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2022年3月22日火曜日

共感の共同体という不可視の牢獄


何度も示しているが、日本文化論としては、浅田彰が1988年にさらっと口に出した「前言語的-母性的な共感の共同体という不可視の牢獄」ーーこの指摘が今でも決定的だよ。


公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」1988年)


この今なら、ロシアに侵略を受けたウクライナを憐れむが、ロシア侵攻の原因は問わない。これが共感の共同体の姿だ。


ここに現出するのは典型的な「共感の共同体」の姿である。この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したりその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。そのような「事を荒立てる」ことは国民共同体が、和の精神によって維持されているどころか、じつは、抗争と対立の場であるという「本当のこと」を、図らずも示してしまうからである。…(この)共感の共同体では人々は「仲よし同士」の慰安感を維持することが全てに優先しているかのように見えるのである。(酒井直樹「「無責任の体系」三たび」2011年『現代思想 東日本大震災』所収)


たとえばオリバー・ストーンのように《プーチンは餌にまねき寄せられるままになり、米国によって仕掛けられた罠に嵌まってしまった。Putin has allowed himself to be baited and fallen into the trap set by the U.S. @TheOliverStone  Mar 4》なんて言ったら、日本では袋叩きにあう。この米国の陰謀に嵌ってしまったプーチンというのは、私に言わせれば歴然としているのだが➡︎あなたはプーチンです。さて、あなたならどうしますか?」。


ま、しょうがないよ、日本的共同体で排除されずに生きていくには不可視の牢獄の囚人にならなくちゃな、噂のムラ八分社会だからな。ボクは1995年にこの牢獄から逃げ出したが、君たちはこの治癒不能の蛸壺社会に生きていることをまず自覚しなくちゃ。


日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。〔・・・〕


労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)



自由が狭められているということを抽象的にでなく、感覚的に測る尺度は、その社会に何とはなしにタブーが増えていくことです。集団がたこつぼ型であればあるほど、その集団に言ってはいけないとか、やってはいけないとかいう、特有のタブーが必ずある。


ところが、職場に埋没していくにしたがって、こういうタブーをだんだん自覚しなくなる。自覚しなくなると、本人には主観的には結構自由感がある。これが危険なんだ。誰も王様は裸だとは言わないし、また言わないのを別に異様に思わない雰囲気がいつの間にか作り出される。…自分の価値観だと思いこんでいるものでも、本当に自分のものなのかどうかをよく吟味する必要がある。


自分の価値観だと称しているものが、実は時代の一般的雰囲気なり、仲間集団に漠然と通用している考え方なりとズルズルべったりに続いている場合が多い。だから精神の秩序の内部で、自分と環境との関係を断ち切らないと自立性がでてこない。


人間は社会的存在だから、実質的な社会関係の中で他人と切れるわけにはいかない。…またそれがすべて好ましいとも言えない。だから、自分の属している集団なり環境なりと断ち切るというのは、どこまでも精神の内部秩序の問題です。(「丸山真男氏を囲んで」1966年)





日本ツイッター村ってのは、この蛸壺クラスターによるムラ八分現象ばかりが目立つよ、最近のオープンレター騒動なんてのはその最たるものだ。


この村八分プラス「おみこしの熱狂と無責任」だ。


国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」2005年『樹をみつめて』所収)


…………………


なお冒頭の浅田彰1988年の発言は、柄谷が1992年に同様なことを書いている。


思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統い御するような権力が成立したことがなかった。〔・・・〕あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。〔・・・〕日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。〔・・・〕


見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。


日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。(柄谷行人「フーコーと日本」1992年 )


つまりは、家父長的ではない母系的な社会ーー《一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。》(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」2013年)、ーー、この社会だ。


別の言い方なら言語による経典が充分には機能しないアニミズム的社会。


かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」(=父なる超自我)であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。〔・・・〕

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」2003年 『時のしずく』所収)

一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。(中井久夫「日本人の宗教」1985年『記憶の肖像』所収)


この社会では母なるオルギアの距離のない狂宴に対する防衛としての父の名が機能していない。


母なるオルギア(距離のない狂宴)/父なるレリギオ(つつしみ)(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年『時のしずく』所収、摘要




※付記


なお《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体》の「母性的=前言語的(イマジナリー)」とは、浅田彰はラカンの『エクリ』の記述に依拠しており、ラカンにはその後展開があって、原母はイマジネールからリアルになる(参照:自我理想と超自我(父の名と母の名)簡潔版






もっとも超自我自体としての「母なる超自我=母の名」はリアルだと言っても、実際はイマジネールとリアルの境界表象ーー下のボロメオの環のS(Ⱥ)のポジションーーにあり、浅田曰くの「母性的=前言語的(イマジナリー)」は微調整したらいいだけである。