かわいそう 谷川俊太郎 |
わたしはともだちにうそをつくけど おとなってじぶんにうそをつくのね わたしはからだがちいさいけど おとなってこころがちいさいのね わたしはのはらであそびたいのに おとなってほんとはおかあさんの おなかのなかにもどりたいのね それなのにおかあさんはもういない おとなってこどもよりずっとずっと かわいくてかわいそう |
◼️究極の欲動の対象は喪われたオメコである |
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
◼️享楽の対象としてのオメコはおとしモノである |
享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](ラカン、S11、20 Mai 1964) |
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
ーーかなしみ 谷川俊太郎
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
ーー谷川俊太郎 六十二のソネット「41」
◼️人間の実在は沈黙したオメコである |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
不気味なものは人間の実在「 Dasein]であり、それは意味もたず黙っている[Unheimlich ist das menschliche Dasein und immer noch ohne Sinn ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第1部「序説」1883年) |
ーーこの項はちょっとムリヤリ感がないでもないな・・・
死の欲動は本源的に沈黙しているという印象は避けがたい[müssen wir den Eindruck gewinnen, daß die Todestriebe im wesentlichen stumm sind ](フロイト『自我とエス』第4章、1923年) |
死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel … la mort, dont c'est le fondement de Réel] (Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
なんでもおまんこ 谷川俊太郎 |
なんでもおまんこなんだよ あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ やれたらやりてえんだよ おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな すっぱだかの巨人だよ でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな 空だって色っぽいよお 晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ 空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ どうにかしてくれよ そこに咲いてるその花とだってやりてえよ 形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ 花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ あれだけ入れるんじゃねえよお ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお |
どこ行くと思う? わかるはずねえだろそんなこと 蜂がうらやましいよお ああたまんねえ 風が吹いてくるよお 風とはもうやってるも同然だよ 頼みもしないのにさわってくるんだ そよそよそよそようまいんだよさわりかたが 女なんかめじゃねえよお ああ毛が立っちゃう どうしてくれるんだよお おれのからだ おれの気持ち 溶けてなくなっちゃいそうだよ |
おれ地面掘るよ 土の匂いだよ 水もじゅくじゅく湧いてくるよ おれに土かけてくれよお 草も葉っぱも虫もいっしょくたによお でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ 笑っちゃうよ おれ死にてえのかなあ |
◼️オメコはエロトスの対象である |
現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている[Jouissance du réel comporte le masochisme](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
マゾヒズムは、生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロス欲動との合金化が行なわれたあの形成過程の証人であり、残滓である[So wäre dieser Masochismus ein Zeuge und Überrest jener Bildungsphase, in der die für das Leben so wichtige Legierung von Todestrieb und Eros geschah. ](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
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ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ](J. -A. MILLER, LES DIVINS DETAILS, 1 MARS 1989) |
享楽という語は、二つの満足ーーリビドーの満足と死の欲動の満足ーーの価値をもつ一つの語である[Le mot de jouissance est le seul qui vaut pour ces deux satisfactions, celle de la libido et celle de la pulsion de mort. ](J. -A. MILLER, L'OBJET JOUISSANCE , 2016/3 ) |
リビドーは愛の欲動である[Libido ist …Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要) |
◼️オメコは無意識のエスの反復強迫を促す |
女の壺は空虚だろうか、それとも満湖[plein]だろうか。…あれは何も欠けていない[Le vase féminin est-il vide, est-il plein ? … Il n'y manque rien ](Lacan, 20 Mars 1963) |
不気味なものは、欠如が欠如している[L'Unheimlich c'est ce - que le manque vient à manquer. ](ラカン、S10, 28 Novembre 1962) |
欠如の欠如が現実界を為す [Le manque du manque fait le réel](Lacan, AE573、1976) |
現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
この「止めないもの qui ne cesse pas」はフロイトの無意識のエスの反復強迫[ la compulsion de répétition du ça inconscient. ]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique - 26/2/97、摘要) |
溺れたらあかんあかん思いながら溺れていく時の気持ちて
どんなんやろ
わかってもらおなんて思てませんて
そんな薄情な事言わんと
ウチにだけでええからそっと教えてんか
そこは極楽なんか地獄なんか
ーー溺れる者 桐野かおる