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2020年1月16日木曜日

あの少女に覚える羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚

前々回の末尾に引用した中井久夫の文に《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》とあって、とっても好きな表現で今までにも何度か引用しているのだけれど、人はあの思春期ーーいやそれだけでなく幼年期ーーの切ない感覚を忘れるものなのかね、《ただ、少数の人間だけが幼い時の夕焼けの長さを、少年少女の、毎日が新しい断面を見せて訪れた息つく暇のない日々を記憶に留めたまま大人になる》とあるけどさ。

…こういうことをすべて忘れて、人は大人になる。なりふりかまわずといってもよいほどだ。ただ、少数の人間だけが幼い時の夕焼けの長さを、少年少女の、毎日が新しい断面を見せて訪れた息つく暇のない日々を記憶に留めたまま大人になる。村瀬嘉代子さんは間違いなくそういう人であって、そういう人として「子どもと大人の架け橋」を心がけておられるのだ。より正確には、運命的に「架け橋」そのものたらざるを得ない刻印を帯びた人である。

あるいは村瀬さんは私にも同じ刻印を認めておられるのかもしれない。その当否はともかく、何年に一度かお会いするだけであるのに、私も村瀬さんに独特の近しさを感じている。それは、精神療法の道における同行の士であると同時に、朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚である。(中井久夫「こころと科学」第六六号、 1996初出『精神科医がものを書くとき  Ⅱ』広栄社 所収)


蚊居肢散人は還暦過ぎても、まだあの頃の感覚が途轍もない強度で唐突に襲ってきて、記憶の穴のなかに吸い込まれてしまうような感覚をくり返してもつのだが。だいたいあんなのの忘却してるヤツってのは象皮病みたいなもんだよ、

一般的な外傷神経症を刺激保護膜Reizschutzesの甚だしい突破侵入の結果と見なしてよいだろう。(フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)

ーー刺激保護の皮膚がブ厚いヤツってのはウラヤマシイね


実は、《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》という文節自体が今回、時間感覚を引き裂くすきま風のように作用して痛切な感覚をもたらし、なんだか身動きできないような感じになってしまい、昨日の夕食時に妻から「目が外に向いていない」と言われたんだけどさ、ま、毎度のことさ。

妻が何度も襲われるのは5歳のときの記憶らしいけど、ボクは少なくとも20映像ぐらいはあるな。彼女には、きみと最初に出会ったときのモーヴ色のアオザイでシクロにふんぞりかえっているイマージュはどうしたって忘れられないな、というと機嫌がなおるけどさ。

今回は、ーーああ、ああ、遠ざかっていく少女のイマージュ。





侯孝賢の作品には背を向けて向こうに歩んでいったり、走り去っていったりする女の映像がふんだんにあるのだけど、彼の作品を他人とは一緒に観れないね、むかし映画館で女と一緒に観たことが一度だけあるのだけど、ひどくオコッチマッタよ。

彼の作品は音楽をもうちょっとなんとかしてくれ、って思うときがあるのだけど、それ以外は「真の親友」の映像作家だな。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。


たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。

むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」)




レミニサンス
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
この書(スワン家のほうへ)は極めてリアルな書 livre extrêmement réel だが、 「無意志的記憶 mémoire involontaire」を模倣するために、…いわば、恩寵 grâce により、「レミニサンスの花柄 pédoncule de réminiscences」により支えられている。 (プルースト書簡 Comment parut Du côté de chez Swann. Lettre de M.Proust à René Blum de février 1913)
私の身体は、歴史がかたちづくった私の幼児期である mon corps, c'est mon enfance, telle que l'histoire l'a faite。…匂いや疲れ、人声の響き、競争、光線など des odeurs, des fatigues, des sons de voix, des courses, des lumières、…失われた時の記憶 le souvenir du temps perdu を作り出すという以外に意味のないもの…(幼児期の国を読むとは)身体と記憶 le corps et la mémoireによって、身体の記憶 la mémoire du corpsによって、知覚することだ。(ロラン・バルト「南西部の光 LA LUMIÈRE DU SUD-OUEST」1977年)