まだ言ってるんだな、そんな寝言を。
フロイトラカンとも核心は固着以外の何ものでもないよ。
現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
症状は、現実界について書かれることを止めない [le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel] (ラカン、三人目の女 La Troisième、1er Novembre 1974) |
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フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している、症状は固着を意味し、固着する要素は無意識のエスの反復強迫に見出されると。[le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient. ]フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は、行使されることを止めないもの[ne cesse pas de s'exercer]である.。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique - 26/2/97) |
固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002) |
分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
精神分析における主要な現実界の到来は、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](Colette Soler, Avènements du réel, 2017年) |
これについてまともに書いてない日本的注釈書は焚書処分だ。ボクは読んだことがないが、きみの言ってることを額面通りとるなら、全部焚書だよ。
たとえば次の「1」ってのが固着だ。
で、空集合Øと対象aは固着の残滓ということで(空集合はもともとはフレーゲ起源だがそれについては割愛)、それぞれ女と異者ということだ。
女というものは空集合である[La femme c'est un ensemble vide ](ラカン, S22, 21 Janvier 1975) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。[corps étranger, … le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
ーー《フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste, 》 (Lacan, S10, 23 Janvier 1963) つまりはこうなる。 で、次の文を引用したらピッタンコだ、まがいようがない。 |
ひとりの女は異者である[une femme, … c'est une étrangeté.] (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
繰り返し引用してるフロイト一文とミレール一文を再掲しとくよ。 |
原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
で、問いは女ってのは具体的に何かってことだな。次の二文は究極的にはこうだということだが、フロイトラカンってのは何よりもまずセクシャリティに悩む患者のための臨床理論だからごく当たり前の話だ。
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
別に病人じゃなくたって、オメコは両性にとって暗闇に蔓延ってるさ。
男よりもむしろ女のほうがヒドイんじゃないかね、暗闇に蔓延りようは?
アリストテレスは既にヒステリーを次の事実を基盤とした理論として考えた。すなわち、子宮は女の身体の内部に住む小さな動物であり、何か食べ物を与えないとひどく擾乱すると。Déjà ARISTOTE donnait de l'hystérique une théorie fondée sur le fait que l'utérus était un petit animal qui vivait à l'intérieur du corps de la femme et qui remuait salement fort quand on ne lui donnait pas de quoi bouffer. (Lacan, S2, 18 Mai 1955) |
女が事実上、男よりもはるかに厄介なのは、子宮あるいは女性器の側に起こるものの現実をそれを満足させる欲望の弁証法に移行させるためである。Si la femme en effet a beaucoup plus de mal que le garçon, […] à faire entrer cette réalité de ce qui se passe du côté de l'utérus ou du vagin, dans une dialectique du désir qui la satisfasse (Lacan, S4, 27 Février 1957) |
どうだい? くだらぬこときいてくるぐらいならそれをきかしてくれよ。ツイッターなんかでも女たちが「今日は冥界機械が暴れるわ」とか囀ってくれればもっと熱心に観察するんだがな。
女の身体は冥界機械 [chthonian machin] である。その機械は、身体に住んでいる魂とは無関係だ(カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年) |
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要するに次の図がフロイトラカン理論の究極図だよ。
対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968) |
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これはどこをどうひねくりまわしたって他の解釈の可能性はない。
結局、固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴を為す。固着が無意識のリアルな穴を身体に掘る。このリアルな穴は閉じられることはない。ラカンは結び目のトポロジーにてそれを示すことになる。要するに、無意識は治療されない。 |
Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matériel, qui y creuse le trou réel de l'inconscient, celui qui ne se referme pas et que Lacan montrera avec sa topologie des nœuds. En bref, de l'inconscient on ne guérit pas. (ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015) |
以上、鼻くそほじりながら書きました。
尾崎行雄が、初めて新聞記者になって、福沢のところに挨拶に行った時、君は誰を目当てに書く積りかと聞かれた。勿論、天下の識者の為に説こうと思っていると答えると、福沢は、鼻をほじくりながら、自分はいつも猿に読んでもらう積りで書いている、と言ったので、尾崎は憤慨したという話がある。彼は大衆の機嫌などを取るような人ではなかったが、また侮蔑したり、皮肉を言ったりする女々しい人でもなかったであろう。恐らく彼の胸底には、啓蒙の困難についての、人に言い難い苦しさが、畳み込まれていただろう。そう想えば面白い話である。(小林秀雄「福沢諭吉」) |
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