2022年3月23日水曜日

「ウクライナのネオナチ」問題

 現在、「ネオナチ」というシニフィアンは「新しい反ユダヤ」という意味とは異なった意味で使われている。ネオナチとはユダヤ人排斥ではなく、おそらく自民族の統一を目指す民族主義者集団という方がより相応しい。統一を邪魔する者たちを排除する運動がネオナチの主要な意味であろう。事実、パレスチナを侵略し続けてきたユダヤ人国家イスラエルをネオナチ国家と見なす言説でさえ見受けられる。つまりユダヤ人のネオナチという使い方も可能なのである。

ところで、2014年に「ウクライナ問題について」と題されて、当時のウクライナ分析を実に明晰に提示されている元IMF日本代表理事の小手川大助という方がいる。


1.筆者は2009年に、ウクライナの経済危機、それに伴う欧州への天然ガス供給停止の可能性、IMFによるウクライナ支援に、IMFの理事会メンバーとして関与することになり、これを契機にウクライナ問題について勉強する機会を得た。今回は、現在進行中のウクライナの問題を、何回かに分けて掲載する予定である。概略は以下のものを予定している。

  ① 現在進行中のウクライナの状況について事実の確認

  ② 直近のウクライナ問題の経緯に関する事実の確認

  ③ 東西冷戦終了後のウクライナ問題の経緯

ウクライナ問題について その1 『小手川大助通信』)





ここでは「ウクライナのネオナチ」問題についての集中的な指摘がある「③ 東西冷戦終了後のウクライナ問題の経緯」を全文引用する。

◼️「ウクライナ問題について その3」小手川大助 2014年

1.ウクライナの議会の状況


(1)前にも書いたとおり、大統領選挙については2010年の選挙で、ヤヌコーヴィチが勝ったのであるが、2012年の議会選挙の結果、議会は親ロ派の東部、南部を地盤とする地域党と社会主義政党であるウクライナ共産党を与党とし、親欧米派であり西部と中部を基盤とする全ウクライナ連合「祖国」、ウダール、そして西部のガリツィア地方を基盤とする民族主義者の「自由」党、更に少数の「右派セクター」を野党としていた。



 (注)筆者は2013年春にドイツで行われた国際会議に出席した際に、前年に行われたウクライナの選挙の結果、ネオナチが台頭したことが問題にされていたため、その後も事態を注視していたところである。


(2)この与野党の争いが激しくなったのが、2013年のヤヌコーヴィチ大統領による、EUとの提携協定調印の撤回後であり、野党側は「独立広場」に拠点を置くデモンストレーション活動に入った。当初デモは平和裏に行われていたが、11月30日以降暴力化し、その過程で、議会内の議席数とは関係なく、野党内でも少数派であった「自由」党とそれよりもさらに暴力的な「右派セクター」が反政府活動の中で大きな地位を占めるようになった。


(3)実際にユーチューブに掲載されている12月以降の反政府デモ隊の姿を見ると、マスクをかぶり、手にはチェーンをぶら下げ、そして2月の政権交代の直前には銃を携帯するなど、とても我々が日本でイメージするような「平和的なデモ隊」というものではなく、筆者が70年代に経験した全共闘の武装集団あるいはそれ以上というイメージの方が圧倒的に近いものである。


(4)そして、新政権の中で、これらの極右の政党のメンバーが要職についている。その一部は第1報に掲載したが、以下の通りである。


 オレクサンドル・シチュ 副首相(Svoboda)。
 アンドリ・パルビー 国家安全国防委員会事務局長(国家社会主義党の創始者でSvoboda党員)。国家安全保障担当。
 ドミトロ・ヤロシュ 国家安全保障次官。右派セクターで、反対派のデモ隊の安全保障隊長。
 ドミトロ・ブラトフ 青年スポーツ大臣。
 テツヤナ・チェルノヴォ 反腐敗委員会議長。ジャーナリスト。
 アンドリ・モフヌーク環境大臣。Svobodaの副党首。
 ヨール・シュヴァイカ 農業大臣。Svoboda党員。
 オレフ・マフニツキ 暫定検事総長。Svoboda党員。


2.「ネオナチ」の系譜


「ネオナチ」と呼ばれている党にはどのような歴史があるのだろうか。


(1)最大の党は「スボボダ」(ウクライナ語で「自由」の意味)であり、この党の旧名はナチスと同じ国家社会主義党であった。2012年の選挙でこの党は10%の得票を得て、450議席中36議席を獲得し、ウクライナ議会で4番目の党なった。


(2)このほかに、2013年に設立された「右派セクター」と呼ばれている政党がある。これは、極右の小さな政党の連合体となっているが、上記のスボボダよりもさらに暴力的である。


(3)これらの極右政党は、議会内の議席でいけば、昨年11月以来反対運動を起こした反対派の約3分の1の勢力に過ぎない。それなのに、新政権の中でこれだけの主要ポストを獲得したのは、今回の新政権成立に至るまでの活動の中で、日増しに極右勢力の力が高まってきたことを意味している。


(注)ウクライナの国会議員オレフ・ツァリョフによれば、2014年1月には、シリアの反政府勢力のメンバーとして戦っていた350名のウクライナ人が帰国し、ネオナチの一員として暴力的なデモ活動に参加するようになった。


 (4)「スボボダ」は旧名が国家社会主義党であり、ステパン・バンデラを指導者とした第2次大戦中の組織である「ウクライナ国民機構(OUN-B)」が使っていた赤と黒の旗を掲げて行進している。スボボダ党のスローガンである「ウクライナ人のためのウクライナ」はナチスがソ連に侵入した後にヒトラーに協力したステパン・バンデラのOUN-Bのスローガンであった。これらの人々は旧オーストリアハンガリー帝国の支配下にあったガリツィアの出身であり、ソ連邦成立時に独立を試みたが成功しなかった人たちが中核となっていた。


(5)ウクライナ国民機構(OUN-B)は1929年に設立され、4年後にはバンデラが党首になった。1934年にバンデラや他の機構の指導者達はポーランド内務大臣の暗殺の嫌疑で逮捕された。彼は1938年に釈放され、直ちに独占領軍から資金援助を受けて800人もの戦闘員の訓練所を設立している。1943年にはベルリンにいた彼の指導の下で、民族浄化、大量殺戮のキャンペーンを行い、7万人のポーランド人とユダヤ人を殺害した。現場責任者はOUN-Bの秘密警察組織のトップであったミコラ・レべドである。1941年のOUN-Bの大会で「戦時の闘争活動」を採択し、その中で「モスクワっ子(ロシア人を指す)、ポーランド人、ユダヤ人は我々に敵対的であり、闘争の中で抹殺されるべきである」と言っている。


(6)MI6の歴史について書かれたステファン・ドリルの著作によれば、大戦後1948年4月にステパン・バンデラは英国の諜報機関であるMI6に採用された。その後彼はソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより西ドイツで暗殺されている。


(7)一方レベドは大戦後CIAに雇われ、ニューヨークに移住してソ連邦内の破壊活動に携わったのちに、1990年にニューヨークで死去している。彼の大戦中の虐殺への関与については米国内でも何度か問題にされそうになったが、CIAの庇護のもとに訴追されることはなく、人生を全うしている。


(8)なお、2010年1月にユーシチェンコは彼の大統領の任期の最後の一連の決定の一部として、ステパン・バンデラを「ウクライナの英雄」に指名した。ユーシチェンコの後妻であるカテリーナ・チュマシェンコはシカゴで生まれたが、OUN-Bの青年メンバーであり、1980年代にはOUN-Bのワシントンオフィスの長を務めている。2011年にヤヌコーヴィチはステパン・バンデラの「ウクライナの英雄」の称号を剥奪した。


3.「ネオナチ」政権の意味するところ


 上記の点から、今後のウクライナの未来を鳥瞰してみると以下の点が浮き上がってくる。


(1)現在の政権は少数政権であること

 2012年の選挙結果で見る限り、現政権の中心となっている「ネオナチ」政党の支持率は10%そこそこであり、今現在で選挙を行えば支持率は5%を割り込むかもしれない。


(2)東ウクライナなどの親ロ勢力に対する攻撃にあたっているのは「ネオナチ」のメンバーであること。


(3)この点が明確に表れたのが、5月2日のオデッサの労働会館における虐殺である。アメリカで放映された現場の映像では、当日オデッサで行われたサッカーの試合のフーリガンを装った政権派が親ログループを労働会館におしこめた後会館に放火し、逃れてくる親ロ派(何人かは上の階から飛び降りた)を銃で撃ち殺す場面が映されている。さすがにこの事態に対しては、暫定政権も2日間の喪に服するという決定を行っているが、5月2日に各地で起こった衝突については、ドイツのメルケル首相がワシントンを訪問する前日に衝突を起こして、経済制裁について米国政府の主張を欧州に飲ませようとしたというのが通説になっている。


(4)プーチンのクリミア併合の決定は新政権の主体がネオナチであることに主因があったこと。

 ネオナチの民族主義的な主張や行動、特に民族浄化を意図する彼らのスローガンがプーチンの大きな懸念となり、ソチオリンピックからモスクワへ帰還した彼は、短時間でクリミア併合を決定した。これは想像であるが、新政権のメンバーがネオナチではなく、通常の政治メンバーであったなら、彼の決定は別のものになった可能性が高いものと思われる。

(「ウクライナ問題について その3」小手川大助 2014年



さてこの小手川氏の「ウクライナのネオナチ」論に反論できる人がいるだろうか? 私はオリバー・ストーンの「ウクライナオンファイアー」を見て、この問題に初めて目醒めたのだが、2014年に既に指摘している人がいるのである。



「ウクライナ問題について その1 」ーー① 現在進行中のウクライナの状況について事実の確認ーーで指摘されている次の箇所も、当時のある種の人々にとってはむしろ「常識」だったのではないか。


……まず事実として興味ある事項を二つ提示したい。


 第1は盗聴されて35日にユーチューブにリークされたキャサリン・アシュトンEU外務大臣とウルマス・パエト エストニア外務大臣の電話でのやりとりである(これは2014317日現在視聴可能である)。この会話はエストニアの外務大臣がキエフ訪問から帰還した226日に行われたものであるが、エストニア外務大臣は22日の射撃について、市民と警官を狙撃したのはヤヌコーヴィチ政権の関係者ではなく、反対運動の側が挑発行動として起こしたものであるということをアシュトン大臣に告げている。パエト大臣は全ての証拠がこれを証明しており、特にキエフの女性の医師は大臣に対し、狙撃に使われた弾丸が同じタイプのものであるということを写真で示したということである。大臣は新政権が、何が本当に起こったのかということについて調査をしようとしていないことは極めて問題であるとしている(エストニア外務省は、本件の漏洩された会話が正確なものであることを確認している)。


 第2は盗聴され、26日(木)にユーチューブに掲載された(これは2014317日現在視聴可能である)ヴィクトリア・ヌーランド米国国務省欧州及びユーラシア担当局長とジェフリー・ピアット駐ウクライナ米国大使の128日の電話連絡である。我が国マスコミでは、局長がEUの煮え切れない態度に憤慨して、「Fuck the EU」という表現を使ったことが報道された。しかしもっと重要なことは、二人の会話の内容である。この中で、局長は反対勢力の中のリーダーシップに触れて、元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのクリチコ氏やスボボダ(「自由」を意味する名前の極右政党)の党首チャフヌーボック氏は問題があるので、(ティモシェンコに近い)ヤチェヌーク氏にスポットが当たるようにした方がいい、クリチコ氏は政府部内に入らない方がいいといった意見を大使に対して述べている。


 また、これはニュースで我が国でも報道されているので明らかとなっているが、11月のデモの開始以降、EU各国の政府関係者がキエフを訪れて、デモ隊の中に入り、彼らを激励しているし、上記のヌーランド局長はクッキーをデモ隊に配っている。


このように、ニュースではクリミア問題を始めとしてロシア政府の最近の動きが問題にされているが、少なくとも222日の政権交代までは、圧倒的に欧米諸国が色々な形で反対運動に関与してきたことが見て取れる。



現在の「親露・親宇」に二分された世論は馬鹿げている。いま最も重要なのは、ロシアのウクライナ侵略という「絶対悪」の原動因を可能な限り追求することである。その原動因を潰さなければ、両国戦争終結後も必ず別の形での戦争がただちに始まる。


(とはいえ、私は根のところで反米主義者であり、ヌーランドがFuck the EU」と言ったのに倣って、ファックヌーランド! ファック米ネオコン! ファック親米国際政治学者! と口走りたくなるのを抑えるのにこのところとても苦労している。)


ファック衝動を飼い馴らすために数日前たまたま拾った菊池という方の素晴らしいツイートを貼り付けておこう。




でも悪の元凶に対してはファックしていいらしいね、やっぱりファック悪の元凶!ーーファック米ネオコン!ーーとなってしまうな・・・


➡︎ステパン・バンデラという英雄


……………… 


※附記 小手川大助のウクライナ問題について


◾️小手川大助 キャノングローバル戦略研究所

ウクライナ問題について その1   2014.03.20

ウクライナ問題について その2   2014.04.10

ウクライナ問題について その3   2014.05.13