2020年2月20日木曜日

コロナパニックの可能性

次の文は福島大震災のとき「なるほど」と思って読んだのだが、パニック現象について、フロイトはこう言っている。


パニック現象
パニック現象Phänomen der Panikは軍隊集団でもっともよく研究された。このような集団が崩壊するときにパニックが生ずる。

パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結びつきはやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる。

むしろその逆に、不安が大きくなったために、すべての顧慮や結びつきをすてるのである、という非難がここでも当然おこるだろう。マックドゥガルはパニックの場合を(もっとも軍隊のパニックではないが)彼の強調する伝染による情緒亢進の典型例とさえみなしている。しかし、この合理的な説明はこの場合全然まちがっている。なぜ不安がそれほど巨大になったかということこそ説明が要るのである。

危険の大きさに責めに帰するわけにはいかない。なぜならば、いまパニックにおちいっているそのおなじ軍隊が、おなじほどの危険、いや、もっと大きい危険を立派に切り抜けてきたからである。またパニックが脅威をあたえる危険と比例しないで往々ごく些細な機縁で爆発するということこそまさにパニックの本質なのである。

パニックの不安にかられた個人が、自分自身のことを配慮しようとするとき、彼は同時に、それまで危険を軽視させていた情動的結合affektiven Bindungenが終ったという真相を証明している。危険に一人でたちむかうことになって、危険を過大に評価するであろう。したがって事情は次のようになる。パニックのさいの不安は、集団のリビドー的な構造の弛緩を前提とするものであって、その弛緩にたいする当然の反応であり、けっしてその逆ではない。つまり、集団のリビドー的な結びつきLibidobindungen der Masseが危険にたいする不安のために消滅してしまうわけではない。

この見解は、集団の中の不安が感応(伝染)によって異常亢進するという主張と、決して矛盾することはない。マックドゥガルの見解は危険が実際大きなものであって、集団になんらの強固な感情のむすびつきがかけている場合には――たとえば、劇場や娯楽場で火事が突発したときに実現される条件だが――まことに適切である。しかしわれわれの目的に役立つ教訓に富む例は、上述したように危険がふつうの程度、また優に堪えうる程度をこえないのに、軍隊がパニックにおちいる場合である。「パニック」という語の用い方が、厳密にはっきり規定されることはのぞみがたい。あらゆる集団的不安が、しばしばそうよばれたり、限度をこえた個人の不安がそうよばれることもある。また、不安がそれ相応のきっかけなしに発生する場合に、とくに、この語がつかわれることが多いようである。

「パニック」という語を集団的不安の意味にとるならば、さらに類推をすすめることができよう。個人の不安は、危険の大きさによって生ずるか、感情の結びつき(リビドー備給)Gefühlsbindungen (Libidobesetzungen)の喪失によって生ずるか、のいずれかである。後者の場合は神経症的不安neurotischen Angstの場合である。同様に、パニックも、すべての個人を襲う危険の増加によって起こるか、あるいは集団を統合している感情の結びつきの消失によって起こる、そして後者の場合は、神経症的不安に類似している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)




この文を引用してこの今、何が言いたいかといえば、もちろんコロナウイルスによるパニックの可能性である。日本は「共感の共同体」と呼ばれるぐらいで、全体としてみれば「集団に強固な感情のむすびつき」のある国、あるいはかつて加藤周一や浅田彰などによってしきりに強調された「ムラ社会的国民性」をいまだもっているはずである。この集団のリビドー結合が消失したとき、パニックは発生するとするのがフロイトである。とはいえ、それとは関係なしに、未知のウイルスの目に見えない蔓延の可能性は、マックドゥガル的な劇場や娯楽場で火事が突発したときに実現される条件」と類似してはいる。

もうひとつ、フロイトが「パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結びつきはやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる」というときの、現在の状況における「上官は誰かということだな。ーーおそらくまず、政治家や高級官僚、専門家(とくに科学者)だろう。

先ほど、橋下徹と池田信夫がやりあっているのを見たが、わたくしがゼンゼン応援しているわけではない橋下徹はいいこと言ってるね。







ーー現在はこうであるよりしようがないだろうな、2、3週間でいいのかどうかはよくわからないけど。


あと科学者という「上司」の問題だな、




岩田健太郎氏のyoutubeはいくらか拙速だったんじゃないかな、彼が世界のウイルス蔓延の現場での仕事にいかに豊富な経験をもっていようとも。すでに批判があり削除しているようだけれど。彼に対して「災害現場で最も重要な指揮命令系統の確立に反した」というたぐいの批判があるけど、この正否の判定を保留するにしろ、もし「正」であるなら、フロイト観点からはパニック誘発装置として振る舞ったことになる。




東北大震災後の鈴木健のツイートーーこのツイートは事あるごとに何度も引用しているけれどーーをまた思い出しちゃったよ。彼はあの当時の科学者の発言の信頼性欠如に苛立ってこう発言していたはずだ。




たぶんある種の政治家や専門家の「何の心配もありません」というたぐいの主張を多くの人がマガオで受け入れて、その後ぎゃくに、ウイルスの大きな蔓延が起こってしまった状況になったとき、最もひどいパニック現象が起こるんじゃないか。つまり「だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配」し「相互の結びつきはやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる」現象が。

以上、この記事自体、中国に国境を接するインドシナのさる国に住んでいて、やっぱり新しい未知のウイルスはコワイよ、インフルエンザどころじゃない、と感じている無責任な者の記述として読んでいただかなくちゃならない。