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2022年3月5日土曜日

ロシア侵略後のウクライナ共同体感情とその後のハサミ状格差

 

以下の中井久夫の文は、「災害後の蜜月時代における共同体感情とその後のハサミ状格差」をめぐる記述である。ウクライナでもこれは必ず起きる。日本において、政治学者たちをはじめとする主流世論はこういった観点をまったく視野に入れていない話が多すぎる。


「ハサミ状に拡大する較差」が次第に眼につきはじめた。ふだんより元気になる人と、出勤できずに家に閉じこもる人とがあった。考えられないほど石頭になる人と、たいへん柔軟に新しい発想を出すようになる人とがあった。酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人とがあった。仲がよくなる夫婦と、ヒビがはいってしまう夫婦があった。最初の差は小さくても、どちらかのコースに入ると、どんどん差が開いていった。アルコールと夫婦仲とは後遺症となって長く残る場合が少なくなさそうである。

 

何よりも、貧富の差がハサミ状に拡大するのが眼にみえるように思われた。

 

貧富の差は単に貯金や財産の問題だけでなく、社会的なパワーを持ち人脈の広い人と、そうでない人との差が大きかった。故郷に地縁を残す人、友人の多い人も有利であった。大企業は初期から社員だけでなく、その縁者にまで手をさしのべた。これは日本だけの現象だそうである。別に、個人的な才覚と小集団の団結との力が見える場面もあった。わかりやすい例は華僑の人たちであろうか。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』)


阪神・淡路大震災後満二年になる。

 

今、被災地のことは非常に書きにくい。あることを書けば、必ず、いやそうじゃないという反論があり、それはそれで証拠がある。最底辺に目を据えれば、正面切っては非難されない記事になるだろうが、そういう記事は別に書く人がいるだろう。

 

貧富の差、地縁人脈の差、個人的才覚の差、年齢や体力の差は普段からある。被災地の一部には、所得税が一見を凌ぐといわれるところもある。しかし、そこにも生活保護を受けている人がいないわけではない。ただ、普段、そのことはさほどみえない。みえても、それは世間とはそういうものだとして受け取られてきた。

その差を災害はくっきりとさせる。災害後の蜜月時代といわれる共同体感情、.ともに被災者であるという一体感を味わった後では、その差は新たに疼く。現実にも、格差は時間とともに拡大してゆく。ハサミを開くのに似ているからハサミ状格差という。


実際には、この格差は震災当日からあった。三十万人の避難者というが、避難所の混雑と喧騒をよそに、大阪のホテルは即日満員となり、海外のホテルに行った人もある。しかし、それはさほど意識されなかった。すべては一時的のはずであった。今はそれが一時的でなかったことを人々はあらためて味わっている。(中井久夫「二年目の震災ノート」『アリアドネからの糸』所収)


圧倒的な危機においては、従来の習慣にしがみつく構えと、新しい発想に打って出ようとする構えとの基盤は一見ほどには大きく相違するものではない。沈没しようとする艦船の船腹に最後までしがみつくか、フネを見捨てて敢えて海に飛び込むかという選択のいずれが正しいかはいうことができない。生存のチャンスは全くの賭けなのである。フネが沈没した後、今脇に抱えている板切れにしがみつきとおすか、それを棄てて近づいてくるようにみえる救助船に向かって泳ぎだすかも、全くの賭けである。救助船は私を認めていなくて旋回して去ってゆくかもしれないし、すでに満員であって、ふなべりにかけて私の手は非情にもナイフで切り落とされるかもしれない。


半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い。


もっと一般的に、池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。中途放棄こそ許されないからである。


「医師を求む」と車中で、航空機中で放送される度に、外科医でも内科医でもない私は一瞬迷う。私が立つことがよいことがどうか、と。しかし、思いは同じらしく、一人が立つと、わらわらと数人が立つことが多い。後に続く者があることを信じて最初の一人になる勇気は続く者のそれよりも大きい。しかし、続く者があるとは限らない。日露戦争の時に、軍刀を振りかざして突進してくるロシア軍将校の後ろに誰も続かなかった場合が記録されている。将校は仕方なく一人で日本軍の塹壕に突入し、日本軍は悲痛な思いで彼を倒した(日本将校にとっても明日はわが身かもしれない)。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記憶』所収、1996年)



ウクライナのロシア侵略に対するいわゆる徹底抗戦は《最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けがある》のだろうか。ウクライナ抗戦を支持する政治学者たちに何よりもまず願いたいのはこの現実的な裏付けの分析である。




フロイトはその宗教論においてだが、中井久夫と同様に被災時に生じる共同体使命は素晴らしいと言っている。


天災に直面した人類が、おたがいのあいだのさまざまな困難や敵意など、一切の文化経験をかなぐり捨て、自然の優位にたいしてわが身を守るという偉大な共同使命に目覚める時こそ、われわれが人類から喜ばしくまた心を高めてくれるような印象を受ける数少ない場合の一つである。


Es ist einer der wenigen erfreulichen und erhabenen Eindrücke, die man von der Menschheit haben kann, wenn sie angesichts einer Elementarkatastrophe ihrer Kulturerfahrenheit, aller inneren Schwierigkeiten und Feindseligkeiten vergißt und sich der großen gemeinsamen Aufgabe, ihrer Erhaltung gegen die Übermacht der Natur, erinnert.(フロイト『あるイリュージョンの未来 Die Zukunft einer Illusion』1927年ーー旧訳邦題『ある幻想の未来』、新訳邦題『ある錯覚の未来』第3章)


だが結局、これは一時的なものであり、イリュージョンに過ぎないと結論づけることになる。


宗教的観念は、文化の他のあらゆる所産と同一の要求――つまり、自然の圧倒的な優位にたいして身を守る必要――から生まれた。daß die religiösen Vorstellungen aus demselben Bereich hervorgegangen sind wie alle anderen Errungenschaften der Kultur, aus der Notwendigkeit, sich gegen die erdrückende Übermacht der Natur zu verteidigen.(フロイト『ある錯覚の未来 Die Zukunft einer Illusion』第4章、1927年)

宗教的教理はすべてイリュージョンであり、証明不可能で、何人もそれを真理だと思ったり信じたりするように強制されてはならない。 den religiösen Lehren, …Sie sind sämtlich Illusionen, unbeweisbar. Niemand darf ge-zwungen werden, sie für wahr zu halten, an sie zu glauben..(フロイト『ある錯覚の未来の未来 Die Zukunft einer Illusion』第6 章、1927年)



民主主義的理念も同様ではないだろうか。もちろん仮にイリュージョンであってもわれわれにはそれしかないという立場があるのは知っている。


これまでも多くの政治形態が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が申し分ないもの、あるいは全き賢明なものと見せかけることは誰にもできない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除いて。

Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time.(ウィンストン・チャーチル下院演説 、Winston S Churchill, 11 November 1947)



…………


ところで篠田英朗なる政治学者が、橋下徹批判文脈で、次のように書いている。


侵略者が侵略によって利益を得ることを被侵略者が積極的に許してしまったら、国際社会全体の秩序が壊れ、日本人を含めた世界中の人々が損失を受ける。ウクライナは国際社会の秩序の維持のためにも戦っている。(篠田英朗「橋下徹氏・玉川徹氏は日本のお茶の間平和主義の象徴か」2022.03.05)


ウクライナ人が国際社会秩序の維持のために「も」戦っている? 意図せずに、ウクライナ以外の国の人々は外部から静観しつつ。参戦すれば第三次世界大戦になってしまうのでやむえないという前提からの話だろう。


私は橋下徹を好まないが、こういったたぐいの話を軽々しくしてしまう政治学者は少なくともその10倍ぐらいは好まない。橋下と篠田とどちらのほうがいっそうのネット文化「お茶の間」主義なのか、人は問わねばならない。


いま篠田英朗の名を出したが、大半の政治学者はこの人物と同様な立場である。私は腹が立ってならず、シュルレアリスト的情動を抑えるのに苦労することしきりである。


最も単純なシュルレアリスト的行為は、リボルバー片手に街に飛び出し、無差別に群衆を撃ちまくる事だ。L'acte surréaliste le plus simple consiste, revolvers aux poings, à descendre dans la rue et à tirer au hasard, tant qu'on peut, dans la foule.(アンドレ・ブルトンAndré Breton, Second manifeste du surréalisme)



………………


しかしーーいくら人が橋下嫌いだといってもーー篠田の名はいっそう覚えておかなくちゃな。




なんだい、お前さん、調べてみたらオレの10年後輩じゃないか。



篠田 英朗 (1968年 - )は、日本の政治学者、平和学者。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。専門は国際政治学、国際関係論、平和構築論(英語版)。早稲田大学政治経済学部卒業、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスPh.D.。



だいたいあの大学のあの学部ってのはロクデモナイのしかいないからな、「知的銃殺刑」の対象にするほかないね。


橋下はこう言ってるがね。













政治家であれ政治学者であれ、問いはーー例えばーー、香港の雨傘運動の提唱者三人の器があるかどうかだよ、当時の、香港大の戴耀廷副教授、香港中文大の陳健民副教授、朱耀明牧師の。




民主主義を守るために頭を丸めて行進するこの男たちの決然たる姿。人は見極めるには、それが政治評論家であれ政治学者であれ(その他もろもろであれ)、この三人の資質があるかどうかだ。