出生後も一年ぐらいは他の動物の胎児並みのヒト族は強い原不安をもつ。まずは分離不安だ。母はいつも傍にいるわけではない。乳幼児が泣き叫んでも母はすぐにやって来ないかもしれない。
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母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)
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という感じを抱く筈。
でもその後、母の過剰現前による融合不安もある。ここでもラカンの比喩なら、「母なる鰐の口」との遭遇。
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「母の溺愛 « béguin » de la mère」…これは絶対的な重要性をもっている。というのは「母の溺愛」は、寛大に取り扱いうるものではないから。そう、黙ってやり過ごしうるものではない。それは常にダメージを引き起こすdégâts。そうではなかろうか?
母は巨大な鰐 Un grand crocodile のようなものだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。これが母だ、ちがうだろうか? あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざすle refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)
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どちらの不安を強くもつのかは環境によるだろうが、分離不安が先行してあるのは間違いない。この不安による欲動(駆り立てる力)は、フロイトラカンの考えでは、喪われた子宮内生活に戻ろうとする運動を究極的にはもつ。
日本の作家の例を挙げよう。芥川、太宰、三島。彼らの幼児期は、母不在だ(三島の場合は祖母過剰現前もあるが)。おそらく三者とも分離不安を強く抱いた幼年期をもっている。母胎回帰運動は母なる大地への帰還を目指すことであり、自殺衝動につながりうる。
他方、最近の若い人たちなら一人っ子が多く、母の過剰現前の経験がかつてより多いはずだ。昔のようにきょうだいが一年後に生まれ母がはやばやと離れてしまうことなど殆どない。もっとも逆に母の就労による早々の分離はかつてよりずっと多いだろうが。
これらの原不安は少年少女期の後の経験ーーたとえば乳幼児期には強い融合不安をもつ状況に置かれた人でも少年少女期、母の不在を体験して分離不安を強く抱くということはままあり他の多様な要因もあるので単純化はできないが、原不安のほうがのちの人生でより大きな影響をもつだろうことはほぼ確かである。
フロイト用語でいえば(用語的には逆の形で)分離不安とはエロス人格、融合不安とはタナトス人格を生み出しうる。ヒトにはこの欲動混淆(エロトススペクトラム)がある。
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ここで冒頭図の「原去勢」の意味を確認しておこう。
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…
問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自己身体の一部分Körperteils の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)
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疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体 eigenen Körper とのあいだの区別をしていない。乳房が分離され「外部 aussen」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給 ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung の部分と見なす。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、第7章、死後出版1940年)
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さらに冒頭図の右端のマテームを確認しておけば、「斜線を引かれた享楽マテーム」は去勢のことあり、さらには穴=トラウマȺ のことでもある。
上にあるように原享楽 J は Aとも記せる。
原初に何かが起こったのである、それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつてAの形態[ la forme A]を取った何かを生み出させようとして、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させようとして faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)
そして「享楽の主体 Sujet de la jouissance」とは次の状態に他ならない。
以下、このところ繰り返し示している引用群からエキス文のみを抜き出し、ここでの注釈の補助とする。
リビドー控除=享楽控除
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リビドー libido 、純粋な生の本能 pur instinct de vie としてのこのリビドーは、不死の生vie immortelle(永遠の生)である。…この単純化された破壊されない生 vie simplifiée et indestructible は、人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)
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(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。 (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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出生によって喪われた対象=モノ=享楽の対象
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反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…
享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…
大他者の享楽? 確かに! [« jouissance de l'Autre » ? Certes ! ]
…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
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モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカン、 S7, 16 Décembre 1959)
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例えば胎盤 placentaは、個人が出産時に喪なった individu perd à la naissance 己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象 l'objet perdu plus profondを象徴する。(ラカン, S11, 20 Mai 1964)
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享楽回帰運動=原ナルシシズム的リビドー備給
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人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。 haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
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自我の発達は原ナルシシズムから出発しており、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)
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人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰運動 Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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