いやあちょっと調子がでないな、ボクには自転車トラウマってのがあるからな
こんなふうにスーッと走られるだけで漏れそうになっちゃうよ、
穴の彼方から来られるのが一番やばいね。
中学のときとっても惚れてた女の子の自転車のサドルをトリュフォークンクンやって学生ズボンにとっても大きいシミを作ったのだけど、その後もいろんな災難にあったね。
じつは朝、歩いて三分ぐらいのところに煙草を買いにいく途中で悪いものに出会っちゃったんだ、この色のサドルだ、これがとくによくない。
ボクのビロードのスリッパみたいなもんだ。
ある男がいる。現在、女の性器や他の魅力 [das Genitale und alle anderen Reize des Weibes]にまったく無関心な男である。だが靴を履いた固有の形式の足にのみ抵抗しがたい性的興奮[unwiderstehliche sexuelle Erregung ]へと陥る。 彼は6歳のときの出来事を想い起こす。その出来事がリビドーの固着[Fixierung seiner Libido]の決定因だった。 彼は背もたれのない椅子に座っていた。女の家庭教師の横である。初老の干上がった醜いオールドミスの英語教師。血の気のない青い目とずんぐりした鼻。その日は足の具合が悪いらしく、ビロードのスリッパ Samtpantoffelを履いてクッションの上に投げ出していた。 |
彼女の脚自体はとても慎み深く隠されていた。痩せこけた貧弱な足。この家庭教師の足である。彼は、思春期に平凡な性行動の臆病な試み後、この足が彼の唯一の性的対象になった。男は、このたぐいの足が英語教師のタイプを想起させる他の特徴と結びついていれば、否応なく魅惑させられる。彼のリビドーの固着は、彼を足フェチ[Fußfetischisten]にしたのである。(フロイト『精神分析入門』第22章、1917年) |
はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制されて、昏倒しちゃったよ。 |
過去の復活 résurrections du passé は、その状態が持続している短いあいだは、あまりにも全的で、並木に沿った線路とあげ潮とかをながめるわれわれの目は、われわれがいる間近の部屋を見る余裕をなくさせられるばかりか、われわれの鼻孔は、はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制され Elles forcent nos narines à respirer l'air de lieux pourtant si lointains、われわれの意志は、そうした遠い場所がさがしだす種々の計画の選定にあたらせられ、われわれの全身は、そうした場所にとりかこまれていると信じさせられるか、そうでなければすくなくとも、そうした場所と現在の場所 les lieux présents とのあいだで足をすくわれ、ねむりにはいる瞬間に名状しがたい視像をまえにしたときどき感じる不安定にも似たもののなかで、昏倒させられる。(プルースト「見出された時」) |
強制された過去の復活、すなわちレミニサンスだ
私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制 forçage」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、「レミニサンスréminiscence」と呼ばれるものによって。Je considère que […] le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. […] Disons que c'est un forçage. […] c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence. (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 [Fremdkörper] のように作用する。この異物は体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ。〔・・・〕この異物は引き金を引く動因として、たとえば後の時間に目覚めた意識のなかに心的な痛みを呼び起こす。ヒステリー はほとんどの場合、レミニサンスに苦しむのである。 das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muß..[…] als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz […] der Hysterische leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
ーー《誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, 》(プルースト「見出された時」)
異物 [Fremdkörper]ってのはつまり異者としての身体だ。
ひとりの女は異者である。 une femme, […] c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
ボクは後ろを通りぬける美女にはひややかであり、プチットマドレーヌの貝の身の匂のレミニサンスにふけっていた。 |
彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ」) |
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溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる〈プチット・マドレーヌ〉と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだあのお菓子の一つ un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d'une coquille de Saint-Jacques(「スワン家のほうへ」) |
厳格で敬度な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身petit coquillage de pâtisserie, si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot (「スワン家のほうへ」) |
トリュフォークンクンってのはエロスとタナトスの匂クンクンだからな、死にそうになるに決まってるさ
菌臭は、死ー分解の匂いである。それが、一種独特の気持ちを落ち着かせる、ひんやりとした、なつかしい、少し胸のひろがるような感情を喚起するのは、われわれの心の隅に、死と分解というものをやさしく受け入れる準備のようなものがあるからのように思う。自分のかえってゆく先のかそかな世界を予感させる匂いである。〔・・・〕 |
菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作りだすことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれ独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さな神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜の川べりに、湖の静かな渚に。〔・・・〕 |
菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年『家族の深淵』所収) |
トリフがレミニサンスしたらヒョウタン磨くしかないよ |
秋 西脇順三郎 灌木について語りたいと思うが キノコの生えた丸太に腰かけて 考えている間に 麦の穂や薔薇や菫を入れた 籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。 生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で 神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。 |
享楽という語は、二つの満足ーーリビドーの満足と死の欲動の満足ーーの価値をもつ一つの語である。Le mot de jouissance est le seul qui vaut pour ces deux satisfactions, celle de la libido et celle de la pulsion de mort. Jacques-Alain Miller , L'OBJET JOUISSANCE , 2016/3 ) |
すべての利用しうるエロスエネルギーを、われわれはリビドーと呼ぶ。die gesamte verfügbare Energie des Eros, die wir von nun ab Libido(フロイト『精神分析概説』死後出版1940年) |