2020年1月26日日曜日

きみにはこんな経験がないかね?

DMをもらっているが、そこにはフィンクの要約がある。でも少なくともある時期までのフィンクの女性の享楽はアンコールまでのラカン。わたくしは現代の主流臨床ラカン派の女性の享楽はそこから移行したということをくりかえし「引用」している。

たとえば、最近でも、

「ファルス享楽と女性の享楽」の二重構造
症状の二重構造
ジジェクの誤謬


でもあなたが言っていることはある意味でよくわかる「気がする」。

二種類のサントームについて」で記した原症状から距離をとるという意味でのサントームに近いことを言っている「ように見える」。

とはいえもし真に問うつもりがあるなら、フィンクさらにその他を要約でなく、厳密に引用してくれないかな。今はテトで忙しいけど、そのうち考えてみるから。



きみにはこんな経験がないかね?
「きみにはこんな経験がないかね? 何かを考えたり書こうとしたりするとすぐに、それについて最適な言葉を記した誰かの書物が頭に思い浮かぶのだ。しかしいかんせん、うろ覚えではっきりとは思い出せない。確認する必要が生じる──そう、本当に素晴らしい言葉なら、正確に引用しなければならないからな。そこで、その本を探して書棚を漁り、なければ図書館に足を運び、それでも駄目なら書店を梯子したりする。そうやって苦労して見つけた本を繙き、該当箇所を確認するだけのつもりが、読み始め、思わずのめりこんでゆく。そしてようやく読み終えた頃には既に、最初に考えていた、あるいは書きつけようとしていた何かのことなど、もはやどうでもよくなっているか、すっかり忘れてしまっているのだ。しかもその書物を読んだことによって、また別の気がかりが始まったことに気付く。だがそれも当然だろう、本を一冊読むためには、それなりの時間と思考を必要とするものなのだから。ある程度時間が経てば、興味の対象がどんどん変化し移り変わってもおかしくあるまい? だがね、そうやってわれわれは人生の時間を失ってしまうものなのだよ。移り気な思考は、結局、何も考えなかったことに等しいのだ」(ボルヘス 読書について──ある年老いた男の話)
要約のイデオロギー
本質規定からいって、教師の言述は要約することができる(あるいは、できなければならない)という性格を帯びる(これは国会議員の演説と共通する特権である)。周知のように、わが国の学校では、テクストの要約と呼ばれる訓練が行わている。この呼び方が、まさに、要約のイデオロギーをいい当てている。すなわち、一方に、《思想》という、メッセージの対象であり、行動の要素、科学の要素である。他動的な、あるいは、批判的な力があり、もう一方に、《文体》という、贅沢、閑暇、したがって、無用なものに属する装飾がある。文体から思想を切り離すことは、いわば、言述から聖職的な衣をはぎ取ることであり、メッセージを世俗化することである(そこから、教師と代議士とのブルジョワ的結合が生ずる)。《形式》は圧縮し得るものであると考えられているのえあり、この圧縮は本質的に害を与えるものとは考えられていない。実際、遠い所、つまり、わが西欧の境界を越えた所では、生きているジヴァロの頭と縮小したジヴァロの頭との差異はそれほど重大だろうか。…

教師にとって、自分の講義中、生徒の取る《ノート》を見るのはむずかしい。彼はほとんど見ようとしない。慎みからからか(なぜなら、この作業の儀礼的な性格にもかかわらず、《ノート》ほど個人的なものはないからである)、あるいは、こちらの方が当たっていそうだが、同族の者に加工されたジヴァロのように、死んで、物質的で、しかも縮小された状態にある自分を見るのが怖いからであろう。パロールの流れの中から取られた(差し引かれた)ものがどこにも当てはまる言表(公式、文)であるのか、推論の要点なのか、わかりはしない。どちらの場合にも、失われたものは付加物であるが、そこにこそ言語活動の賭け金が投ぜられているのである。要約はエクリチュールの拒否である。

逆の結論として、要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわち、ある種の能記[シニフィアン]の実践)が明確にしなければならない条件である。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」1971、沢崎浩平訳)
気軽な間柄での手紙でも相手の書いた文章を要約しない
ギー兄さん自身、梅雨の頃に手紙をよこして、確かにかれの内部で、すっかり新しい事態とはいわぬまでも、めざましい勢いの展開が起り始めていることをつたえるようだったのである。ギー兄さんは、それがかれの性癖のひとつだが、気軽な間柄での手紙でも相手の書いた文章を要約しない。直接に引用しながら、次のように書いていた。

きみは出版社の宣伝用小冊子にこういうことをしゃべっていたね。――僕は少し前から、自分の一番根幹にある感情は、「悲嘆グリーフ」だと感じてきました。これは、学生の頃フォークナーやブレイクの文章に見出した言葉ですが、最近ではスタイロンの評論集『この静まりかえった塵』にも、その感情が充ちていることを感じました。若いときも、ある悲嘆の感情を持ったけれど、それは荒あらしかった。年をとってきて、気がついてみると、非常に静かな悲嘆というものになってきている。これからも年をとるにつれて、この感情は深まってゆくのではないかと思います。……

きみのいう「悲嘆グリーフ」の感情が、ある年齢を越えた者を繰りかえしとらえるという観察には、経験に立つ言葉として自分も賛成します。われわれをとらえる「悲嘆グリーフ」の感情といいたいほど、じつは共感してもいる。しかしきみより少し年をとっているこちらの、やはり経験にそくしての言葉をのべれば、きみのいうこととちがいところもあるわけなのだ。

若いときも、ある悲嘆の感情を持ったけれど、それは荒あらしかった。この観察にはまったく賛成。自分のも、きみのそれもさ、お互いの若かった時の顔つきにかさねてね、思い起こすことがある。あの時分というと、漠然とした話になるが、感じはつたわるだろう。あの時分さ、Kちゃんよ。きみは額が狭いといって気にかけていたね。ところがこの春、テレヴィで話すきみを見て額のあたりに眼がいって、ある種の感慨があったよ。

さて、つづいてきみのいう、年をとってきて、気がついてみると、非常に静かな悲嘆というものになってきている。その考えにも、いうならば段階的・過程的に賛成なのだ。自分も、ついこの間まで、そのように自覚していたことを思い出すからね。ところが、きみより五歳年長の自分は、次の一節に、決して賛成するわけにはまいらぬ。これからも年をとるにつれて、(非常に静かな悲嘆ともいうものとしての)この感情は深まってゆくのではないかと思います。

年をとる、そして突然ある逆行が起る。非常に荒あらしい悲嘆というものが自分を待ちかまえているかも知れぬと、Kちゃんよ、きみは思うことはないか? いつまでも本気でダンテを読みはじめる気配のないきみに、こうしたことをいうのもセンないことだが、かれの地獄にも煉獄にも、荒あらしい老年の悲嘆者たちは充ちているよ。きみの談話筆記を眼にして、それに触発された、自分の近況報告として、これを書きました。ともかくもきみとオユーサンと子供たちの健康を祈念しています。ギー》(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)
要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳
蓮實)僕がやっている批評のほとんどは無駄に近い列挙なんです。これもありますよ、これもありますよ、というようなものでね。こっち見てごらんなさい。夏目漱石、こんなことを書いていますよ。またこっちではこんなことを書いていますよ、という愚鈍なまでの列挙なんです。その意味では批評というより事項が並んでいるだけなんです。ところがいまの若い人たちは列挙しないんですね。非常に優雅に自分の言葉に置き換えちゃっている。(……)

僕の無駄というのは、その無謀な列挙にある。なぜ列挙するかというと、列挙することそのものがかろうじて根拠たりうるようなものしか論じないからです。たとえば、ジョン・フォードには太い大きな幹が出てくる。僕は、それを美しいと思う、というよりそのことに理由のない恐れをいだく。しかしそれには何の意味もない。ただ、太い樹木の幹が見えるというだけなんです。だから『静かなる男』にもあった、『タバコロード』にもあった、『我が谷は緑なりき』にもあったと際限なく羅列してゆくしかない。

……みんな、批評というものを解釈だと勘違いしてしまったんですよ。解釈といったって、形式を読むこともしなければ、ましてや魂の唯物論的な擁護などと思ってもみない。共同体が容認しうるイメージへと作品を翻訳することを意味の解釈だと思っちゃった。(……)

批評の第一の役割は、作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げることであり、それを閉ざすことではない。ところが、みんな、無意識に意味生成の場を狭めればそれが主体的だと思ってるんです。僕はそれを可能な限り豊かなものにすることを一貫してやってきた。べつに、意味を無視したわけじゃあないんです。読むことって、無数の意味の闘いでしょ。表層というのは、その闘いの現場であるわけです。解釈が始まるのは、その闘いの現場を通過してからの話でなければいけない。

流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)
何かを理解したかのような気分
何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そう することで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解し たかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥りがちなのです。

だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態たといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」にな るためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な 意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、む なしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にすぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のうちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彦『齟齬の誘惑』)