いやあシツレイした、女性の享楽を「女性の穴埋め」やら「女性の穴」と呼ぶんじゃ下品だったかね。だったら「女性の愛」でもいいよ。ーー《愛は穴を穴埋めする。l'amour bouche le trou.》(Lacan, S21, 18 Décembre 1973)
フロイトの愛(リーベ Liebe)は、(ラカンの)愛、欲望、享楽をひとつの語で示していることを理解しなければならない。il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. (J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999) |
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「女性のリビドー」と呼ぶ手もあるし、「女性の愛の欲動」だっていいさ、でも「女性の性欲動」ってのもあるよ |
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リビドー は愛と要約できる[Libido ist …was man als Liebe zusammenfassen kann. …哲学者プラトンのエロスErosは、その由来や作用や性愛[Geschlechtsliebe]との関係の点で精神分析でいう愛の力[Liebeskraft]、すなわちリビドーLibido と完全に一致している。…この愛の欲動[Liebestriebe]を、精神分析ではその主要特徴と起源からみて、性欲動[Sexualtriebe]と名づける。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年) |
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でも大切なのは固着さ、愛の固着=享楽の固着だ |
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初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](Freud, Eine Teufelsneurose im siebzehnten Jahrhundert, 1923) |
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フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである。 Freud l'a découvert[…] une répétition de la fixation infantile de jouissance. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000) |
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要するに固着と呼んだら、リアルな愛であり、リアルな享楽のことだ。 |
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享楽はまさに固着にある。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
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人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
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享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008) |
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最初期の固着ってのは母への固着(最初の世話役への固着)だから、男も女も「女に隷属」するんだよ、一生ね。だから女が男よりずっとナルシシズムなのは必然だな。
根源的固着は母の乳房じゃなくてその先の母胎への固着があるんだけど、わかりやすいところで初期フロイト、初期ラカンに則って母の乳房への固着でいいさ。
ボクは昨年、異者、つまり異物 Fremdkörper(異者としての身体)をしきりに強調したけどさ |
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原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd (Fremdkörper) erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
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エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。〔・・・〕この異物は内界にある自我の異郷部分である。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen […] das ichfremde Stück der Innenwelt (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
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ホントはこの異者(異者としての身体)が決定版なんだがな、女性というのは解剖学的女性ではないのが鮮明になるからな |
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ひとりの女は、他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (Laan, JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975) |
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ひとりの女は異者である。 une femme […] c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
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現実界のなかの異物概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
要するに他の身体=異者身体とは、リアルな身体、享楽の身体のことだ。ーー《われわれにとっての異者としての身体 un corps qui nous est étranger》(ラカン、S23、11 Mai 1976)。事実、身体とは自我にとって何をしでかすかわからない異者だからな。いろんなところに穴だって空いてるしさ、《身体は穴である。le corps…C'est un trou》(Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)。あの穴だけじゃないよーー《女性の場合…思春期になるにつれて、今まで潜伏していた女性の性器[latenten weiblichen Sexualorgane]が発達するために、根源的ナルシシズム[ursprünglichen Narzißmus]の高まりが現われてくるように見える。》(フロイト『ナルシシズム入門』1914年)ーー毛穴だって穴だし、臍の穴だってそうだ、ーー《臍は聖痕である。l'ombilic est un stigmate.》(Lacan, 26 janvier 1975)という発言の直前に次の文がある。
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。欲動は身体の空洞に繋がっている。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou. C'est-à-dire ce qui fait que la pulsion est liée aux orifices corporels. (Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975) |
結局、固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴を為す[Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matérie]、固着が無意識のリアルな穴を身体に掘る[qui y creuse le trou réel de l'inconscient]。このリアルな穴は閉じられることはない。ラカンは結び目のトポロジーにてそれを示すことになる。(ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015) |
要するに異者としての身体ってのは、自我の異境にある身体の穴=トラウマのことだ。
現実界は、穴=トラウマを為す。le Réel … ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974) |
享楽自体、穴をを為す [la jouissance même qui fait trou](J.-A. Miller, Religion, Psychoanalysis, 2003) |
身体の享楽=異者身体の享楽であり、以下には示していないが、身体の穴の享楽と言ってもよい。
ま、でも実はやっぱり女ってのは究極的には解剖学的母なる女だよ。
出産外傷[Das Trauma der Geburt]、つまり出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなう。…これが「原トラウマ Urtrauma」である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
母は構造的に対象aの水準にて機能する。C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а). (Lacan, S10, 15 Mai 1963 ) |
例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象(原対象a)を示す。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance (ラカン、S11、20 Mai 1964) |
で、やっぱりどうしたって穴になるんだな、母なる原大他者、母なる女の穴に。ーー《対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel》 (ラカン、S18, 27 Novembre 1968) |
大文字の母の基盤は、原リアルの名であり、原穴の名である。 Mère, au fond c’est le nom du premier réel, […]c’est le nom du premier trou(コレット・ソレールColette Soler, Humanisation ? , 2014、摘要) |
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モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカン、 S7 16 Décembre 1959) |
モノとしての享楽は、斜線を引かれた大他者(穴)と等価である。la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré [Ⱥ] (J.-A. MILLER, Les six paradigmes de la jouissance, 1999) |
というわけで、女性の性欲動=女性の愛の欲動とは、母なる女の穴の引力、つまり女のブラックホールだよ。これがオキライだったら女の聖痕ってのはどうだろ? 女という神の徴でもいいよ。ーー《問題となっている女というものは神の別の名である。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, 》(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
女が欲することは、神も欲する。Ce que femme veut, Dieu le veut(ミュッセ、Le Fils du Titien, 1838) |
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