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2020年8月26日水曜日

歌麿の青の色遣い

何度か掲げているんだけど、ボクは基本的に加藤周一の立場をとるね。歌麿の春画もいいよ、春信よりもモダンであるのは間違いない。けれど荷風が春信をとるのはとってもよくわかるってことだ。



男女三歳(ママ)にして席を同じくせず。これは西洋人のいわゆる「ヴィクトリア朝道徳」をさらに徹底させたタテマエである。タテマエはむろんそのまま実行できないから、徳川時代はウラの性風俗への関心を強めた。その制度化されたものが遊里である。その私的領域で栄えたものが枕絵である。遊里は、少なくとも徳川時代の後半には、歌舞伎の劇場と共に、町人社会の文芸・音楽・絵画の中心となった。枕絵は、同時代の高名な浮世絵版画家で、それを作らなかった者はほとんどいない。

しかしタテマエの非現実性だけが、枕絵の大量生産を説明するわけではないだろう。徳川時代の後半、殊に一八世紀後半から一九世紀初めにかけての町人社会は、物質的に繁栄していたと同時に、近い将来に体制の変革を期待していなかった。そこで人々の関心が私的領域に向かったのは、当然であり、私的領域におけるもっとも強い衝動の一つが、性的欲望であることは、いうまでもない。しかし性的なものへの強い関心は、必ずしも直ちに性的なものの豊富な表現を意味するとはかぎらない。表現は内面的衝動の外面化すなわち社会化であり、その形式は文化によって異る。性的なものが主として商品として表現される文化もあり、それが芸術として表現される文化もあるだろう。徳川時代の文化の特徴の一つは、性的表現の動機がしばしま芸術的表現のそれと結びついていた、ということである。

枕絵の多くは、絵としては稚拙である。しかしその多くは風俗史興味をひく。そこには、たとえば、二人の男女の組み合せばかりでなく、三人以上多人数の組み合せや女二人の組み合せもある。背景は屋内を主とするが、縁先、屋外、海中にまで及ぶ。当事者のうち女には、遊女が多いが、町屋や武家の女もあり、海女の例もある。日本の枕絵はほとんどすべて性器の大きさを著しく誇張する。おそらくそれは「フェティシズム」の直接の反映であるのかもしれない。しかしそういうこととは別に、絵として優れたものも少なくない。たとえば鈴木春信や喜多川歌麿の枕絵は、彼らのその他の作品、たとえば美人画とくらべて、緊密な構図、優美な線、微妙な色彩の、どの点から見ても、少しも劣らず、むしろしばしば勝ることがある。

春信は、相合傘の少年少女を描いたように、若い男女の情交を、室内の、――窓外の風景をも含めて、――細かく描きこんだ背景のなかに置き、情緒的な画面を作った。その人物が画面全体のなかに占める割合も大きくない。われわれは、人物と同時に、彼ら自身が見ていないだろう環境を、見るのであり、そのことがわれわれと人物との距離を大きくする。しかもそれだけではない。春信は、しばしば、情交の当事者の他に、彼らを観察する第三者を、画中に配する。その第三者の視線に、当事者が気づかぬ場合、たとえば柱のかげからもう一人の女が室内の様子を窺っているような場合には、われわれはその第三者の視線を通して、いわば間接に、当事者の行為を見ることになる。そのことがわれわれと対象との距離をさらに大きくするだろうことは、いうまでもない。当事者が意識している第三者は、たとえば遊女の行為を見ている禿〔かぶら〕である。その場合には、絵を見るわれわれではなくて、画中の当事者が第三者の視線を通して自分自身を見るということになろう。われわれはそういう当事者を、すなわち自己を対象化する主体を、対象化する。二重の対象化もまた、人物とわれわれとの距離を強化するにちがいない。

歌麿の方法は、春信のそれの正反対であった。大首絵の接近画法を美人画に用いた彼は、もつれ合う男女をも近いところから見た。その姿態は、画面の全体に拡がって、背景を描く余地をほとんど残さない。しかしそれは細部を観察するためではなかった。歌麿は対象に近づけば近づくほど、抽象化し、様式化し、二次元的な色面を駆使し、透視法――それはもちろん幾何学的であるとはかぎらないーーから遠ざかる。なぜなら当事者には背景が見えず(あるいは断片的にしか見えず)、相手と自分自身の着物や身体の一部だけが大きく視野のなかに入って来て、そこではどういう種類の透視法も成立し難いはずだからである。目的はあきらかに対象(当事者)と画家(したがって絵を見るわれわれ)との距離を大きくすることではなく、小さくすることにあった。あるいはむしろ愛の行為の当事者が見る世界を、絵を見るわれわれが見ることにあった、というべきだろう。そのために歌麿が駆使したのは、彼が知っていたあらゆる手法であり、そうすることで彼は、ほとんど浮世絵の枠を破り、表現主義的抽象絵画の領域にさえ近づくところまで行ったのである。

作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない。私に興味があるのは、それが絵としてどれほど完成し、どれほど独創的であったか、ということである。歌麿のすべての版画のなかでも、これほど完成し、これほど独創的なものは、おそらく少い。(加藤周一「対象との距離」『絵のなかの女たち』所収、1985年)


ボクもどちらかというと《作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない》というタイプだからな(?)



こんなの見ても、ああ歌麿の青の色遣いのなんと上品なこと!とか思うだけだな、鏡に写っている足指ぐらいはちょっと気になるけどな。






加藤周一の『絵のなかの女たち』は、今では彼の著作のなかで最も好みのものだな。もともと『マダム』やら『太陽』にバブル期連載されたもので、あの頃の月刊誌はとても質が高かった。

冒頭の歌麿の「後家」をめぐる文はあれで全文だが、あの程度の長さの文が37作品について書かれており、ボクのような絵画のドシロウトには手頃だね。


1 紅衣舞女 (唐時代) 作者不詳
2 聖十字架物語(1452~66) Piero della Francesca
3 花とジャクリーヌ (1954) Pablo Picasso
4 細密画 作者不詳 口ンドン
5 偶像の誕生(1926) Rene Magritte
6 裸婦(1917) Egon Schiele
7 老婆の肖像 (不詳) Giorgione
8 糸を紡ぐ女 (1855) Jean-Frangois Millet
9 マドンナ (1894-5) Edvard Munch
10 香ぐわしき大地 (1892) Paul Gauguin
11 四人の踊り子 (1902) Edgar Degas
12 雪中相合傘(1765-70頃) 鈴木春信
13 版画集 「ロス・カブリチォス」より美しい教師(1793頃-99) Francisco Goya 
14 アヴィニョンの ビ エタ(1455 頃) 作者不詳
15 ダナエ(1907-8) Gustav Klimt
16 婦人像(一五世紀半)Rogier van der Weyden 
17 一角獸の女・触覚(一五世紀末) 作者不詳 
18 源氏物語絵詞(鎌倉時代)作者不詳
19 ヴェヌス(1532) Lucas Cranach
20 山姥と金太郎(江戸時代,寛政末ー享保年間) 喜多川歌麿
21 人民を導く自由 の女神 (1830) Eugène Delacroix
22 自画像(1933) Käthe Kollwitz
23フローラ(紀元前後一世紀)作者不詳
24 見返り美人 (1693) 菱川師宣
25 裸婦(1917) Amedeo Modigliani
26 紅白梅図屏風 (1714/15頃) 尾形光琳 
27 二人のヴェネツィア女 (1490頃) Vittore Carpaccio
28 一休宗純像(室町時代後期) 墨斎
29 受胎告知(1583-7) Tintoretto
30 達磨 (江戸時代後期) 仙厓
31 自画像(1937) Max Beckmann
32 聚沙為塔図 (1917) 富岡鉄斎
33 キリストの復活 (1463-5) Piero della Francesca
34 仏說法図 (西魏時代・六世紀前半) 作者不詳
35 絵本「歌満くら」より後家 (1788頃) 喜多川歌麿
36 聖ジョルジォ (1433-8?) Pisanello
37 明恵上人坐像(鎌倉時代)伝成忍 


少なくともモジリアーニに愛を捧げるようになったのはこの書が起源だな。

加藤周一が掲げている裸婦はこれだ。



とってもいいなあ、何回見ても。


高度に様式化されたこの女の身体には、微妙な表情があり、具体的な肌触りがあり、個性がある。女の姿が少しも挑発的ではなくて、しかも極度に官能的なのは、そのためであろう。肌の温かさ、汗の湿り、体臭、あるいはほとんど生活の臭い……そこには単に官能的なものではなく、日常性のなかの、親密さのなかの、官能性の典型とでもいうべきものがある。それはモディリアーニが作りだしたもので、ヴェネツィア派やアングルにはなかったし、印象派にさえもなかったものである。

眼をつむっている絵のなかの女は眠っているのだろうか、それとも、相手の反応を見るまでもなく、自分の身体が描く線の魅惑を知りつくしているので、眼をつむっているのだろうか。彼女は、質素な目立たない服装をしていて、それを脱ぐのに少しためらったのかもしれない。しかし一度脱いでしまうと、もう何の防禦もなく、もっているもののすべてを、細いなで肩や、丸く盛りあがった二つの乳や、衣服の上からは想像もできないほど豊かな腿を、見る人のまえに惜しげもなくさらけだし、眼をつむったまま一刻が過ぎて、静が動に転じるのを、待っているのかもしれない。その忽ち過ぎ去る一刻を画布の上に固定し、無慈悲な「時」に抵抗することが、短かく生きた画家の情熱であったのだろう。モディリアーニがこれを描いていたときに、ヨーロッパでは多くの青年たちが戦場で死んでいた。 この三年後には、彼自身もパリの慈善病院で死ぬはずであった。(加藤周一「モディリアーニの裸婦」『絵の中の女たち』)


もう少し春信的情緒がほしくなるときはこっちだな。