
(1)成長するものとしての身体
(2)住まうものとしての身体
(3)人に示すものとしての身体
(4)直接眺められた身体(クレー的身体)
(5)鏡像身体(左右逆、短足など)
B 図式〔シューマ〕的身体
(6)解剖学的身体(地図としての身体)
(7)生理学的身体(論理的身体)
(8)絶対図式的身体(離人、幽体離脱の際に典型的)
C トポロジカルな身体
(9)内外の境界としての身体(「袋としての身体」)
(10)快楽・苦痛・疼痛を感じる身体
(11)兆候空間的身体
(12)他者のまなざしによる兆候空間的身体
D デカルト的・ボーア的身体
(13)主体の延長としての身体
(14)客体の延長としての身体
E 社会的身体
(15)奴隷的道具としての身体
(16)慣習の受肉体としての身体(マルセル・モース)
(17)スキルの実現に奉仕する身体
(18)「車幅感覚」的身体(ホールのプロキセミックス、安永のファントム空間)
(19)表現する身体(舞踏、身体言語)
(20)表現のトポスとしての身体(ミミクリー、化粧、タトーなど)
(21)歴史としての身体(記憶の索引としての身体)
(22)競争の媒体としての身体(スポーツを含む)
(23)他者と相互作用し、しばしば同期する身体(手をつなぐ、接吻する、などなど)
F 生命感覚的身体
(24)エロス的に即融する身体(プロトペイシックな身体)
(25)図式触覚的(エピクリティカルな身体)
(26)嗅覚・味覚・運動感覚・内臓感覚・平行感覚的身体
(27)生命感覚の湧き口としての身体(その欠如態が「生命飢餓感」(岸本英夫)
(28)死の予兆としての身体(老いゆく身体――自由度減少を自覚する身体)
(29)暴力としての身体(暴力をふるうことによってバラバラになりかけている何かがその瞬間だけ統一される。ひとつの集団が暴力に対して暴力をもって反応する時にはその集団としてのまとまりが生まれる)





異なった観点からのとても美しい文も。

また思春期。すべてが流砂の中にあるような身体の変化。それは時間感覚の長短ではない。それは、奇妙な言い方だが「永遠を越える」変化である。質の変化は量の変化を越えるからだ。私は長い間、少女たちがいつも同じ、眼の思い切り大きくつぶらな、中原淳一ふうの少女の顔を描き続けるのをいぶかってきた。おそらく、少年よりも短期間に大幅に眼に見えて変わる少女の身体像に対して対抗するには思い切りステロタイプな少女像しかないのだ。まさに「乙女の姿しばしとどめん」である。そういえば多くの少女像が斜め左を、つまり多少過去をみつめて、一雫の涙が今にもこぼれんばかりである。

しかし、少年の思春期は身体表現を持たないことによる独特の辛さがある。少年期の訪れとともに泣けなくなるのはなぜだろう。一部の少年に、急速に伸びゆく体験と知性との二つの間の独特な比によって数学と詩とに向って不思議な開けが起こるのも、泣けなくなるからではないだろうか。自殺する中学生たちは果たして泣けていたのだろうか。いっしょに泣いてくれる親友がいたら彼らは死ぬだろうか。親友がありえないように孤立させられていたら、せめてそのそばで泣けるような大人がいてくれればーー。

こういうことをすべて忘れて、人は大人になる。なりふりかまわずといってもよいほどだ。ただ、少数の人間だけが幼い時の夕焼けの長さを、少年少女の、毎日が新しい断面を見せて訪れた息つく暇のない日々を記憶に留めたまま大人になる。村瀬嘉代子さんは間違いなくそういう人であって、そういう人として「子どもと大人の架け橋」を心がけておられるのだ。より正確には、運命的に「架け橋」そのものたらざるを得ない刻印を帯びた人である。

あるいは村瀬さんは私にも同じ刻印を認めておられるのかもしれない。その当否はともかく、何年に一度かお会いするだけであるのに、私も村瀬さんに独特の近しさを感じている。それは、精神療法の道における同行の士であると同時に、朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚である。

この本の中に村瀬さんの症例への私のコメントが一つ掲載されているが、それを書いた時の感覚がそのようなものであったことを昨日のように思い出す。

そのような文ならば書けるだろう。しかし、書評とは。私は三ヶ月、道を歩く時も書評のための言葉を求めて頭の中をさまよっていた。私の考えはいつもこのような文に戻って行った。一言のキャッチフレーズによって知られ、或いはそれによって要約される人もあるが、村瀬さんはそういう人ではない。村瀬さんの心理療法にはそういう一語はない。学寮の若き日々を共にしたモートン・ブラウンが神谷美恵子さんの追悼に捧げた言葉を借りれば、村瀬さんは「行為」である。そして行為の軌跡として村瀬さんの著書はある。それは一つの「山脈」であって、年齢とともに山容は深みを帯びるのであるが、妻となり母となった経験を重ねつつも、その中で「むいたばかりの果物のような少女」も決して磨耗していない。村瀬さんが患者を前にして覚えるおそれとつつしみとはその証しであり、それを伝えることがこの本に著者が託した大切なメッセージではなかろうかと私は思う。(中井久夫「こころと科学」第六六号、 1996初出『精神科医がものを書くとき  Ⅱ』広栄社 所収)