2022年2月28日月曜日

例外状態に陥れば、人はみなファシズムにゾッコン

 

女はみなファシストを讃える

Every woman adores a Fascist


ーーDaddy, SYLVIA PLATH, 1962


女だけじゃないがね、でも女は男よりいっそうファシズムを讃える傾向があるのかもね。この期に及んでのヨーロッパの指導者の面々の発言を垣間見るとそんな気がしてならないな。


ウクライナメディアなどによると、ゼレンスキー大統領は24日、国民総動員令に署名した。同時に18歳から60歳の男性市民のウクライナからの出国を全面的に禁止し、政令の発効から90日以内に動員を実施するという。(「ウクライナのゼレンスキー大統領が国民総動員令に署名、18~60歳の男性市民の出国を全面禁止に」2022/2/25)


国民総動員令とは定義上、ファシズムだな、《「ファシズム」(伊: fascismo)の語源はイタリア語の「ファッショ」(束(たば)、集団、結束)で、更に「ファッショ」の語源はラテン語の「ファスケス」(fasces、束桿)である》(Wikipedia)


ゼレンスキーは完全に「束ねる力をもった英雄」になってるように見えるからな。


ゼレンスキー氏はウクライナをプーチン氏の魔手から守る国家の英雄なのか。それとも祖国ばかりか、世界を戦争に巻き込む破壊的なポピュリストなのかは、歴史の評価を待たねばなるまい。(木村正人「ゼレンスキーは英雄か、世界を大戦に巻き込むポピュリストか」ニューズウィーク日本版、2022/2/27)



ところで東大のロシアエリアを中心とした軍事研究者小泉悠はバランス感覚のある喋りでとても好感がもてるのだが、この今、彼も小粒の英雄って感じだね。


「ロシアに武力侵攻を許した時点で、バッドエンドは決まってしまった。あとはどのバッドエンドがよりマシか、支援を続けて膨大な犠牲が出してそれでも戦い続けてもらうか、降伏を呼び掛けて暴力による主権侵害を許すか、より筋が通ったバッドエンドを選ぶしかない。」


「核を持つ大国が周囲からの抑止に耳を貸さず突き進んだ場合、こうした不都合な現実(よりマシなバッドエンド選び)が起こる。ではどうすればこうした事態を抑止できるのか。もし抑止できなかったらどう対処するのか。これはまさにいま日本も、国家安全保障戦略として考えなくてはならない問題。」


「少なくとも民主主義の政権が徹底抗戦するということであるなら、どんな結果になってもそれを援助しなければならないのではないか。それが、軍事力でなんとでもなるという考えの抑止にもなるのではないか?」(小泉悠「ロシア軍によるウクライナ侵攻」『NHKスペシャル』日曜討論, 2022年2月27日)


世界は基本的に《支援を続けて膨大な犠牲が出してそれでも戦い続けてもらう》ことを選択したんだよな。これが民主主義精神だね、ナチの天才理論家シュミットが言っている通りの。


そもそもウクライナは例外状態に陥ったのだからファシズムは必然さ。


平時は何も示さず、すべては例外時に明らかになる[Das Normale beweist nichts, die Ausnahme beweist alles ](カール・シュミット『政治神学』1922年)

根源的悪に直面しては独裁以外ない[angesichts des radikal Bösen gibt es nur eine Diktatur ](カール・シュミット『政治神学』1922年)


◼️ファシズム=独裁とは民主主義である

ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的であるが、しかし、必ずしも反民主主義的ではない。民主主義の歴史には多くの独裁制があった。Bolschewismus und Fascismus dagegen sind wie jede Diktatur zwar antiliberal, aber nicht notwendig antidemokratisch. In der Geschichte der Demokratie gibt es manche Diktaturen, (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)

民主主義が独裁への決定的対立物ではまったくないのと同様、独裁は民主主義の決定的な対立物ではまったくない。Diktatur ist ebensowenig der entscheidende Gegensatz zu Demokratie wie Demokratie der zu Diktatur.“ (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1926年版)


◼️民主主義は異質なものを排除または殲滅する制度である

民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異邦人や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている。Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…]  Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)


◼️民主主義とは大衆が独裁者と同一化することである

民主主義とは、治者と被治者と同一性、支配することと支配されることの同一性、命令することと従うことの同一性である。Demokratie (...) ist Identität von Herrscher und Beherrschten, Regierenden und Regierten, Befehlenden und Gehorchenden(カール・シュミット『憲法論』1928年)


いやあほとんど全部ピッタンコだな、例外状態に陥れば、人はみなファシズムにゾッコンになるのさ、少なくとも一時的には。もっとも「人はみな」というのは言い過ぎかな、なかにはヒネクレ者もいるからな。