ムズカシイって言われてもな、説明するのメンドイよ。前回示したこの図ってのは、シニフィアンを使用して生きているヒト族のベースだよ。前回は固着、いわばリアルな去勢のみを示したけどさ。
この「1」が、(トラウマ的事故に典型的な)静止画像でも一緒。
静止画像がなぜ反復強迫するのかは、身体的残滓があるから。これが上で中井久夫が言っている「異物 Fremdkörper」=異者としての身体。
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
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静止画像=隠蔽記憶=現実界の窓
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隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir-écran、Deckerinnerung )はたんに静止画像(スナップショット instantané)ではない。記憶の流れ(歴史 histoire)の中断 interruption である。記憶の流れが凍りつき fige 留まる arrête 瞬間、同時にヴェールの彼岸 au-delà du voile にあるものを追跡する動きを示している。(ラカン、S4 30 Janvier 1957 )
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幻想は現実界のスクリーン(覆い)écran du réelだけではない。同時に現実界の窓(現実界に開かれた窓 fenêtre sur le réel)である。幻想には二つの価値がある。スクリーンと窓l'écran et la fenêtreである。(J.-A. MILLER, - 2/2/2011 )
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そもそもラカンの現実界はトラウマ界のこと。
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現実界=トラウマ界
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フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
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(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)
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現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
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フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )
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現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
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これは象徴的去勢でも同じメカニズム。たとえばみんな、「私」という一人称単数代名詞のシニフィアンを使うことによって反復強迫の人生を送っているだろ。
象徴的去勢
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ヘーゲルが繰り返して指摘したように、人が話すとき、人は常に一般性のなかに住まう。この意味は、言語の世界に入り込むと、主体は、具体的な生の世界のなかの根を失うということだ。別の言い方をすれば、私は話し出した瞬間、もはや感覚的に具体的な「私」ではない。というのは、私は、非個人的メカニズムに囚われるからだ。そのメカニズムは、常に、私が言いたいこととは異なった何かを私に言わせる。前期ラカンが「私は話しているのではない。私は言語によって話されている」と言うのを好んだように。これが「象徴的去勢」と呼ばれるものを理解するひとつの方法である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)
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