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2020年8月16日日曜日

仮面の告白の精神分析的療法

いやあ、ボクは三島を精神分析的に解釈するつもりはないよ。資料を並べただけさ。そもそもそんなことしたら「頭のとっても悪そうな」文学者のたぐいがヒステリー起こしちゃうからな。ただ紛れもない事実は、三島には幼児期にとてつもない深い傷の刻印があるってことだ。


すべて架空であり、あるひはすべて真実であらう。私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。三島君は自分の作品によつてなんの傷も負はないかのやうに見る人もあらう。しかし三島君の数々の深い傷から作品が出てゐると見る人もあらう。この冷たさうな毒は決して人に飲ませるものではないやうな強さもある。この脆そうな造花は生花の髄を編み合せたやうな生々しさもある。
川端康成「序」(『盗賊』)

息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていった土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上り、そして舞い下りています。あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。
あなたが「不道徳教育講座」を発表したとき、私は「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。あなたを恍惚とさせようとする「美」を押しのけるようにして、「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。
武田泰淳「三島由紀夫氏の死ののちに」


たぶん三島のキモのひとつは、24歳のときの作品『仮面の告白』にあるのかもな。

ウイキペディアの『仮面の告白』の項は充実してんな、ビックリ仰天だよ、無知なボクには。キミのような「頭のよさそうな」文学愛好者はとっくの昔から知ってんだろ、こんなことは。



◼️死の領域からの生の回復術
この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。
私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」

◼️人は決して告白をなしうるものではない
「仮面の告白」といふ一見矛盾した題名は、私といふ一人物にとつては仮面は肉つきの面であり、さういふ肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないといふ逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰ひ入つた仮面だけがそれを成就する。
三島由紀夫「作者の言葉(「仮面の告白」)」 

◼️美神の絞殺
自分が信じたと信じ、又読者の目にも私が信じてゐるとみえた美神を絞殺して、なほその上に美神がよみがへるかどうかを試めしたいと存じます。ずいぶん放埓な分析で、この作品を読んだあと、私の小説をもう読まぬといふ読者もあらはれようかと存じ、相当な決心でとりかゝる所存でございますが、この作品を「美しい」と言つてくれる人があつたら、その人こそ私の最も深い理解者であらうと思はれます。
三島由紀夫「川端康成宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)

◼️正常な方向への肉体的無能力
「仮面の告白」に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます。この国にも、また外国にも、 Sexual inversion の赤裸々な告白的記述は類の少ないものであると存じます。わづかにジッドの「一粒の麦」がございますが、これはむしろ精神史的な面が強調されてをります。ジャン・コクトオの Livre blanc といふ稀覯本を見ましたが、これも一短篇にすぎませぬ。私は昨年初夏にエリスの性心理学の Sexual inversion in Man や Love and Pain を読みまして、そこに掲載された事例が悉く知識階級のものである点で、(甚だ滑稽なことですが)、自尊心の満足と告白の勇気を得ました。当時私はむしろ己れの本来の Tendenz についてよりも、正常な方向への肉体的無能力について、より多く悩んでをりましたので、告白は精神分析療法の一方法として最も有効であらうと考へたからでございました。
三島由紀夫「式場隆三郎宛ての書簡」(昭和24年7月19日付)