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2019年7月18日木曜日

二種類のサントームについて

質問があり、ジャック=アラン・ミレールがサントーム=固着ばかりを強調しているのはおかしいのではないか、というものだが、それについてわたくしの理解している範囲で記す。

まず基本から始める。サントームの意味である。


「サントーム sinthome」は、後に「症状 symptôme」と綴られるようになったものの昔の書き方である。LE SINTHOME.  C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME. (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)   

この sinthome には、saint homme (聖人)、Saint Thomas Aquinas(聖トマス・アクィナス)、 sin homme(罪人)等々への示唆がある。

そして晩年のラカンが次のように言うときの「症状」はサントームのこと。

症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
私は、皆が無意識を楽しむ仕方にて症状を定義する。彼らが無意識によって決定される限りに於て。Je définis le symptôme par la façon dont chacun jouit de l'inconscient en tant que l'inconscient le détermine(Lacan, S22, 18 Février 1975)

比較的早い時期におけるジャック=アラン・ミレール の注釈はこうである。

ラカンが症状概念の刷新 rénovation du concept de symptômeとして導入したもの、それは時に ∑(シグマ)と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne、1987)
ラカンの定義に戻れば、身体の出来事としてのサントームは、フロイトの原抑圧(固着)のこと。
四番目の用語(Σ:サントームsinthome)にはどんな根源的還元もない Il n'y a aucune réduction radicale、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。…そして私が目指すこの穴trou、それを原抑圧自体のなかに認知する。(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
われわれには原抑圧 Urverdrängung 、つまり欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着Fixierungが行われる。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)

ラカンのいう原抑圧=穴とは、フロイトのいう引力のこと。

フロイトは、原抑圧 Urverdrängung を他のすべての抑圧が可能となる引力の核 le point d'Anziehung, le point d'attrait)とした。 (ラカン, S11, 03 Juin 1964
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
ただしラカンはサントームについて次のようにも言っている。
私がサントームΣとして定義したものは、象徴界、想像界、現実界を一つにまとめることを可能にするものである j'ai défini comme le sinthome [ Σ ], à savoir le quelque chose qui permet au Symbolique, à l'Imaginaire et au Réel, de continuer de tenir ensemble。…サントームの水準でのみ…関係がある…サントームがあるところにのみ関係がある。… Au niveau du sinthome, … il y a rapport. … Il n'y a rapport que là où il y a sinthome (ラカン, S23, 17 Février 1976)
倒錯とは、「父に向かうヴァージョン version vers le père」以外の何ものでもない。要するに、父とは症状である le père est un symptôme。あなた方がお好きなら、この症状をサントームとしてもよい ou un sinthome, comme vous le voudrez。…私はこれを「père-version」(父の版の倒錯)と書こう。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)


父の版の症状としてのサントーム、あるいは三界の結び目としてのサントームとある。

したがってミレールは次のように言う。

最後のラカンにおいて、父の名はサントームとして定義される。言い換えれば、他の諸様式のなかの一つの享楽様式として。il a enfin défini le Nom-du-Père comme un sinthome, c'est-à-dire comme un mode de jouir parmi d'autres. (ミレール、L'Autre sans Autre、2013)


「固着としてのサントーム」と「父の名としてのサントーム」との相違は、何か?

それは「原症状」と「原症状から距離を置く症状」との相違であり、次の文に現れる。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme?

症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, S24, 16 Novembre 1976)


ここでもう一度、上に引用した次の文に戻ろう。

象徴界、想像界、現実界を一つにまとめる結び目としてのサントーム
私がサントームΣとして定義したものは、象徴界、想像界、現実界を一つにまとめることを可能にするものである j'ai défini comme le sinthome [ Σ ], à savoir le quelque chose qui permet au Symbolique, à l'Imaginaire et au Réel, de continuer de tenir ensemble。…サントームの水準でのみ…関係がある…サントームがあるところにのみ関係がある。… Au niveau du sinthome, … il y a rapport. … Il n'y a rapport que là où il y a sinthome (ラカン, S23, 17 Février 1976)

ところが最晩年、次のように言うことになる。
⬇︎
想像界、象徴界、現実界を支えるものなど何もない
ボロメオ結びの隠喩は、最もシンプルな状態で、不適切だ。あれは隠喩の乱用だ。というのは、実際は、想像界・象徴界・現実界を支えるものなど何もないから。私が言っていることの本質は、性関係はないということだ。性関係はない。それは、想像界・象徴界・現実界があるせいだ。これは、私が敢えて言おうとしなかったことだ。が、それにもかかわらず、言ったよ。

はっきりしている、私が間違っていたことは。しかし、私は自らそこにすべり落ちるに任せていた。困ったもんだ、困ったどころじゃない、とうてい正当化しえない。

これが今日、事態がいかに見えるかということだ。きみたちに告白するよ。

La métaphore du nœud borroméen à l'état le plus simple est impropre. C'est un abus de métaphore, parce qu'en réalité il n'y a pas de chose qui supporte l'Imaginaire, le Symbolique et le Réel. Qu'il n'y ait pas de rapport sexuel, c'est ce qui est l'essentiel de ce que j'énonce.   Qu'il n'y ait pas de rapport sexuel parce qu'il y a un Imaginaire, un Symbolique et un Réel, c'est ce que je n'ai pas osé dire.  Je l'ai quand même dit.  

Il est bien évident que j'ai eu tort, mais je m'y suis laissé glisser... je m'y suis laissé glisser tout simplement.  C'est embêtant, c'est même plus qu'ennuyeux.  C'est d'autant plus ennuyeux que c'est injustifié.   

C'est ce qui m'apparait aujourd'hui, c'est du même coup ce que je vous avoue. Bien ! (ラカン, S26, La topologie et le temps, 9 janvier 1979)




以上より、ラカン理論は未完成なのである。そしてもちろん結び目としてのサントームは大切とはいえ、その底にある固着としてのサントームをしっかり見極めなければならないということになる。この文脈のなかに、ミレールによるフロイト原抑圧=固着の強調があるのだろう、とわたくしは判断している。

この二種類のサントームについては、次の二つのボロメオの環を眺めることによって理解できる。



左側が結び目としてのサントームΣである。その根にあるものとして右図の「真の穴 vrai trou」=原抑圧(固着)としてのサントーム(原症状)がある。

以下にいままで引用してきた、固着=サントームをめぐる注釈をいくらかまとめて掲げておく。






サントーム(原症状)=トラウマによる反復強迫
サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。 Le sinthome, c'est le réel et sa répétition (MILLER, L'Être et l'Un,, 9/2/2011)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. (Lacan, S23, 10 Février 1976)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマtraumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。(Lacan, S23, 13 Avril 1976)
◆反復強迫

現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)
現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011)
骨象=文字対象a=固着
私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe,  BEYOND GENDER, 2001年)
ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍であり、固着のために「置き残される」原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。( Paul Verhaeghe,  BEYOND GENDER, 2001年)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレールColette Soler, Avènements du réel,  2017年)
◆S2なきS1=固着

反復的享楽 La jouissance répétitive、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントーム sinthome と呼んだものは、中毒の水準 niveau de l'addiction にある。この反復的享楽は「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはただ、S2なきS1(S1 sans S2)を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(MILLER、L'Être et l'Un, 23/03/2011)
サントーム=固着
ラカンが症状概念の刷新 rénovation du concept de symptômeとして導入したもの、それは時に∑(シグマ)と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne、1987)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつきconnexion が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯
抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。そして制止inhibitionされる。

フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。

Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,L'être et l'un 30/03/2011)

リビドーは、固着Fixierung によって、退行の道に誘い込まれる。リビドーは、固着を発達段階の或る点に置き残す(居残るzurückgelassen)のである。…

実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」1916年)
より初期の段階のある部分傾向 Partialstrebung の置き残し(滞留 Verbleiben)が、固着 Fixierung、欲動の固着 Fixierung (des Triebes nämlich)と呼ばれるものである。(フロイト『精神分析入門』第22講、1916年)
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…

いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)
症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
症状は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)
享楽は身体の出来事である。享楽(身体の出来事)はトラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である。la jouissance est un événement de corps.[…] la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard, […] elle est l'objet d'une fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)
外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1916年)
分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る。Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation. ( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011)
「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」…

これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)
分析経験において、われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。dans l'expérience analytique. Nous avons affaire à une jouissance traumatisée ( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011
…この欲動蠢動 Triebregungは(身体の)「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する瞬間 Das fixierende Moment は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es となる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
享楽の様式としてのサントーム、享楽の機能、欲動的享楽の反復機能 le sinthome comme mode de jouir, fonctionnement de jouissance, fonctionnement-répétition de jouissance pulsionnelle  (Miller, Choses de finesse en psychanalyse IV, 3/12/2008)
享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)