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2021年1月5日火曜日

傑作は鼻歌をうたいながら書きなぐっても出来あがるもの

 七北数人氏による安吾年譜からだが、1946年から1948年の安吾ってのはあらためてビックリしてしまう、なんという多作ぶり。ヒロポンを常用しながら頑張り、1947年3月には梶三千代と出会い6月に事実上の結婚生活に入る。このあいだに多数の名作があり、私の愛する自伝、「いづこへ」「石の思ひ」「二十七歳」「三十歳」も書かれる。この至高の愛と性の自伝小説は、愛と結婚を徹底的にバカにする「金銭無情」とともに読むといっそう味わい深いが、それも「二十七歳」と「三十歳」のあいだにーー自らの純情ぶりを笑い飛ばすかのようにしてーー書かれている。


1946年

1月

「わが血を追ふ人々」(『近代文学』) 

3月

「地方文化の確立について」(『月刊にひがた』)    

「朴水の婚礼」(『新女苑』)    

「処女作前後の思ひ出」(『早稲田文学』) 

4月

「堕落論」(『新潮』) 

6月

「白痴」(『新潮』)    

「天皇小論」(『文学時標』)    

「青年に愬ふ」(『東籬』) 

7月

「外套と青空」(『中央公論』)    

「文芸時評」(『東京新聞』3~5日) 

8月

「尾崎士郎氏へ(私信に代へて)」(尾崎士郎『秋風と母』に書き下ろし)    

「通俗作家 荷風」(『日本読書新聞』28日) 

9月

「女体」(『文藝春秋』)    

「欲望について」(『人間』)    

「蟹の泡」(『雑談』)    

「我鬼〔『二流の人』思索社版第2話の3〕」(『社会』) 

10月

いづこへ」(『新小説』)    

「魔の退屈」(『太平』)    

「戦争と一人の女」(『新生』)    

「デカダン文学論」(『新潮』)

「足のない男と首のない男」(『早稲田文学』)    

対談「淪落その他」(『婦人公論』)    

対談「文学対談」(『談論』)    

「風俗時評」(『時事新報』13日~12月15日)    

「ヒンセザレバドンス」(『プロメテ』) 

11月

「続戦争と一人の女〔戦争と一人の女〕」(『サロン』)    

石の思ひ」(『光』)    

「肉体自体が思考する」(『読売新聞』18日) 

12月

「堕落論〔続堕落論〕」(『文学季刊』)    

「エゴイズム小論」(『民主文化』)    

「読書民論(葉書回答)」(『東京新聞』15日)



1947年

1月

「当世らくがき帖」(『月刊にいがた』)    

「恋をしに行く」(『新潮』)    

「風と光と二十の私と」(『文芸』)    

「私は海をだきしめてゐたい」(『婦人画報』)    

「道鏡」(『改造』)    

「家康」(『新世代』)    

「母の上京」(『人間』)    

「戯作者文学論」(『近代文学』)    

「通俗と変貌と」(『書評』)    

「花田清輝論」(『新小説』)    

「模範少年に疑義あり」(『青年文化』)    

「ぐうたら戦記〔わがだらしなき戦記〕」(『文化展望』)    

「文人囲碁会」(『ユーモア』)    

座談会「新文学樹立のために」(『新小説』)    

「未来のために」(『読売新聞』20日)    

書き下ろし中篇『二流の人』九州書房刊 

2月

「わが待望する宗教(葉書回答)」(『二陣』)    

「二合五勺に関する愛国的考察」(『女性改造』)

座談会「文学・モラル・人間」(『中央公論』)    

「反スタイルの記」(『東京新聞』6~7日)    

「日映の思い出」(『キネマ旬報』)    

「『花妖』作者の言葉」(『東京新聞』16日)    

「花妖」(『東京新聞』18日~5月8日まで連載、未完) 

3月

二十七歳」(『新潮』)    

「私は誰?」(『新生』)    

「余はベンメイす」(『朝日評論』)    

「女性に薦める図書」(『婦人文庫』)    

「世評と自分」(『朝日新聞』3日)    

「一、わが愛読の書 二、青年に読ませたい本(葉書回答)」(『青年文化』) 

4月

「アンケート〔『文芸冊子』アンケート回答〕」(『文芸冊子』3月号)  

「恋愛論」(『婦人公論』)    

「酒のあとさき」(『光』)    

「大阪の反逆」(『改造』)    

「貞操について」(『月刊労働文化』)    

座談会「新しき文学」(『新潮』)    

「わが戦争に対処せる工夫の数々」(『文学季刊』)    

「序」(『逃げたい心』に書き下ろし)    

座談会「現代小説を語る」(『文学季刊』)    

短篇集『逃げたい心』銀座出版社刊 

5月

「花火」(『サンデー毎日』臨増)    

「てのひら自伝」(『文芸往来』)    

「貞操の幅と限界」(『時事新報』1~2日)    

「後記」(『白痴』に書き下ろし)    

「あとがき」(『いづこへ』に書き下ろし)    

「私の小説」(『夕刊新大阪』26~28日)    

「高見君の一文に関連して〔俗物性と作家〕」(『東京新聞』27、28日)   

短篇集『白痴』中央公論社刊    

短篇集『いづこへ』真光社刊 

6月

「暗い青春」(『潮流』)    

「破門」(『オール讀物』)    

「教祖の文学」(『新潮』)

「ちかごろの酒の話」(『旅』)    

金銭無情」(『別冊文藝春秋』)    

対談「ロマン創造のために」(『芸苑』)    

「桜の森の満開の下」(『肉体』)    

座談会「小説に就て」(『文學界』)    

「私の探偵小説」(『宝石』)    

「後記」(『堕落論』に書き下ろし)    

「咢堂小論」(同)    

エッセイ集『堕落論』銀座出版社刊 

7月

「オモチャ箱」(『光』)    

「悪妻論」(『婦人文庫』)    

「名人戦を観て」(『将棋世界』)    

「再版に際して」(『吹雪物語』に書き下ろし)    

「大望をいだく河童」(『アサヒグラフ』)    

「邪教問答」(『夕刊北海タイムス』20日)    

長篇『吹雪物語』〔再版〕新体社刊    

短篇集『いのちがけ』春陽堂刊 

8月

「観念的その他」(『文學界』)    

失恋難〔金銭無情2〕」(『月刊読売』)    

「散る日本」(『群像』)    

「不連続殺人事件」(『日本小説』翌年8月まで連載)    

対談「或る会話」(『週刊朝日』24日)    

「推理小説について」(『東京新聞』25、26日) 

9月

夜の王様〔金銭無情3〕」(『サロン』)    

「理想の女」(『民主文化』)    

対談「文学と人生」(『風報』) 

10月

「パンパンガール」(『オール讀物』)    

「私の恋愛」(『女性展望』)    

「青鬼の褌を洗う女」(『愛と美』)    

「思想なき眼」(『世界文学』)    

「後記」(『道鏡』に書き下ろし)    

短篇集『道鏡』八雲書店刊 

11月

王様失脚〔金銭無情4〕」(『サロン』)    

「決闘」(『社会』)    

「新カナヅカヒの問題」(『風刺文学』)    

「娯楽奉仕の心構へ」(『文學界』)

「『文芸冊子』について」(『文芸冊子』)    

「男女の交際は自然に〔男女の交際について〕」(『婦人雑誌』)    

エッセイ集『欲望について』白桃書房刊 

12月

「阿部定さんの印象」(『座談』)    

対談「阿部定・坂口安吾対談」(同)    

座談会「小説と批評について」(『新文化』)    

座談会「東京千一夜」(『Gメン』)    

「長さの問題ではない〔思想と文学〕」(『読売新聞』8日)    

「現代の詐術〔詐欺の性格〕」(『個性』)    

「坂口流の将棋観」(『神港夕刊新聞』他 発表日未詳)    

「観戦記」(『神港夕刊新聞』他 発表日未詳)    

短篇集『青鬼の褌を洗ふ女』山根書店刊    

短篇集『外套と青空』地平社刊〈手帖文庫〉    

『坂口安吾選集』全9巻 銀座出版社刊(翌年8月まで毎月刊行)


1948年

1月

「第二芸術論について」(『詩学』)    

「淪落の青春」(『ろまねすく』)    

「出家物語」(『オール讀物』)    

「現代とは?」(『新小説』)    

「新人へ」(『文芸首都』)    

「阿部定という女」(『Gメン』)    

「感想家の生れでるために」(『文學界』)    

「天皇陛下にさゝぐる言葉」(『風報』)    

「モンアサクサ」(『ナイト』)

「私の探偵小説」(『宝石』)    

「後記」(『風博士』に書き下ろし)    

中篇『二流の人』〔改訂版〕思索社刊    

短篇集『風博士』山河書院刊 

2月

「机と布団と女」(『マダム』)    

対談「エロチシズムと文学」(『女性改造』)    

「探偵小説とは」(『明暗』)    

「ヤミ論語」(『世界日報』23日~7月12日まで断続連載)    

長篇『吹雪物語』〔再版〕山根書店刊    

連作短篇集『金銭無情』文藝春秋新社刊 

3月

「わが思想の息吹〔作品の仮構について〕」(『文芸時代』)    

「帝銀事件を論ず」(『中央公論』)    

「D・D・Tと万年床」(『マダム』)    

インタヴュー「三十分会見記 坂口安吾氏の巻」(『仮面』)    

「白井明先生に捧ぐる言葉」(『読売新聞』22日) 

4月

「ジロリの女」(『文藝春秋』『別冊文藝春秋』分載)    

「将棋の鬼」(『オール讀物』)    

「後記にかへて」(『教祖の文学』に書き下ろし)    

エッセイ集『教祖の文学』草野書房刊 

5月

「遺恨」(『娯楽世界』)    

「無毛談」(『オール讀物』)    

三十歳」(『文學界』7月まで連載)    

「不思議な機構」(『毎日新聞』3日)    

「アンゴウ」(『サロン別冊』) 

6月

「私の葬式」(『風雪』) 

7月

「ニューフェイス」(『小説と読物』)    

「不良少年とキリスト」(『新潮』)    

「敬語論」(『文藝春秋』)    

「探偵小説を截る」(『黒猫』)    

「集団見合」(『サロン』)    

「本因坊・呉清源十番碁観戦記」(『読売新聞』8、9日) 

8月

「お魚女史」(『八雲』)    

「太宰治情死考」(『オール讀物』)    

「日本野球はプロに非ず」(『べースボール・マガジン』)    

「織田信長」(『季刊作品』)    

対談「伝統と反逆」(同)

対談「終戦三年」(『夕刊名古屋タイムズ』他 14~16日) 

9月

「死と影」(『文學界』)    

「カストリ社事件」(『別冊オール讀物』)    

「志賀直哉に文学の問題はない」(『読売新聞』27日) 

10月

「切捨御免」(『オール讀物』)    

「戦争論」(『人間喜劇』)    

「呉清源〔呉清源論〕」(『文學界』)    

座談会「情死論」(同)    

「ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」(『歴史小説』11月まで連載)   

短篇集『風と光と二十の私と』日本書林刊 

11月

「真相かくの如し」(『読売新聞』1日)    

短篇集『竹藪の家』文藝春秋新社刊 

12月

「哀れなトンマ先生」(『漫画』)    

「私の碁」(『囲碁春秋』)    

鼎談「今年を顧みる」(『月刊読売』)    

短篇集『ジロリの女』秋田書店刊    

長篇『不連続殺人事件』イヴニングスター社刊    

短篇集『白痴』〔中公版とは別編集〕新潮社刊〈新潮文庫〉




これだけ書きまくれば、通念からの批判は当然あるもので、安吾はその批判にこう応えている。



先日高見順君の文芸時評に私の「逃げたい心」の序文の文章をとりあげて、作家は外部条件に左右されて、作品が書けたり書けなかったりするようではダメなので、作品は作家が書くべきもの、「もっとマシな作品」が書けるはずで、書けなかったなどというのはウソだ。能力がないから書けないだけだ、と言っているが、果してそんなものか、文学とか人生というものがそんなに必然的に動いて行ってくれるものか、これは高見君へのお答としてではなしに、日本在来の精神主義が常にかくの如きものであるので、かかる在来の通念に対して一言したい。 


雑誌社に通俗小説を強要されて、通俗小説しか書けないというのは作家の罪だということは、当り前のことで、古来傑作の半分ぐらいは雑誌新聞社の俗悪な要求に応じ、また作家自身の金銭の必要に応じて作られたもので、動機と作家活動とは別のものだ。チエホフの傑作は劇場主の無理な日限に応じて渋面つくりながらとりかかったものであるし、バルザックはただもう遊興のために書きまくり、ドストエフスキーは読者の要求にひきずられてスタヴロオギンの性格まで変えていった。〔・・・〕


日本の道学先生は金になろうがなるまいが俯仰天地に愧じざる良心的な仕事をしろ、とか、オカユをすすって精魂つくして芸にはげめ、名も金もいらないとか、まるでもう精神そのものの御談議で、芸ごとでも同様、名人気質と称して、やっぱり名も金も不純俗悪のようなことを言う。 


芸術の純粋性というものは、そんなところにあるのではなくて、心の励みを与える外部の力、条件が必要なものだ。それは芸術の才能の問題ではなく、人間の心や力というものが本来はかなく、たよりないものなのである。 


人間はたれしもウヌボレはある。落伍者でもウヌボレはある。然しそれは全く実体のないあだなウヌボレにすぎなくて、それがなければ首でもくくるより仕方がないからのはかない生きる手がかりにすぎない。ドストエフスキーほどの大天才でも人が才能を認めてくれるから自分の才能に「実際の」自信がもてたので、不遇時代のドストエフスキーは旺盛なウヌボレはもっていても本当の自信はなくて、だからただもう人真似ばかりでロクな作品が書けなかった。 


日本文学はいまだにオカユをすすって精神だの、自ら嘆いては頽廃だのとオマジナイのような架空な精神主義に支配されている低俗なものだから(これを低俗という)新聞雑誌の文学に対する仕掛には、作家に本当のハゲミを与えて傑作を書かせる実質的な手段を自覚しておらぬ。もっとも、作家の方が自覚しておらず、ジックリ腰でもすえれば、どんな傑作でも出来るものだと考えているのだから、無理からぬところでもある。 


傑作は鼻歌をうたいながら書きなぐっても出来あがるもので、どんな通俗な取引でもよろしい。ただ、作家の才能を見つけたら、モトデをかけるのだ。金を使うのだ。作家に存分の生活(オカユの生活ではダメだ)を保証してやるのだ。作家は心に励みがあれば、泥酔からさめるやガバとはね起き筆を握ってオデン屋でも待合でも焼跡の野原の上でもたちまちにして傑作を書いてしまうであろう。文学とはたかがそれぐらいのものです。(坂口安吾「俗物性と作家」初出:「東京新聞 第一六九一号~一六九二号」 1947(昭和22)年5月27日~28日発行)



もっともここでフローベール風の極端な遅筆作家にも敬意を表さないわけではない、と断っておこう。


……………



坂口安吾の文学はいささか奇矯で反俗的なところはあつても、文学としては少しも病的なものではなく、高邁な精神をひそめたすぐれたものと思ふ。その点、太宰治のどこまでも頽廃的でいぶしのかかつたセンチメンタルなものよりわたくしは坂口の文学の方が文学の本筋だと思つてゐる。 


坂口は世俗的などんな先入観念にも煩はされるところなくぢかに人間を見た。そのため人間の心理は彼は可なり深く知るところである。それ故、彼の文学は、創作とばかりは限らず、雑感随筆のたぐいまで、その囚はれないものの見方、濶達な人がらがよく出てゐて、おもしろい。太宰のものが現代青年のものであるのに対比して坂口の文学は将来のおとなの文学だとも思へる。


わたくしは素直に人智の進歩発達を信じて年来、文学の常識も年々に健全な発達を遂げてゐると見てゐるものであるが、一般の読者が太宰の文学に堪能してこれを卒業したころになつて、坂口文学の真価がもう一度見直され、やがて正常に理解され愛読されるものとなるのを疑はない。その日までしばらく坂口の文学を保存して置くものとして、この六巻の選集は貴重なものである。 


この度の発売の巻中では彼の歴史小説中の白眉といふべき信長は宛然作者の自画像のおもかげのあるのは最も面白い。(佐藤春夫「文学の本筋をゆく坂口安吾選集」1956(昭和31)年8月1日初出:「読売新聞 夕刊」)




柄谷行人は、「すべては坂口安吾から学んだ」と言っているぐらいだがーーそれは極論としても、天皇制・憲法・古代政治等、それに「無頼」は確かに安吾から学んでいるようだーー、私は一般の歴史小説にはほとんど興味になかったのだが、安吾の歴史物は実に面白い。


利用は、又、信長自身のお家の芸でもあった。然し、まことの悪党というものには、ともかく信義がある。信長は悪党にあらず、と言うなかれ。彼は悪党である。一身をはり、投げすてているではないか。賭場のアンチャンのニセ悪党とは違う。ホンモノの悪党は、悲痛なものだ。人間の実相を見ているからだ。人間の実相を見つめるものは、鬼である。悪魔である。この悪魔、この悪党は神に参じる道でもある。ついにアリョーシャの人格を創造したドストエフスキーは、そこに参ずる通路には、悪党だけしか書くことができなかったではないか。(坂口安吾「織田信長」1948(昭和23)年8月)


善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。(坂口安吾『続堕落論』1946年12月)