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2020年4月19日日曜日

愛のイデオロギーの残酷さ

蚊居肢システム引用ボタンプッシュ。



愛の宗教の残酷さ
教会、つまり信者の共同体…そこにときに見られるのは他人に対する容赦ない敵意の衝動rücksichtslose und feindselige Impulse gegen andere Personenである。…宗教は、たとえそれが愛の宗教Religion der Liebe と呼ばれようと、所属外の人たちには過酷で無情なものである。もともとどんな宗教でも、根本においては、それに所属するすべての人びとにとっては愛の宗教であるが、それに所属していない人たちには残酷で偏狭になりがちである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)
魔女狩りに協力したカトリックとプロテスタント
魔女狩りが宗教戦争によって激化された面はあっても二次的なものである。この問題に関してだけはカトリックとプロテスタントがその立場を越えて互いに協力するという現象がみられるからである。互いに相手の文献や記述を引用しながら魔女狩りの根拠としてさえいる。さらに教会人も世俗人もともに協力しあった。つまり魔女狩りは非常に広範な ”合意" "共同戦線"によって行なわれた。そして組織的な警察などの治安維持機構のないところで、新知識のロー マ法的手続きで武装した大学卒の法官たちは、民衆の名ざすままに判決を下していった。市民法のローマ法化たとえばニュルンベルク法の成立と魔女狩りの開始は時期を一にする。
法官は、サタンが契約によってその軍勢である魔女をどんどんふやして全人類のためのキリストの儀牲を空無に帰せしめようとしている、と観念した。多くの者の危機感はほんものであり、「焼けども焼けども魔女は増える一方である」との嘆声がきこえる。独裁者が被害妄想を病むことは稀れでないが、支配階層の相当部分がかくも強烈な集団被害妄想にかかることは稀れであって、次は『魔女の槌』に代わって四〇〇年後に『我が闘争』をテキストにした人たちまで待たなければならない。法における正義を追求したジャン・ポーダンのような戦闘的啓蒙主義者が、同時に苛烈な魔女狩り追求者であったことをどう理解すべきであろうか。おそらく共通項は、ほとんど儀式的・強道的なまでの「清浄性」の追求にあるだろう。世界は、不正と同じく魔女のようないかがわしく不潔なものからクリーンでなければならなかったのである。死刑執行費がか遺族に請求されたが、その書類の形式まで四O○年後のナチスと酷似しているのは、民衆の求めた祝祭的・豊饒儀礼的な面とは全く別のシニカルなまでに強迫的な面である。また、科学に類比的な面もないではなかった。すべての魔女を火刑にする酷薄さには、ペストに対してとられた、同様に酷薄な手段、すなわち患者を放置し患者の入市や看護を死刑をもって禁ずるという方法が有効であったことが影響を与えているだろう。(中井久夫「西欧精神医学背景史」『分裂病と人類』1982年所収)
教皇承認の魔女の鉄槌
『魔女の鉄槌』は、ドミニコ派の僧クレーマーとシュプレンガーの共著であるが、同じドミニコ会の僧である偉大な聖トーマス・アクィナスの『神学大全』の戯画という面と、二人の管轄であったアルプス山地民の告解がら採った魔女伝承という面との奇妙な混合である。

ドミニコ会の僧であるから聖トーマスの体系に通暁していたはずである。これがモデルになったのは当然であろう。しかし、告解を資料とするとは?  告解は秘蹟であってその秘密は厳守されるべきものであり、中世初期の僧は実際にこれを破ることはなかった。その内容を漏らすことは破門を以て罰せられるはずであったから、ここに僧の堕落の臭いを嗅ぎつけてもよいのではないか。ところがこの本は教皇の認めるところであり、ヨーロッパの随所で魔女狩りのテキストブックとなった。その鬼神論体系は悪魔界の最初の体系化であり、この体系は魔女狩りの全期間を通じて最後まで変更なしに用いられた。(中井久夫「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」初出 英文1979 『徴候・外傷・記憶』所収)
魔女狩りはいつの時代でも起こりうる
二十世紀において私たちは(魔女狩り期と)よく似たセッティングがにわかに復活するのに出会った。不吉な予感に敏感となり、これにおののく支配階級、経済的・精神的フラストレーションーーエネルギー問題、経済計画の失敗、貨幣制度の不安定化、社会の目的にかんする幻滅、社会主義国にもみられる政治的分裂、多数の難民――があり、大衆の暗黙の合意がある。いわゆる発展途上国の政府の多くはルースで無能力なことルネサンス宮廷並みであるのに気づく。超大国の指導者でさえ(賢人と学者〔マギ〕)に囲まれた存在であり、巨大化しすぎた自国の官僚制度との連絡はうまくいっていない。不可視の病毒汚染という哲学を固守している迫害者が世界のあちこちにいる。また、ありもしない罪を、ありもしない共謀者の名とともに告白し、自分の有罪を肯定しつつ処刑されてゆく犠牲者がいる。(中井久夫「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」初出 英文1979 『徴候・外傷・記憶』所収)



愛という「同一性」のイデオロギー:アイヌの殺戮・同化
日本の植民地政策の特徴の一つは、被支配者を支配者である日本人と同一的なものとして見ることである。それは、「日朝同祖論」のように実体的な血の同一性に向かう場合もあれば、「八紘一宇」というような精神的な同一性に向かう場合もある。このことは、イギリスやフランスの植民地政策が、それぞれ違いながらも、あくまで支配者と被支配者の区別を保存したのとは対照的である。日本の帝国主義者は、そうした解釈によって、彼らの支配を、西洋の植民地主義支配と対立しアジアを解放するものであると合理化していた。むろん、やっていることは基本的に同じである。だが、支配を愛とみなすような「同一性」のイデオロギーは、かえって、被支配者に不分明な憎悪を生み出すこと、そして、支配した者に過去を忘却させてしまうことに注意すべきである。

こうした「同一性」イデオロギーの起源を見るには、北海道を見なければならない。日本の植民地政策の原型は北海道にある。いうまでもなく、北海道開拓は、たんに原野の開拓ではなく、抵抗する原住民(アイヌ)を殺戮・同化することによってなされたのである。その場合、アイヌとに日本人の「同祖論」が一方で登場している。(……)
インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズム
この点にかんして参照すべきものは、日本と並行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。それは、いわば、被統治者を「潜在的なアメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う。岡倉天心の「アジアは一つ」という「愛」の理念でさえ、実は、アメリカを媒介しているのであって、「東洋の理想」ではない。
日本の植民地主義:被統治者を「潜在的日本人」として扱う
札幌農学校は、日本における植民地農業の課題をになって設立されたものである。それが模範にしたのは、創設においてクラーク博士が招かれたように、アメリカの農業、というよりも植民地農政学であった。われわれは、これを内村鑑三に代表されるキリスト教の流れの中でのみ見がちである。しかし、そうした宗教改革と農業政策を分離することはできない。事実クラーク博士は宣教師ではなく農学者であったし、また内村鑑三自身もアメリカに水産科学を学びに行ったのであって、神学校に行ったのではない。さらに、内村と並ぶキリスト教徒の新渡戸稲造は、のちに植民地経営の専門家となっている。

北海道は、日本の「新世界」として、何よりもアメリカがモデルにされたのである。そして、ここに、「大東亜共栄圏」に帰結するような原理の端緒があるといえる。(……)日本の植民地主義は、主観的には、被統治者を「潜在的日本人」として扱うものであり、これは「新世界」に根ざす理念なのである。ついでにいえば、こうした日米の関係は、実際に「日韓併合」にいたるまでつづいている。たとえば、アメリカは、日露戦争において日本を支持し、また戦後に、日本がアメリカのフィリピン統治を承認するのと交換に、日本が朝鮮を統治することを承認した。それによって、「日韓併合」が可能だったのである。アメリカが日本の帝国主義を非難しはじめたのは、そのあと、中国大陸の市場をめぐって、日米の対立が顕在化したからにすぎない。(柄谷行人「日本植民地主義の起源」初出1993年『ヒュ―モアとしての唯物論』所収)

愛は排他的である
《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)――フロイトがそう言っている(ここでのフロイトは、正常さの典型とみなされるだろう)。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「嫉妬」の項、1977年)
ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての他の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである。(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年)
愛は、人間が事物を、このうえなく、ありのままには見ない状態である。甘美ならしめ、変貌せしめる力と同様、幻想の力がそこでは絶頂に達する。(ニーチェ『反キリスト者』1888年)
愛する者は、じぶんの思い焦がれている人を無条件に独占しようと欲する。彼は相手の身も心をも支配する無条件の主権を得ようと欲する。彼は自分ひとりだけ愛されていることを願うし、また自分が相手の心のなかに最高のもの最も好ましいものとして住みつき支配しようと望む。…

われわれは全くのところ次のような事実に驚くしかない、ーーつまり性愛 Geschlechtsliebe のこういう荒々しい所有欲(貪欲)Habsucht と不正 Ungerechtigkeitが、あらゆる時代におこったと同様に賛美され神聖視されている事実、また実に、ひとびとがこの性愛からエゴイズムの反対物とされる愛の概念を引き出したーー愛とはおそらくエゴイズムの最も端的率直な表現unbefangenste Ausdruck des Egoismusである筈なのにーーという事実に、である。(ニーチェ『悦ばしき知識』14番、1882年)


◼️付記

民主主義は異質なものを排除する
民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収)
民主主義(デモクラシー)とは、大衆の支配ということです。これは現実の政体とは関係ありません。たとえば、マキャヴェリは、どのような権力も大衆の支持なしに成立しえないといっています。これはすでに民主主義的な考え方です。(柄谷行人 『〈戦前〉の思考』1994年) 
国民参加という脅威を克服してはじめて、デモクラシーについてじっくり検討することができる。(Noam Chomsky, Necessary Illusions, 1989年)
民主主義は敵である
民主主義は敵である Democracy is the enemy。……「現代における究極的な敵に与えられる名称が資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義である」というバディウの主張は正しい。「デモクラシー的錯誤」。変化のための唯一の正当な手段としてデモクラシーのメカニズムを受容することこそが、資本家的関係における本物に変革を妨げる。(ジジェク 、Democracy is the enemy、2011年1)
ファシズムと同様に、ポピュリズムは、たんに資本主義を新しい方法で想像するものにすぎない。ポピュリズムは、その非情な残酷さなき資本主義・社会的な破壊効果なき資本主義を想像する新しい仕方だ。(ジジェク 、Are liberals and populists just searching for a new master? 2018)
ムラ社会は最も民主主義的形態のひとつである
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)
共感の共同体は最も民主主義的形態ひとつである
公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」『すばる』1988 年 7 月号)
ここに現出するのは典型的な「共感の共同体」の姿である。この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したりその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。そのような「事を荒立てる」ことは国民共同体が、和の精神によって維持されているどころか、じつは、抗争と対立の場であるという「本当のこと」を、図らずも示してしまうからである。…(この)共感の共同体では人々は「仲よし同士」の慰安感を維持することが全てに優先しているかのように見えるのである。(酒井直樹「「無責任の体系」三たび」2011年『現代思想 東日本大震災』所収)