なんだい、「女が悪い、女のせいだ」ってのをやり続けたいのかい、そこの蛆虫くんは。 |
ルサンチマン。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする[Le ressentiment : c'est ta faute, c'est ta faute... Accusation et récrimination projectives. C'est ta faute si je suis faible et malheureux. |
反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「ルサンチマン」となる。ひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その〈力〉から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」 |
La réaction devient quelque chose de senti, « ressentiment », qui s'exerce contre tout ce qui est actif. On fait « honte » à l'action : la vie elle-même est accusée, séparée de sa puissance, séparée de ce qu'elle peut. L'agneau dit : je pourrais faire tout ce que fait l'aigle, j'ai du mérite à m'en empêcher, que l'aigle fasse comme moi... (ドゥルーズ『ニーチェ』1965年) |
「在韓が悪い、在韓のせいだ」のたぐいも同じだぜ。 |
想い起こそう、ラカンの思いがけない言明を。嫉妬深い夫が彼の嫉妬深い夫が彼の妻について言い張るーー彼女はそこらじゅうの男と寝るーー、それが真実だとしても、彼の嫉妬はいまだ病理的である、と。この同じ線で言いうる、ユダヤ人についてのナチの主張のほとんどがかりに真実だったとしてもーーユダヤ人はドイツ人を食いものにする、ドイツ人の少女を誘惑する…ーー、彼らの反ユダヤ主義はいまだ病理的だ、と。というのは、それは本当の理由を抑圧しているからだ、その理由とは、ナチスは「なぜ」反ユダヤ主義が「必要だったのか」にかかわる。それは、ナチスのイデオロギー的ポジションを維持するためである。 |
だから、反ユダヤ主義の場合、ユダヤ人が「実際にどのようであるか」についての知はまやかしであり見当ちがいである。他方、真理の場にある唯一の知は、なぜナチは彼らのイデオロギー的体系を支えるためにユダヤ人の形象が「必要か」についての知である。(ジジェク, THE STRUCTURE OF DOMINATION TODAY: A LACANIAN VIEW, 2004) |
重要なのは女や在韓批判が正しいか否かではない。なぜ蛆虫は女や在韓が必要なのかだ。
いつまでも無意識的に投射(投影)してんなよ、ミエミエだぜ。 |
フロイトの投射メカニズム[le mécanisme de la projection]の定式は次のものである…内部で拒絶されたものは、外部に現れる[ce qui a été rejeté de l'intérieur réapparaît par l'extérieur] (ラカン, S3, 11 Avril 1956) |
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ところで、嫉妬妄想や追跡妄想をもつ患者が、内心に認めたくないことがあって、それをほかの他人に投射[projizieren nach außen auf andere hin]するのだと、われわれがいっても、それだけでは彼らの態度を充分には述べてはいないように思われる。 Es ahnt uns nun, daß wir das Verhalten des eifersüchtigen wie des verfolgten Paranoikers sehr ungenügend beschreiben, wenn wir sagen, sie projizieren nach außen auf andere hin, was sie im eigenen Innern nicht wahrnehmen wollen. |
投射することは確かだが、彼らはあてなしに投射するわけではないし、似ても似つかぬもののあるところに投射するのでない。彼らは自分の無意識的知に導かれて、他人の無意識に注意を移行させる。彼らは自分自身の中の無意識なものから注意をそらして、他人の無意識なものに注意をむけている。 Gewiß tun sie das, aber sie projizieren sozusagen nicht ins Blaue hinaus, nicht dorthin, wo sich nichts Ähnliches findet, sondern sie lassen sich von ihrer Kenntnis des Unbewußten leiten und verschieben auf das Unbewußte der anderen die Aufmerksamkeit, die sie dem eigenen Unbewußten entziehen. |
われわれの見た嫉妬ぶかい男は、自分自身の不実のかわりに、妻の不貞を思うのであって、こうして、彼は妻の不実を法外に拡大して意識し、自分の不実は意識しないままにしておくのに成功している。 Unser Eifersüchtiger erkennt die Untreue seiner Frau an Stelle seiner eigenen; indem er die seiner Frau sich in riesiger Vergrößerung bewußtmacht, gelingt es ihm, die eigene unbewußt zu erhalten.(フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に関する二、三の神経症的機制について』1922年) |
それとも意識的に自己告白してんのかね、ボクはそれをたまにやるがね。 |
自己を語る遠まわしの方法[une manière de parler de soi détournée]であるかのように、人が語るのはつねに他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ[qui joint au plaisir de s'absoudre celui d'avouer.]。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」) |
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他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。 Eine Reihe von Vorwürfen gegen andere Personen läßt eine Reihe von Selbstvorwürfen des gleichen Inhalts vermuten. Man braucht nur jeden einzelnen Vorwurf auf die eigene Person des Redners zurückzuwenden. Diese Art, sich gegen einen Selbstvorwurf zu verteidigen, indem man den gleichen Vorwurf gegen eine andere Person erhebt, hat etwas unleugbar Automatisches. |
その典型は、子供の「しっぺ返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。 Sie findet ihr Vorbild in den »Retourkutschen« der Kinder, die unbedenklich zur Antwort geben: »Du bist ein Lügner«, wenn man sie der Lüge beschuldigt hat. Der Erwachsene würde im Bestreben nach Gegenbeschimpfung nach irgendeiner realen Blöße des Gegners ausschauen und nicht den Hauptwert auf die Wiederholung des nämlichen Inhalts legen. |
パラノイアでは、このような他人への非難の投射[Projektion des Vorwurfes auf einen anderen] は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされる。 In der Paranoia wird diese Projektion des Vorwurfes auf einen anderen ohne Inhaltsveränderung und somit ohne Anlehnung an die Realität als wahnbildender Vorgang manifest. (フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年) |
意識的に自己告白やってんなら、鍋底這ってる蛆虫から蚊か蛾に昇格させてやってもいいがね、どうも遠い道のりに見えるな
Godard, Hélas pour moi |
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我々の往時の状態回帰(原カオス回帰 ritornare nel primo chaos)への希望と憧憬は、蛾が光に駆り立てられるのと同様である。…人は自己破壊憧憬[desidera la sua disfazione]をもっており、これこそ我々の本源的憧憬である。 la speranza e 'l desiderio del ripatriarsi o ritornare nel primo chaos, fa a similitudine della farfalla a lume[…] desidera la sua disfazione; ma questo desiderio ène in quella quintessenza spirito degli elementi(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』) |
ーー《より深い本能としての破壊への意志、自己破壊の本能[der Wille zur Zerstörung als Wille eines noch tieferen Instinkts, des Instinkts der Selbstzerstörung]》(ニーチェ遺稿、den 10. Juni 1887)
ここに至ったら真のマゾヒストになれるんだがな
マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。 Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年) |
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(原初にあるマゾヒズムの)大部分が外界の諸対象の上に移され終わったのち、その残滓[Residuum]として内部には本来の性愛的マゾヒズムが残る。それは一方ではリピドーの一構成要素となり、他方では依然として自分自身を対象とする。Nachdem sein Hauptanteil nach außen auf die Objekte verlegt worden ist, verbleibt als sein Residuum im Inneren der eigentliche, erogene Masochismus, der einerseits eine Komponente der Libido geworden ist, anderseits noch immer das eigene Wesen zum Objekt hat. 〔・・・〕 ある種の状況下では、外部に向け換えられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動がふたたび取り入れられ内部に向け換えられうるのであって、このような方法で以前の状況へ退行すると聞かされても驚くには当たらない。これが起これば、二次的マゾヒズムが生み出され、原マゾヒズムに合流する。 Wir werden nicht erstaunt sein zu hören, daß unter bestimmten Verhältnissen der nach außen gewendete, projizierte Sadismus oder Destruktionstrieb wieder introjiziert, nach innen gewendet werden kann, solcherart in seine frühere Situation regrediert. Er ergibt dann den sekundären Masochismus, der sich zum ursprünglichen hinzuaddiert. (フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
上に原マゾヒズムの残存とか残滓とかあるが、これがラカンの享楽だよ。
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
享楽という原マゾヒズム[le masochisme primordial de la jouissance](Lacan, S13, June 8, 1966) |
享楽は現実界にある。現実界の享楽はマゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
リアルな享楽の原マゾヒズム、すなわちリアルな欲動のマゾヒズムだ。
欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年) |
自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年) |