2020年2月10日月曜日

ガセビリにしちゃハクイナゴだ



実に高貴な女である。蚊居肢子にとって高貴さとは攻撃性の気配とともに生まれる。攻撃性とはサディズムとしてもよい。

フロイト区分ならこうである。




男性諸君、女にばかり左項を占領させていてはあまりにも不公平である。21世期の現在、真の男女同権運動を起こさねばならない。女たちばかりに現実界の享楽を堪能させていてはならないのである。


享楽は現実界にある la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)


蚊居肢子は長いあいだ、マネの愛人であり、その後マラルメの愛人となったメリ・ローランの写真が好みだったのだが、2年半ほどまえTumblr で拾った冒頭の写真のほうをはるかに好むようになった。





こんな女など自分勝手にマゾヒズムを堪能しているだけである。男たちが真に愛するのは、サディストの女でなければならない・・・


男女の関係が深くなると、自分の中の女性が目覚めてきます。女と向かい合うと、向こうが男で、こちらの前世は女として関係があったという感じが出てくるのです。それなくして、色気というのは生まれるものでしょうか。(古井由吉『人生の色気』)


なお余談だが、昔のガセビリ屋ーーつまり銘酒屋であるーーは高見順の『いやな感じ』によれば次のような構造になっていたそうだ。





40年ほど前、吉行淳之介が『いやな感じ』を絶賛しているのを知って古本屋で手に入れ読んだことがあるのだが、この数週間まえ青空文庫に入庫しており飛びつくようにして懐かしみながらふたたび読んでみた。


「お前さんは赤門出か」と「牢名主」が重野に言った。「誰だってアカ門(女陰)出だ」(高見順『いやな感じ』)
気のせいか、この路地には、トロ(精液)の臭いとそれから消毒液の臭いが、むーんと立ちこめているみたいだった。女に飢えた男たちの息、熱っぽい人いきれもくさい臭いを放っているにちがいない。(高見順『いやな感じ』)
「ガセビリ(淫売)にしちゃ、ハクイ(いい)ナゴ(女)だ」(高見順『いやな感じ』)

ああ、古き良き時代! いまその痕跡はどこにあるんだろう?



――そうだ。お好み焼屋へ行こう
私は火鉢の火が恋しくなった。「――そうだ。お好み焼屋へ行こう」 

本願寺の裏手の、軒並芸人の家だらけの田島町の一区画のなかに、私の行きつけのお好み焼屋がある。六区とは反対の方向であるそこへ、私は出かけて行った。 そこは「お好み横町」と言われていた。角にレヴィウ役者の家があるその路地の入口は、人ひとりがやっと通れる細さで、その路地のなかに、普通のしもたやがお好み焼屋をやっているのが、三軒向い合っていた。……

――ここでミーちゃんのことを、ちょっと。私は初めてこのお好み焼屋へ来て、ミーちゃんに会った時、彼女がお客のようでありながら、この場合のように何くれとなく小まめに手伝っているのを見て、この娘はなんだろうと思った。ここへ私を案内してくれたレヴィウ作者に、そこでそっと聞いてみると、彼女は嶺美佐子といって、以前T座のダンシング・チームにいて、その後O館に移った踊り子で、今は公園の舞台に出ていないという。――それ以上のことは、彼も知らなかった。

 浅草の舞台は大変な労働で、その舞台をやめると、踊り子は急に肥る。身体を締めつけていた箍を外した途端にぷうと膨れたといったような、その奇妙な肥り方を美佐子も示していて、まだ若いのだろうに、年増の贅肉のような、ちょっといやらしいのを、眼に見えるところではたとえば顎のあたりに、眼に見えなくて もはっきりわかるところでは腰のあたりに、ぶよぶよとつけているのに、私は「なるほどねえ」といった眼を注いだ。――蜂にでもさされたみたいな腫れぼったい眼蓋で、笑うと眼がなくなり、鼻は団子鼻というのに近く、下唇がむッと出ているその顔は、現在のむくみのようなものに襲われない以前でも、そう魅力的な顔だったとは思えない。ただ声が、――さて、なんと形容したらいいだろう、さよう、山葵のきいたのを口にふくむと鼻の裏側をキュッとくすぐられる、あの一種の快さ、あれにちょっと似た不思議な爽快感を与える声で、少なくとも私には少なからず魅力的であった。

その後、私はそのお好み焼屋の、これまたなんというか、――何か落魄的な雰囲気に惹かれて足繁く通うようになったが、行くたびに、ミーちゃんこと美佐子は大概いた。そしていつも、お客のようでありながら、お客にしては気のききすぎる手伝いをしていた。――ここの、三十をちょっと出た年恰好の、背のすらりとした、小意気な細君を美佐子は「お姉さん」と甘えるように言っていた。

(この「お姉さん」というのは、ねに強いアクセントを置き、さんは「さん」と「すん」の間の音で、言葉では現わし得ない微妙な甘さである。美佐子は、黙って放って置くと、いかにも気の強そうな、男を男とおもわぬ風の女としか見えない、――たとえば墨汁をたっぷりつけた大きな筆で勇ましく書いた肉太の「女」というような字を思わせる、圧迫的な印象をやや強烈にまいているのだが、時々、そうした甘い言葉のうちに、おや? とびっくりさせる優しさを放射した。)(高見順『如何なる星の下に 』)



『如何なる星の下に 』を読んでみたのも青空文庫でだが、とてもいい。






『いやな感じ』はいくらか散漫なところがあるが昔も今もたとえば次のようなところに魅了された。


ヨシコとヤチ
むしょうに女がほしかった。股倉に手をやると、ヨシコが棒のようだった。熱い棒のようなヨシコを俺は手で握っていた。ヤチに会いたいとゴロマク(あばれる)ヨシコを俺は手でおさえつけていた。(高見順『いやな感じ』)

クララが接吻を許したのは、何回ぐらい通いつめてからのことだったか。「知らない」とクララは初めての接吻のあと、そう言って俺を睨むようにした。「ごめんよ」と俺は言った。俺は嬉しかった。身体は売っても心は売らない女が、俺に接吻を許したのは、つまりその心を、貞操を許したということなのだ。身体を抱かせることなどは単なる商売にすぎない。…
クララは俺の手を引っ張って、ベッドに俺を腰かけさせ、俺のネクタイをいそいそと解きながら、
「今日は、兄さん、あれ、いいわ」
「あれ?」
と言ってから、クララがいつもこのとき、下へ取りに行く例のあれだと分った。
「今日は、あんなもの、いらない」
とクララは珍しいことを言った。いつもは俺のほうで、いらないと言っても、クララは妊娠を恐れて、きかないのに、
「あれ、やめて」
と言った。心配のいらない日なのか。俺の顔に、それが出たらしく、そんなことじゃないんだと言いたそうにして、
「あんなもの、いや」 
俺の眼をのぞきこんで、
「あたいは兄さんが好きになっちゃったらしい」
「らしいとはなんだ」 
俺がつけあがると、クララはそれを許して、
「好きなの」
と素直に言いなおして、その証拠のように、
「今度は兄さんが、あたいの着物、ぬがして……」
「あいよ」 
俺は大喜びで、
「俺は照ちゃんが猛烈に好きなんだ」 
その声も上ずっていた。
「知ってるわ」…


クララは俺にその身を投げかけてきて、俺の唇をもとめた。俺はクララの背に手を回して、その唇を吸った。

クララはつめたい肌をしていた。いつもそうなので、俺が抱いていると、その肌がすぐ暖かくなり、しっとりと汗ばんでくる。俺の身体が熱いせいではなくて、クララの身体が、しんは熱いのだ。そのくせ、抱かれる前の肌は、ひやりとしている。クララのこんなところまでが、俺を夢中にさせたのだ。 

その日は特にまた、俺をいよいよ夢中にさせずにはおかないクララだった。商売女が客には許さないサシコミ(接吻。サシミより下品な隠語)を、クララが俺に許したことは前に言ったが、まだひとつ、許さないことがあった。許しているようなふりをして、実はそれはうそだ、ガセだと俺は知っていた。下手な奇声を発したりして、技巧としても下手だと知っていたが、毎日、たくさんの客を取っている身なのだから、それを責めてはむごいと俺は黙っていた。 

それを今日は、ほんとに許したのだ。クララが俺を好きだと言ったのは、ほんとなのだと俺は感激した。…

前述の日からちょうど三日後の朝のことだ。こういう時こそ、チョウフを使おう。女のあれをヤチと言い、男のあれをヨシコと言うのだが、下宿屋のせんべい蒲団のなかで目をさました俺は、俺のヨシコのさきがエテマタ(エテとは猿のことだ)にくっついたまま、なんとなく動きがとれなくなっている感じに、おや? と思って、寝ぼけ眼をこすりこすり、起き上って、のぞきこんで、「やったあ!」と俺は叫んだ。一遍に眼があいた。 

エテマタの黄色いシミは俺に、俺がリン病になったことを告げたのである。(高見順『いやな感じ』)







高見順は荷風の従兄弟である。

断腸亭日乗 昭和11年8月27日
東京茶房に小憩す。偶然この喫茶店の女給石田某とよべる女の旧情人高見沢某なる人は余が叔父阪本三頻翁が庶子なる由を知りぬ。・・・文学者なりと云ふ。余は大正三年以後親類と交わらずを以て今日この時まで 何事をも知らざりしなり。(註、高見沢某は高見某の間違い)
昭和11年9月5日
八月末の日記にしるせし高見氏のことにつき、その後また聞くところあり。氏は近年執筆せし短編小説を集め起承転々と題し、今年7月改造社より単行本としを公にしたり。書中私生児と題する一小編は氏の出生実歴を述べたるものにて、実父阪本翁一家の秘密はこれが為悉く余に暴露せられたりと云ふ。気の毒のことなり。阪本翁は余が父の実弟にて・・・儒教を奉じて好んで国家教育のことを説く。されど閨門治まらず遂に私生児を挙ぐるにいたりしも恬として恥じるところなく、貴族院の議場にて常に仁義道徳を説く。余は生来潔癖ありて、斯くの如き表裏ある生活を好まざるを以て三四十年来叔姪の礼をなさず、・・・・偶然高見氏のことを聞き、叔父の迷惑を思ひ、痛快の念禁ずべからずなり。
昭和15年6月16日
文士高見順という面識なき人、往復葉書にてその作れる戯曲を上演すべし。会費を出して來たり見よというが如きことを申し来たれり。自家吹聴の陋実に厭うべし。
昭和15年9月13日
・・・オペラ館楽屋裏に至る。文士高見順□楽屋に來たり余に交際を求めむとすという。迷惑甚だし。