ボクはマタイとグールドを愛してるからな、このところタブーを犯したんだよ、中途半端に語っちゃいけないことを。ロラン・バルト曰くの「人はつねに愛するものについて語りそこなう(on échoue toujours à parler de ce qu’on aime )」だから。
で、前回のグールド版『フーガの技法』の最後にあるメニューヒンとのヴァイオリンソナタは、たいしたことよ、ハイメ・ラレードとの冒頭を聴き比べてみれば一瞬でわかる。
BWV1017 Siciliano |
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Glenn Gould & Yehudi Menuhin |
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Glenn Gould & Jaime Laredo |
メニューヒンは天才のせいで出しゃばりすぎだ。グールドの「天才」がうまく機能していない。他方、ラレードとのグールドは実にすばらしい。
次のアダージョ系がもっとわかりやすい。
Adagio |
BWV 1018 |
Jaime Laredo |
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Adagio ma non tanto |
BWV1016 |
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Adagio |
BWV 1014 |
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ボクは二十歳ぐらいのときに最初にチェロのレナード・ローズとのを聴いたんだけど、これまたラレードとのほうがずっといいね。ローズとのはロマンチックすぎる箇所が多い。たぶん相性もあるんだろう。 |
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Andante |
BWV1028 |
Leonard Rose |
ラレードとのは、真に「覆された宝石」だよ
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
ーー西脇順三郎